事務所は通常、社長のユダと副社長のヨハネの二人しかいないのだが、今日は一人余分にいた。
「……それで。アンデレくんは、なんで
「使徒がいつも何してるのかなって気になって、来ちゃいました!」
アンデレは空いているデスクに座り、頬杖を突きながら興味深そうに二人の仕事を見学していた。学校が夏休みだからと言って、遊びに来た翌日から事務所に入り浸り始めたのだ。
「何をしてるのかって。見ての通り、僕たちは業務に勤しんでいるんだけど」
ユダが困り顔で追い返し難く思っているのを察して、ヨハネは迷惑に感じている空気を出して言うが、アンデレは全くその空気を読まない。
「普段はこの事務所の社長さんと副社長さんの二人は、悪魔が出なければ仕事してるんすか?」
「そうだよ。他のみんなも、普段はアルバイトや学校に行ってるよ」
「悪魔が出る時って、どうやってわかるんすか? 誰かが教えてくれるとか?」
「僕たちは、悪魔の気配を察知できるんだ」
「それって、使徒だからっすか? そしたら超人みたいにダーッて走って、シュバッて建物飛び越えて行くのかー。すげーなー! かっこいいー!」
街のヒーローとお近付きになれたアンデレの瞳は、憧れの人をリスペクトする少年のように輝く。
リスペクトしてくれるのは構わない。寧ろ嬉しいが、ヨハネはちょっとアンデレと話すのが煩わしくなってきた。
「アンデレ。仕事の邪魔するだけなら、いつでも帰っていいぞ」
「邪魔してるつもりはないっすよー。ヒーローとお近付きになれる機会なんてないから、噛み締めてるんすよー」
「仕事は行かなくていいの?」
「今日は午後からなんで、大丈夫っす!」
サムズアップして仕事にはちゃんと行っていると言うが、ほぼ毎日顔を出しているので本当かどうか怪しいものである。
事務所内には、それぞれがイメージキャラクターを務める商品のポスターが額縁に入れて飾られている。それを眺めるアンデレは、二人に尋ねた。
「あの。ペトロ、どうっすか?」
「どうって?」
「最初から、みなさんと上手くやれてた感じっすか?」
「彼なりのペースではあったけどね」
「無愛想じゃなかったっすか?」
「無愛想というか。なかなか心を開いてくれなかったね」
「やっぱ、そうなんすね」
さっきまで輝きを灯していたその目に、深憂の端が浮かんだ。
「アンデレくんは、ここに来る前のペトロのことも知ってるんだよね」
「はい……。ユダさんたちは、ペトロから過去のこと聞いたんすか」
「うん。聞いたよ」
「よかった。ちゃんと話せたんすね」
一人で抱え込んでいたものをちゃんと誰かに見せられたんだと、アンデレは安堵した表情をする。そして、今の心の内を話し始める。
「おれも、おばさんたちがあのテロの犠牲になったって聞いた時は、胸が痛くなるくらいすっごくショックでした。ペトロも一時はすっげー泣いてたんすけど、ある時から、何か覚悟を決めたみたいに笑わなくなって。親友のおれにも、心の声を言ってくれなくなって、寂しかったんすよ。その状態で連絡取れなくなるから、マジで心配でした」
きれいに撮られたペトロのポスターを見ながら語るアンデレの目には、表情に影を落とした当時の親友の顔が被っていた。
「街でペトロのポスター見た時は、こいつ何やってんの!? ってめっちゃ驚いたけど、同時にめちゃくちゃ安心しました。ちゃんと生きててよかったーって思ったのに、使徒もやってるって知って、こいつ何やってんだよ!? って、また心配になったけど。生きて再会できたならいっか! って思ってます。自分の過去をちゃんと話せるようになったのも、環境が変わってペトロが変われたからなんすよね。心配はさせられたけど、きっと、ペトロにとって一人になる時間は、
するとアンデレは立ち上がり、二人に向かって気を付けの姿勢を取る。
「だから。ペトロを仲間にしてくれて、ありがとうございます! これからもよろしくお願いします!」
そして屈託のない笑顔で頭を下げ、心からの感謝を伝えた。アンデレにとって彼らは、親友も救ってくれたヒーローだ。
「よろしくしたいのは、こっちの方だよ。唯一無二の逸材と出会えて、感謝しかないんだから。ね、ヨハネくん」
「それは、仕事の面でということですか?」
「両方かな」
一切の遠慮も配慮もなく充実感を表に出すユダに、ヨハネは一瞬だけ不満を現す。けれど、その嫌な感情を認めたくなくて、すぐにそれから気を逸らした。
「でも。まぁ、そうですね。うちの看板になってくれて、事務所も安泰ですし……」
その時。ユダとヨハネは悪魔出現の気配を察知した。
「さて。別の仕事が入ったね」
「ヤコブとシモンは今日は来られる範囲にいないので、行かないとですね」
「というわけで、アンデレくん。これから事務所を空けなきゃならないから、悪いけどきみも帰ってもらえるかな」
ユダとヨハネは、焦らず慌てず出撃の準備を整える。
「急用っすか?」
「悪魔が現れるから、行かなきゃならないんだ。だから、大人しく帰ってくれるか」
「付いてっていいっすか!」
またもや目を輝かせて、アンデレは食い付いた。事務所に入り浸るだけに留まらない使徒への好奇心を、全面に溢れ出させている。
「まぁ。付いて来るのは、別に構わないけど」
「追い付くの大変だと思うよ?」
「チャリで爆走するんで大丈夫っす!」
アンデレはサムズアップする。付いて行く気満々だ。
一般人のアンデレが付いて来ても、どうせ見学になる。素直に帰りそうにもないので、戦闘の支障にはならないと許可した。
二人はアンデレを置き去りにして、悪魔の気配を感じるフリードリヒスハイン=クロイツベルク区方面へ向かう。
その途中、ユダはヨハネに尋ねた。
「ヨハネくん」
「なんですか?」
「この前、結局聞けずじまいになって、その後も聞くタイミングがなかったんだけど。あの時、何を話したかったの?」
「あれは……。大したことじゃありません。また機会があったら話します」
今切り出す話でもないので、そう答えた。だが、せっかくのチャンスを逃したヨハネは、もうそんな機会は訪れることはないのではと感じていた。
シュプレー川を越えて到着したのは、飲食店やマーケットや映画館が並び、トラムも走る通りだ。中心街よりは人通りは少ないが、昼時が間近で往来する人の数は増えていた。
二人が到着すると既にペトロがいて、近隣で働く人たちと協力して避難を促していた。
「早いねペトロ」
「ちょうど、この近くでデリバリーしてたから。悪魔はまだあの人の中」
ペトロは指を差した。映画館が入る建物の前に、若い男性が蹲っている。
もう少し避難の状況を見て
「追い付いたー!」
ある程度の避難が完了した頃、自転車を爆走させたアンデレが現場へ到着した。
「アンデレ!? なんでここに……」
「付いて来たいって言ったから。それだけなら支障はないし」
「まぁ、そうだけど。でも、もう戦闘が始まるから、お前も離れてろ」
「えーっ! 着いたばっかなのに!」
「外からでも薄っすら見れるだろ。だから早く!」
「アアアアア……ッ!」その時、蹲る男性が苦しみの叫声を上げた。
「早くしないとお前も巻き込むから! あと5メートルは離れろ!」
「わかったよー」
ペトロが背中を押すと、アンデレは残念そうに仕方なく離れて行った。三人がいる場所から離れれば、
「よし! 大丈夫だ!」
「
ヨハネが領域を展開した。「∉ォ%σオッ!」それとほぼ同時に、男性の中から放出された黒い霧が形を成して悪魔が出現する。
「今回はノーマルだといいね」
「本当にそれな」
三人は戦闘態勢を取った。だが。誰も想像していなかった緊急事態が発生した。
「おおっ!? なんか出て来た! これが生悪魔か!」
戦闘領域内で、四人目の声がした。そんなことはあり得ないと三人が振り向くと、領域の外に出ているはずのアンデレがまだ領域内にいた。
「えっ!?」
「なんで……」
「なんでアンデレが、まだ戦闘領域内にいるんだよ!?」