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第6話 昔の話



 アンデレが手土産で、お手製のアプフェルクーヘンを持って来てくれたので、コーヒーを淹れてテーブルを囲んだ。


「おいしー!」

「本当だな。店で食べるのと全然遜色ないわ」

「上のクランブルがカリカリで、中のりんごも歯応えが残ってて、おいしいよ」

「マジっすか? やったー! 使徒のお墨付きー!」


 シモンとヤコブとユダが舌鼓を打つと、三ツ星パティシエに褒めてもらったかのようにアンデレは大喜びする。


「いや。舌は一般人と同じだから。でも、昔よりレベル上がってるな」

「だろー? ヨハネさんは? おいしいっすか?」


 さっきは様子が急変したヨハネだったが、今はすっかりいつも通りに戻って、普通に一緒に食べている。


「うん。おいしい。僕の好きな甘さだ」

「喜んでもらえてよかったー。作って来た甲斐があったー!」


 みんなに褒められたアンデレは、満面の笑みで自分が作ったクーヘンを頬張った。アンデレの手作りスイーツを久し振りに食べるペトロも、懐かしさが相俟って自然と笑みが溢れる。


「アンデレくんは、この辺に住んでるの?」

「学校も就職先もこっちだったんで、引っ越して来ました。元々は、ペトロと同じとこっす」

「じゃあ、同じ学校ギムナジウムか?」


 尋ねるヤコブにアンデレは「ううん。違う」と、タメ口を利く。年齢が一つしか違わないので敬語はいいと、ヤコブが言ったのだ。


「ペトロとは、基礎学校グルントシューレの時からの付き合いで、仲良くなったのは八歳くらいから?」

「てことは、もう十年になるのか。学校入って、久し振りに性別間違われたの覚えてる」

「そーなんだよー! おれ、ペトロのこと女の子だと思って告白しかけたんだよねー! そしたら同じ男で、こんなにかわいい男がいたのか! って衝撃だった!」

「告白、未遂で終わってよかったね」


 クーヘンのおいしさとは違う笑みを浮かべながら言うユダ。


「でもそれくらい、学校で密かに人気だったんすよ。ファンクラブができてたり!」

「えっ。それ知らない」


 初耳のペトロは、フォークを咥えたまま手を止めた。


「ペトロのファンクラブなんてあったの? すごいね」

「男なのにかわいいとか言われてチヤホヤされるの、ペトロがすっごい嫌がってたから、非公式なんだけどさ。会員が三桁いたとかいないとか」

「学校内のファンクラブでそんなにいるの、マジですげぇな。カリスマじゃん、お前」

「そうやってイジるのやめろって」


 ペトロは恥ずかしがり、コーヒーを飲みながらヤコブをちょっと睨んだ。


「いいなぁ、ペトロのファンクラブ。私も入りたかったなー」

「お前は入らなくても十分だろ」

「ユダは公私で推してるもんねー」

「会員ナンバーは、一二三番がいいな」

「何で一二三?」


 一番じゃないのかとヤコブが訊くと、番号に心当たりのあるペトロが当てる。


「オレの誕生日の、十二月三日?」

「正解。あ、でも。会員になるのは私一人だけにしておいてね」

「愛されてるなー」

「愛されてるねー」

「だからイジるなってば」


 ニヤニヤしながら冷やかすヤコブとシモン。

 親友がいる前でイジられて、ペトロは余計に恥ずかしく思うが、その親友は醸し出されている匂いに全く気付いていない。


「ペトロは、ここでも人気者なんだなー。モデルまでやっちゃうし、評判いいし。おれの親友、やっぱすげーよ。そのうち、おれなんか目に入らなくなったりしないよな!?」

「そんなわけないだろ。アンデレはどんな時もおれを気遣ってくれた、親友なんだから」

「ありがとな、親友ー! その言葉信じるからなー! おれたちズッ友だからなー!」


 アンデレは熱烈にペトロに抱き付いた。

 その後も、ここで生活するペトロの様子をアンデレに教えたり、一同のプライベートなことも話したりして、アンデレのテンションは始終衰えることはなかった。

 その人懐っこさで、全員と以前からの友人だったかのようにアンデレは馴染み、賑やかな時間となった。




 その日の晩。ペトロがシャワーを終えて戻って来ると、ユダが既にベッドに移動していた。


「ペトロ。こっちおいで」


 膝をポンポンと叩きながら笑顔で呼ばれたので、ペトロは何の疑問もなく行った。

「座って」と言われたのでユダの膝のあいだに背を向けて座ると、腰に腕が回ってきた。正面から抱き締められるのも好きだが、こうして後ろから密着されるのは落ち着く。


「今日、騒がしくなかったか?」

「全然。いつもと違った賑やかさで、楽しかったよ。ペトロのいろんな話も聴けたし。ファンクラブの話も、初めて聞いた。ペトロは昔から人気者だったんだね」

「みたいだな」

「密かにファンクラブができてたってことは、告白も相当されたんじゃない?」

「そんなにされてないよ」

「本当に? ファンクラブができる人が告白されないのは、おかしくない?」

「別に、おかしくないだろ」


 自分が注目された話題はできるだけしたくないペトロは、深堀りを避けて否定した。それを、なんとなく嘘だと見抜いたユダは、ペトロの耳に息を吹き掛ける。


「ふぅっ」

「……っ!」


 全身にゾクゾクッときたペトロは、鳥肌を立てた。ちょっと耳も赤くなる。


「急に息吹き掛けるなよ!」

「本当は何人に告白されたの?」

「そこ気にしなくていいだろ」

「気になるよ。女の子だけじゃなくて、男の子にも告白された?」


 ユダの質疑が始まった。正直に答えなさいと、ペトロの下腹部で右手をさわさわと動かす。

 これは素直になった方が利口だと察したペトロは、偽ることは諦めた。


「……まぁ。両方……」

「今まで何人くらい?」

「そんなにいない。両手で数えられるくらいだよ」

(たぶん)


 ユダの右手は止まらず、質疑は続く。


「そのうち、お付き合いしたのは?」

「してない」

「誰とも付き合ってないの?」

「誰とも付き合ってない」

「本当に? いろいろと興味が湧いてくる年頃だよね?」

「恋愛とか、まだあんまり興味なかったんだよ」


 これは本当に嘘はついていない。性別を間違われ続け、かわいいと言われまくり、うんざりしていたせいもある。


「だから……。ちゃんと付き合うの、ユダが初めて」


 ペトロは振り向き、上目遣いで清廉潔白だと主張する。


「それ、ほんと?」

「大体わかるだろ」


 これまでの夜を振り返ってみて慣れていると思うのかと、ほんのり紅潮して言う。その小さな反抗がユダはかわいらしく思えて、どんな小さな嘘でも許してしまいそうだ。


「私も。きみが初めて」


 同じだと言ってユダは微笑む。ところが、なぜかペトロは疑念の目を向ける。


「……それ、ほんと?」

「半分本当」


 嘘偽りなくそう言うと、ペトロは腕の中から出て反撃に出た。


「オレのことばっか問い質しておいて、それはズルい!」

「仕方ないよ。記憶ないんだもん」


 現在の自分は、交際経験はペトロが初めて。しかし、記憶を失くす前の自分のことは不明なので、「半分本当」というわけだ。


「ユダこそ、絶対交際歴あるだろ。顔良し性格良しが、ほっとかれるわけないし」

「わからないよ? 運命の人との出会いを夢見て、告白されても断ってたかもしれないし」

「えー。なんか、現実的なこと考えて将来を見据えた交際してそう」

「そうかなー?」

「だって、誠実だし。振る舞いを見ても教育が行き届いてる感じだから、きっと家柄もいいよな。だから、社長令嬢と婚約してそう」

「もしもそうだったら、ペトロはどうする?」


 ただの想像なので本気にすることはないのだが、認めたくないペトロはちょっと不快になる。


「……嫌かも」

「私も嫌だな」

「でも。その人と結婚しないと、親の会社が潰れるとか言われたら? そしたらユダは、家を守ることを選ぶ?」


 親を裏切るか、恋人を裏切るか。これもただの想像だが、究極の選択を訊かれたユダはペトロの手を取り、迷うことなく答える。


「その時は、婚約破棄してきみと駆け落ちするよ」

「本当にそんなことできる?」

「できるよ。家がどうなろうが親に勘当されようが、きみを選ぶ。私はペトロを裏切らない。それが私の運命だから」

「いざって時に、そんなの冗談に決まってるでしょ、なんて言わない?」

「そんな酷いことしないよ。前に言ったでしょ。大事なことは、絶対に冗談なんかにしないって」


 最初にペトロに「好きかもしれない」と言ったあと、真っ直ぐに「好きだよ」と思いを伝えてくれた。ペトロの答えを待つあいだも、両思いになってからも、その誠実さは変わらず嘘はない。きっとこれからも、ユダは偽ったりすることはないだろうと、ペトロは何も疑わない。


「じゃあ、信じる。記憶が戻っても、勝手にどっか行くなよ?」

「うん。約束する」


 二人は指切りの代わりに、結ばれた愛を確かめるように抱擁した。

 強く優しく抱き締められるペトロも、ユダの背中に回した腕に少しだけ気持ちがこもる。


(ユダが側にいてくれないと、オレはまた、誰にも頼れなくなりそうだから……)




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