ある休日。ヨハネ告白作戦の決行日がやってきた。
ペトロは用事で、午後に少し外出する。買い出しは、ヤコブとシモンがあとで行くと言ってあるのでユダも在宅している。
シチュエーションは予定通り。三人は、リビングルームにスタンバイした。ところが。肝心のヨハネのコンディションが、過去最悪だった。
「ヨハネ。本当に大丈夫?」
「き……緊張する……。胃が痛くなりそう……」
昨夜は緊張で寝られなかったヨハネ。顔色が悪い上に、目の下のくまが酷い。
「無理そうならやめとけよ」
「……いや。大丈夫」
ヤコブとシモンは体調を気遣うが、ヨハネは決行するつもりだ。
「そんな状態で、まともに告白できるのかよ」
「できないかもしれない。半端ない緊張で、心臓壊れそうだし。ていうか、本当に今日告白できるかもわからないし。そしたら、通常通り誤魔化す方向でフォローよろしく……」
「やっぱり、日を改めた方がいいんじゃない?」
シモンも心配して仕切り直しを言うが、ヨハネは首を振る。
「これが最後のチャンスだと思って、今日を迎えたんだ。二人に付き合ってもらうのも、今日までにする」
緊張は半端ない。だが、ヤコブに言われたように、これが最後のチャンスだと決めた。この緊張も不安も無駄だとわかっていても、これまで以上に覚悟を持って告白をしようとしていた。
ヤコブとシモンはその決意に応え、胃薬を飲ませた。しばらく様子を見るとヨハネの胃が落ち着いたので、ヤコブがユダを呼びに行った。
あと数分で、ユダが来る。
外では蝉が鳴いている。暑い日差しが窓から射し込む。しかし、蝉の鳴き声も日差しの暑さも、緊張で気にも留められない。
ヨハネは深い深呼吸をした。
(胃は落ち着いたけど、心臓はずっとバクバクしてる。今にも破裂しそうだ……。本当に告白できるのか? 緊張に負けずに、ちゃんと自分の気持ちを言葉にできるのか? 今まで何度も失敗して、一文字も口にできてなくて、成功を想像することもできないのに……。ヤバい。すごい不安になってきた。怖くなってきた……。もうすぐユダが来るっていうのに、土壇場で逃げるなんて……)
「ヨハネ。大丈夫?」
一緒に待つシモンが、優しく背中を擦ってくれる。
「緊張して落ち着かないよね。結果がわかってたとしても、自分の気持ちを言葉にするのって勇気いるもんね。どう思われるんだろう、って不安になるよね」
「シモン……」
「でも、大丈夫だよ。ユダなら、ヨハネの気持ちをちゃんと受け止めてくれるんじゃないかな。絶対に、嫌いになったり避けたりしないよ」
シモンは、勇気を与える笑顔をヨハネに贈った。シモンの励ましで、ヨハネも少しだけ落ち着いてくる。
(告白して嫌われて、話ができなくなるんじゃないかって不安だった。でも、そんな不安は抱く必要はない。答えがわかってるんだから、緊張する必要はないんだ。僕はただ、気持ちを言葉にするだけだ。「好きでした」って言うだけなんだ。それで、僕の恋は終わる……)
その時。リビングルームのドアが開く音がした。ヨハネは心臓を跳ね上げ、身体を強張らせる。
短い廊下を歩く靴音がしたあと、扉が開いた。ヤコブのあとに、前髪を下ろしたオフモードのユダが入って来た。
「あれ。シモンくんもいたんだ」
「うん。ユダは何してたの?」
「ペトロもいないから、読書してたよ。それで、話があるってヤコブくんに言われて来たんだけど……」
「話があるのは、ヨハネからだ」
「ヨハネくんから?」
ユダの視線がヨハネに向く。
とうとうその時と直面するヨハネは、心臓が太鼓のように叩かれているかのごとく、ドクンッドクンッと鼓動が耳から聞こえるくらい緊張し始める。
「あ……。あの……」
(ヤバい。答えはわかってるのに、やっぱり告白を意識すると緊張が……)
落ち着きたくても鼓動が煩くて、気持ちが同調してしまう。顔が火照り、ユダの顔を見られない。
「話って、いうのは。その……」
(ただ言うだけだ。「好きでした」って、言葉にするだけだ。ただ、それだけなのに)
ユダは待っている。ヨハネが何を話すのかは知らなくても、言葉にするのを待っている。
言葉にできないヨハネは、緊張だけでなく焦り始める。心にある言葉がバラバラになって、迷子になりかける。
その最後の一歩を踏み出せずにいる背中を、後ろにいたシモンがポンと叩いた。振り向くと、大丈夫だよとウインクをしてくれた。斜め前にいるヤコブにも目を遣ると、下の方でガッツポーズをして頑張れと応援している。
どうしようもなく不甲斐ないのに、それでも応援してくれる二人に背中を押される。
そしてヨハネは、最初で最後の最大の勇気を振り絞る。
「あ……。あの……」
「うん」
「あの。ユダ……。僕は……!」
思いを告げようと顔を上げ、ユダを見た瞬間。突然、言葉が出なくなってしまった。
(……あれ)
「僕、は……」
告白の瞬間に急に固まってしまったヨハネの様子に、ヤコブとシモンは怪訝な顔をする。
「ヨハネ?」
「……」
(僕は……何を言おうとしてたんだっけ……)
突然停止してしまったヨハネに、シモンが小声で声を掛ける。
「どうしたの、ヨハネ。思いを伝えるんでしょ?」
(そうだ。僕の思いを伝えなきゃ。僕の、気持ちを……。でも、何を? どんな気持ちだ? 何を言葉にしようとしてた?)
「ヨハネ?」
(僕は……。
自分を見つめたまま何も言わないヨハネに、ユダも小首を傾げる。
「ヨハネくん。どうしたの……」
ヨハネの異変に、三人が戸惑っていた時だった。唐突に、リビングルームの扉がバァンッ! と勢いよく開けられた。
「おっじゃましますー!」
「こら、アンデレ! もうちょっと行儀よくしろよ!」
入って来たのは、ペトロとアンデレだ。出掛けたペトロは、遊びに来たいと言っていたアンデレを迎えに行っていたのだった。
空気をガラリと変えたアンデレの登場に、ヤコブたちはポカンとする。
「みんなここにいたんだ。なんか、取り込み中だった?」
「えーっと……」
しかし、状況をペトロに話す間もなく、アンデレの暴走が始まった。
「あーっ! ヤコブとシモンだー! 広告で見たことあるー! SNSでも見たー! すげー! 本物だー!」
テンションが上がったアンデレは「始めまして! よろしく!」と、若干タジタジのヤコブとシモンの手を勝手に取って、勢いのいい握手をする。
(無念のタイムアップか……)
友達を連れて来ると前もって聞いていたので、ペトロが不在になる時間はそう長くはないとヤコブたちは知っていた。残念だが、あと一歩で目標達成というところで作戦は失敗に終わってしまった。
「ペトロ。こいつが、お前の友達の?」
「礼儀知らずでごめん。こいつ、テンション上がるといつもこうなんだ」
「他の二人は見たことないけど、使徒の人?」
「使徒でもあるけど、二人は事務所運営側。メガネの方が社長で、そうじゃないのが副社長」
「社長と副社長!? すげー! 遊びに来ただけなのに、偉い人とも知り合えちゃったよー!」
アンデレは仲良くなる前提でユダとヨハネにも、「よろしくお願いします!」と熱のこもった握手する。肩書きを聞いてもテンションはキープだ。
「アンデレ。握手の前に名乗るの忘れてる」
「あ。そうだった! 初めまして! ペトロの親友のアンデレ・アーレンス。四月十五日生まれの十八歳。牡羊座でO型。趣味はお菓子作り。将来は、自分の店を開くことが目標です!」
「面接じゃないんだから、そこまで言わなくていいって」
「使徒のみんなと仲良くなりたくて、遊びに来ました! よろしくお願いしますー!」