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第3話 最初で最後の決断



 その日の晩。ヨハネは瓶ビール二本を持参して、ヤコブとシモンの部屋に飲みに来ていた。日々着実に積み重なっていく行き場のないやるせなさを吐き出せるのは、この部屋だけだ。


「未練タラタラズルズルなの辛くて諦められないのに入る余地なくて告白はもう無理でそれもわかってるのになんで僕はまだ好きなんだ辛過ぎる泣きたい」


 ヨハネは顔を両手で覆って、蛇口を捻ったように心情を漏らした。

 飲み始めてからまだ十分だが、ヨハネは早くも酔っていた。さっきまでは一人飲みしていて、現時点までに既に瓶ビール三本半を飲んでいる。


「……ごめん、ヨハネ。今のよく聞き取れなかった」

「息継ぎなしで六七文字の詠唱して、恋愛の精霊でも喚び出そうとしたか?」

「恋愛の精霊が現れたら、女々し過ぎる僕を本当の男にしてくれるかな」

「お前は、身体的には男だ。ちゃんと付いてるものが機能すれば、願わなくてもたぶん大丈夫だ」

「大丈夫、ヨハネ? いつにも増してヘコんでるよ?」


 シモンに心配されて、ヨハネはアルコールで真っ赤になった顔を上げた。


「今日、ユダがペトロのこと褒めてさ。まぁ、いつものことなんだけど。本当はそんな話したくないけど仕事の話だと割り切って、適当に相槌打ってさ。でもユダは、僕がどう感じてるか知らないで嬉しそうに話して。そしたら、段々嫌になってきて。事務所に顔出したペトロにも、ちょっと冷たい言い方しちゃってさ。二人きりの時間を邪魔されたくないとか思って……。なんか、おかしいんだ。ついこの前までは敗北感に浸ってたんだけど、段々と羨ましくなってきて。抱きたくない感情を抱いちゃいそうで。あの二人と一緒にいると、嫌な自分になる気がする。自分じゃないみたいだ……」

「あんまり思い詰めない方がいいよ」


 シモンは、涙目の酔っ払いヨハネの背中を優しく擦る。たびたびこんな姿を見ているが、恋愛と飲酒は無理なく楽しもうと学ばせてもらっている。


「つまりお前は、二人の仲を認めながらもユダのことが諦めきれなくて、告白できないのは自分のせいだってわかりながら、ペトロに妬いてるってことか」


 缶ビール片手のヤコブは、いつも通りのドライな対応だ。


「もう諦めた方が自分のためだってわかってるのに、そう考えるたびに少しずつユダへの思いが重なって。でも、それが辛くて……」


 もう何を望もうとしても手に入れられないのに、伸ばした手を引っ込めることができない。まるで何かに執着しているように、ヨハネの心はユダに捕らわれていた。


(きっと、拘っちゃいけない。だけど……)

「だけど……。やっぱり僕は、ユダが好きだ……」


 なぜ、こんなにも求めてしまうのか。理由を突き詰めるよりも、気持ちが先行する。気持ちが先走るばかりだから、掴めたかもしれないものを掴み損ねている。

 辛くて苦しいのに次へも進めないヨハネは、瞳を潤ませる。


「お前、そんなにユダのこと好きだったんだな……」


 ヨハネの尻を叩き続けていたヤコブは正直、クラスメイトの恋を応援しているつもりで付き合っていた。だが、気付いた。ヨハネの恋は、青春の一枚に収めるようなものじゃない。彼の人生の一幕となるドラマなのだと。

 ならば。そのドラマの主役にしてやろうと、人肌脱ぐことにした。


「わかった。お前がそこまで本気なら、ガチで告白するぞ」

「えっ……。で、でも……」


 しかしヨハネは、やはり気後れする。そんな彼に、ヤコブは真剣な眼差しで言う。


「これまで全戦全敗だし、また告白は無理かもしれない。でも、これが最後だ」

「最後……」


 立たされているのが崖っぷちだと断言されると、後退りするヨハネの足が止まった。


「告白の成功率は0%。バンデにもなれない。行動したって、お前の望みは何一つ叶わない」

「ヤコブ。そんな事実しかない言い方……」

「でもな。行動することで、変わることがあるかもしれない。お前に唯一の望みがあるとすれば、変われる未来があるってことだ」

「僕が、変われる未来……」


 ヤコブは、ヨハネがユダを諦めることができないのは、自分を卑下し、新しい恋をする自信がなくなっているからのような気がした。

 今更のガチ告白は成功体験にもならないが、失恋をストレートで食らえば、それでヨハネのスイッチも切り替わるんじゃないかと考えた。


「女々しい自分が好きだって言うなら、別だけどな」

「……珍しく怒らないんだな」

「鬼教官でいてほしいなら、明日からもビシバシ扱くぞ?」


 ヤコブの手元に幻覚の鞭が見えた。


「いや……。でも。優しくできるなら、最初からそうしてほしかった」

「愛の鞭ってやつだよ。成就させてやりたかったから応援してたんだ。ペトロが現れるのがわかってたら、もっと厳しくいってたけどな」

「ヨハネ。気持ちにちゃんと区切りを付けるためにも、本気で告白してみようよ。フラれても、ボクたちが一晩中慰めてあげるから」

「だな。シモンも夏休み入ったし、ガンガン夜更かしできるぞ」

「だからヨハネ。決めよ」


 ヤコブとシモンは背中を押す。いつもよりも強く押され激励されるヨハネは、最初で最後となる告白ができるか否かを考えた。


「……二人が一緒にいてくれるなら、頑張れるかも」


 できるかどうかは、やはりわからない。けれど、思いを伝えたい気持ちは変わらない。


「よしっ。じゃあ、いつ決行するか計画立てるぞ」


 即時、ヤコブが中心となって話し合いが始まった。

 邪魔が入らないように、ペトロがいないタイミングを狙おうということになり、シチュエーションは? 昼間か夜か? 台詞は用意するか? と、ヤコブとシモンは真剣になってくれる。

 ヨハネは、最後まで応援してくれる二人に、改めて感謝の気持ちが湧いてくる。


(区切りを付けよう。未練がましく縋るよりも、自分が変われる未来のために)




 とある日。ミッテ区でデリバリーのアルバイト中のペトロは、シュプレー川より北側を中心に回っていた。

 次の注文商品をピックアップしに、モンビジュー公園近くのシックな雰囲気のカフェにやって来た。


「こんにちは。ピックアップに来ました」

「こんにちはー……。あ。使徒のペトロさんだぁ。新しい広告見ましたよ」

「どうも……」


 声を掛けたカウンターの女性スタッフに手を振られ、うら恥ずかしくなりながら外向的な笑みを作る。同じように何度も声を掛けられ、街じゅうの人が自分のことを知っていると思うと、まだ堪え難い恥ずかしさがある。

 また誰かに声を掛けられる前に立ち去ろうと、ベーグルサンドと抹茶ラテを受け取り、早々に店を出ようとした時だった。


「あれ? ペトロ!?」


 今度は男性に気付かれ、また外向的な笑顔の準備をした。しかし、その声には聞き覚えがある気がした。

 振り向くと、カウンター内にオレンジ色の髪の見知った顔が立っていた。


「やっぱりペトロだー!」

「えっ。アンデレ?」


 思わぬ場所でペトロに出会したアンデレは、カウンターから出て来て満面の笑みでハグをした。


「うわー! 久し振りじゃんー! めっちゃ感激なんだけどー!」

「相変わらずテンション高いな」

「ずっと連絡取れなくて、心配してたんだぞ! こっちに来てるって聞いたけど、今どこ住み? 何やってんの? てかアルバイト? あ! デリバリーのバイトか! この店も来たことある? もしかしてすれ違ってたかもなー!」


 と、再会でテンションが爆上がりするアンデレは、矢継ぎ早にしゃべる。昔と変わらない様子に、ペトロも思わず笑みが溢れる。


「落ち着け。お前、仕事中だろ。オレも、これ届けなきゃならないから」

「あっ、ごめん! でも、会うの久し振り過ぎてめっちゃ話したい! おれ休憩もうすぐなんだけど、ペトロは?」

「じゃあ、これ届けたらどっかで落ち合う?」

「そうしよう! そこの公園でもいいか?」

「わかった」


 商品のデリバリー先が近くだったので、二人はあとで会う約束をしていったん別れた。




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