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第7話 まさかの



 J3Sヤットドライエス芸能事務所は、本日も通常業務を行っている。問い合わせ対応、オファーメールへの返信、SNSの更新に経理などなど、やることは多い。

 事務所は通常、社長のユダと副社長のヨハネの二人しかいないのだが、今日は一人余分にいた。


「……それで。アンデレくんは、なんで事務所ここにいるのかな?」

「使徒がいつも何してるのかなって気になって、来ちゃいました!」


 アンデレは空いているデスクに座り、頬杖を突きながら興味深そうに二人の仕事を見学していた。学校が夏休みだからと言って、遊びに来た翌日から事務所に入り浸り始めたのだ。


「何をしてるのかって。見ての通り、僕たちは業務に勤しんでいるんだけど」


 ユダが困り顔で追い返し難く思っているのを察して、ヨハネは迷惑に感じている空気を出して言うが、アンデレは全くその空気を読まない。


「普段はこの事務所の社長さんと副社長さんの二人は、悪魔が出なければ仕事してるんすか?」

「そうだよ。他のみんなも、普段はアルバイトや学校に行ってるよ」

「悪魔が出る時って、どうやってわかるんすか? 誰かが教えてくれるとか?」

「僕たちは、悪魔の気配を察知できるんだ」

「それって、使徒だからっすか? そしたら超人みたいにダーッて走って、シュバッて建物飛び越えて行くのかー。すげーなー! かっこいいー!」


 街のヒーローとお近付きになれたアンデレの瞳は、憧れの人をリスペクトする少年のように輝く。

 リスペクトしてくれるのは構わない。寧ろ嬉しいが、ヨハネはちょっとアンデレと話すのが煩わしくなってきた。


「アンデレ。仕事の邪魔するだけなら、いつでも帰っていいぞ」

「邪魔してるつもりはないっすよー。ヒーローとお近付きになれる機会なんてないから、噛み締めてるんすよー」

「仕事は行かなくていいの?」

「今日は午後からなんで、大丈夫っす!」


 サムズアップして仕事にはちゃんと行っていると言うが、ほぼ毎日顔を出しているので本当かどうか怪しいものである。

 事務所内には、それぞれがイメージキャラクターを務める商品のポスターが額縁に入れて飾られている。それを眺めるアンデレは、二人に尋ねた。


「あの。ペトロ、どうっすか?」

「どうって?」

「最初から、みなさんと上手くやれてた感じっすか?」

「彼なりのペースではあったけどね」

「無愛想じゃなかったっすか?」

「無愛想というか。なかなか心を開いてくれなかったね」

「やっぱ、そうなんすね」


 さっきまで輝きを灯していたその目に、深憂の端が浮かんだ。


「アンデレくんは、ここに来る前のペトロのことも知ってるんだよね」

「はい……。ユダさんたちは、ペトロから過去のこと聞いたんすか」

「うん。聞いたよ」

「よかった。ちゃんと話せたんすね」


 一人で抱え込んでいたものをちゃんと誰かに見せられたんだと、アンデレは安堵した表情をする。そして、今の心の内を話し始める。


「おれも、おばさんたちがあのテロの犠牲になったって聞いた時は、胸が痛くなるくらいすっごくショックでした。ペトロも一時はすっげー泣いてたんすけど、ある時から、何か覚悟を決めたみたいに笑わなくなって。親友のおれにも、心の声を言ってくれなくなって、寂しかったんすよ。その状態で連絡取れなくなるから、マジで心配でした」


 きれいに撮られたペトロのポスターを見ながら語るアンデレの目には、表情に影を落とした当時の親友の顔が被っていた。


「街でペトロのポスター見た時は、こいつ何やってんの!? ってめっちゃ驚いたけど、同時にめちゃくちゃ安心しました。ちゃんと生きててよかったーって思ったのに、使徒もやってるって知って、こいつ何やってんだよ!? って、また心配になったけど。生きて再会できたならいっか! って思ってます。自分の過去をちゃんと話せるようになったのも、環境が変わってペトロが変われたからなんすよね。心配はさせられたけど、きっと、ペトロにとって一人になる時間は、さなぎの時間だったんだ。無事に羽化してめちゃくちゃ輝いてる姿を見れて、嬉しいっす!」


 するとアンデレは立ち上がり、二人に向かって気を付けの姿勢を取る。


「だから。ペトロを仲間にしてくれて、ありがとうございます! これからもよろしくお願いします!」


 そして屈託のない笑顔で頭を下げ、心からの感謝を伝えた。アンデレにとって彼らは、親友も救ってくれたヒーローだ。


「よろしくしたいのは、こっちの方だよ。唯一無二の逸材と出会えて、感謝しかないんだから。ね、ヨハネくん」

「それは、仕事の面でということですか?」

「両方かな」


 一切の遠慮も配慮もなく充実感を表に出すユダに、ヨハネは一瞬だけ不満を現す。けれど、その嫌な感情を認めたくなくて、すぐにそれから気を逸らした。


「でも。まぁ、そうですね。うちの看板になってくれて、事務所も安泰ですし……」


 その時。ユダとヨハネは悪魔出現の気配を察知した。


「さて。別の仕事が入ったね」

「ヤコブとシモンは今日は来られる範囲にいないので、行かないとですね」

「というわけで、アンデレくん。これから事務所を空けなきゃならないから、悪いけどきみも帰ってもらえるかな」


 ユダとヨハネは、焦らず慌てず出撃の準備を整える。


「急用っすか?」

「悪魔が現れるから、行かなきゃならないんだ。だから、大人しく帰ってくれるか」

「付いてっていいっすか!」


 またもや目を輝かせて、アンデレは食い付いた。事務所に入り浸るだけに留まらない使徒への好奇心を、全面に溢れ出させている。


「まぁ。付いて来るのは、別に構わないけど」

「追い付くの大変だと思うよ?」

「チャリで爆走するんで大丈夫っす!」


 アンデレはサムズアップする。付いて行く気満々だ。

 一般人のアンデレが付いて来ても、どうせ見学になる。素直に帰りそうにもないので、戦闘の支障にはならないと許可した。

 二人はアンデレを置き去りにして、悪魔の気配を感じるフリードリヒスハイン=クロイツベルク区方面へ向かう。

 その途中、ユダはヨハネに尋ねた。


「ヨハネくん」

「なんですか?」

「この前、結局聞けずじまいになって、その後も聞くタイミングがなかったんだけど。あの時、何を話したかったの?」

「あれは……。大したことじゃありません。また機会があったら話します」


 今切り出す話でもないので、そう答えた。だが、せっかくのチャンスを逃したヨハネは、もうそんな機会は訪れることはないのではと感じていた。




 シュプレー川を越えて到着したのは、飲食店やマーケットや映画館が並び、トラムも走る通りだ。中心街よりは人通りは少ないが、昼時が間近で往来する人の数は増えていた。

 二人が到着すると既にペトロがいて、近隣で働く人たちと協力して避難を促していた。


「早いねペトロ」

「ちょうど、この近くでデリバリーしてたから。悪魔はまだあの人の中」


 ペトロは指を差した。映画館が入る建物の前に、若い男性が蹲っている。

 もう少し避難の状況を見て戦闘領域レギオン・シュラハトを展開するため、ユダとヨハネも加わり人々の避難を急がせた。


「追い付いたー!」


 ある程度の避難が完了した頃、自転車を爆走させたアンデレが現場へ到着した。


「アンデレ!? なんでここに……」

「付いて来たいって言ったから。それだけなら支障はないし」

「まぁ、そうだけど。でも、もう戦闘が始まるから、お前も離れてろ」

「えーっ! 着いたばっかなのに!」

「外からでも薄っすら見れるだろ。だから早く!」


「アアアアア……ッ!」その時、蹲る男性が苦しみの叫声を上げた。


「早くしないとお前も巻き込むから! あと5メートルは離れろ!」

「わかったよー」


 ペトロが背中を押すと、アンデレは残念そうに仕方なく離れて行った。三人がいる場所から離れれば、戦闘領域レギオン・シュラハトを展開しても自動的に外に出される。


「よし! 大丈夫だ!」

戦闘領域レギオン・シュラハト!」


 ヨハネが領域を展開した。「∉ォ%σオッ!」それとほぼ同時に、男性の中から放出された黒い霧が形を成して悪魔が出現する。


「今回はノーマルだといいね」

「本当にそれな」


 三人は戦闘態勢を取った。だが。誰も想像していなかった緊急事態が発生した。


「おおっ!? なんか出て来た! これが生悪魔か!」


 戦闘領域内で、四人目の声がした。そんなことはあり得ないと三人が振り向くと、領域の外に出ているはずのアンデレがまだ領域内にいた。


「えっ!?」

「なんで……」

「なんでアンデレが、まだ戦闘領域内にいるんだよ!?」




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