とある日。悪魔出現の気配を感じ、ヨハネは事務所をユダに任せて現場へ向かった。
事務所から近く一番最初に到着したので避難を促していると、アルバイトを抜けて来たヤコブと、友達と遊んでいたシモンが到着した。
「えっ。アンデレ来るのか」
「さっき、『絶対行きます!!!』ってメッセージ来たから」
「遅かれ早かれ、慣れてもらわないとだからな。やる気があっていいじゃん」
「とりあえず。悪魔が出て来そうだから、領域展開して待ってみよ」
ヨハネに連絡したアンデレは仕事中らしく、抜けるのに一苦労しているようなので、
領域を展開して間もなく、倒れた二十代の男性の身体から出た黒い霧が異形の姿を成した。
「僕が
「おう。よろしく」
ヨハネは男性の傍らに腰を下ろし、いつものように
暗い深層へ潜ると、男性が膝と一緒に抱き枕を抱えて啜り泣いていた。
その周りには、名前が表示された着信画面のまま固まるスマホや、相手の男性と頬を寄せ合うとても仲が良さそうな写真。そして、一目では数え切れない数の赤いバラの花びらが一面に落ちていた。
悲泣する男性は、胸懐を吐露する。
「虚しい……。虚しい……。どうして、きみがいない世界で生きられるだろう……。自分はバカだ……。愚かだ……。救いようがない自分が、許せない……」
(大切な人を喪ったのか……)
写真に目を落とし、ヨハネは愁眉を浮かべる。
「きみは優しかった……。自分がどんなに怒っても、我儘を言っても、大きな腕で包み込んでくれた……。自分を大切にしてくれた……。それなのに、自分のたった一つの過ちが、きみを傷付けた……。別れなくなかったのに……」
大きな後悔を抱えるその言葉に、ヨハネは同調する。まるで、自分を見ているようだった。
「自分が間違ってたことに、あとになって気付いたんですね。本心じゃないのに、酷いことを言ってしまったと……」
「ただ、謝りたかった……。きみと、やり直したかった……。生涯をともにするって約束を、果たしたかった……。それなのに……」
「後悔だけが、罪悪感として残ってしまった……」
自分と似ていて、吐露される言葉たちが沁みて、古傷が疼くようだった。
「最後に、自分の気持ちを全部言いたかったのに、何も言えなかった……。悲しくて……苦しくて……絶望して……きみの命を、繋ぎ止められないかって……」
「後悔だけが残るのが、怖かったんですよね……。わかります」
(僕も、そうだったから……)
ヨハネは苦衷を滲ませる。男性との相互干渉が、少しずつ深くなっていく。
「時間を戻したい……。こんなに苦しめられる日々を過ごすくらいなら、彼を追い掛けた方がよかったんだろうか……。いっそのこと、その方が楽だった……」
「そうですね……。追い掛けてしまえば、罪悪感から解放される。後悔を繰り返すこともない」
(僕も
脳裏に甦る。輝いていた青春が、雨が続く鬱屈とした日々に変わり、太陽を見なくなった往日を。
啜り泣く男性は、止まらない後悔を吐き出し続ける。
「取り戻したい……。彼との幸せな日々を、続けたかった……。自分が愚かしくて、憎い……。こんな、虚しいだけの日々を呼んだ自分が……憎くくて、憎くくて、堪らない……」
(僕も、自分が憎い。あの幸せを取り戻したい。でも。もう、二度と……)
男性の一言一言が、自分の気持ちに置き換わる。深くなる相互干渉で、息が詰まっていく。
ヨハネは、自分に言うように男性に伝える。
「でも、戻って来ない。どんなに後悔しても、あの一度限りの幸せは、あの時間だけのものなんだ」
「じゃあ。どうしたら、この苦しみから解放されるんだ……」
男性は顔を上げ、目蓋を腫らした目でヨハネに問う。脳裏に一瞬、彼は誰時の静かな黒い水面が甦る。
「終わらせたのは自分がきっかけだって、痛いほどわかってる。愚かだったから、起きてしまったことも……。でも。だからこそ、ちゃんと区切りを付けなきゃいけないんです。わかっているから、次へ向かわなきゃならないんです」
「自分のせいで、彼の運命が変わったんだとしても?」
その言葉に、ヨハネは動揺を見せる。
「別れなければ、彼の運命は変わらなかった……。別れたから、彼の運命が変わったんだ……」
「…………」
ヨハネは言葉に詰まる。男性の感情に同調し過ぎ、抱いている感情がどっちのものか区別が付かなくなりそうになる。
しかし、どうにか自我を維持し、言葉を絞り出す。
「自分のせいで彼の運命が変わってしまったなんて、誰にもわかりません。あなたの罪悪感が、そう思い込ませているだけかもしれない。だから、あなたのせいじゃない。彼を喪ったのは、あなたの過ちが原因じゃない」
「自分は……悪くない?」
「きっとあなたは、罪悪感を抱くことで、未だ忘れられない彼への謝罪と思いを証明し続けている。でもそれじゃあ、あなたは苦しみから解放されない。だから、今いる場所から一歩進むんです」
「進む……。そんなこと……」
「大丈夫です。恐れることはありません。きっと彼も、あなたが次へ進むことを願っています」
「本当に……?」
「ええ」
(そう望んでいるのは、僕自身だ)
自分と重ね、心が引っ張られそうになりつつも、ヨハネは男性の側で膝を突いた。
「あなたが抱えているその痛みは、罪悪感と心中するための痛みじゃありません。その痛みを知っているなら、きっと次は大丈夫です」
その頃。悪魔と戦闘中のヤコブとシモンの元に、店のユニフォーム姿のアンデレが汗を流しながら到着した。
「やっぱり、もう始まってる!」
「来たな、新米!」
「二人だけ?」
「ヨハネは深層潜入中」
「おれは、何したらいい?」
「アンデレは戦闘能力ないから、ひとまずハーツヴンデ出して待機してて」
「わかった!」
防御と治癒専門だと判明した際にハーツヴンデを出せるのかも試して、具現化にも成功している。実践はこれが初めてだ。
(ちゃんと出せるかな)
「えっと……。
突き出した手に光が集まり、細長い形になっていく。そして、杖のハーツヴンデ〈
「出た! ヤコブ、シモン! おれのハーツヴンデ、上手く出せたよー!」
「おめでと!」
「ガキじゃねぇんだから、そんくらいではしゃぐな!」
「おれとこの感動分かち合ってよー!」
「状況見て言え、状況を!」
ヤコブとシモンは悪魔に追い掛けられていて、それどころではない。道幅は広いが、橋の上で対峙している二人に逃げ場はない。運悪く川に落ちても、アンデレの杖に乾燥機能はない。
後方待機を指示されたアンデレは、万が一のために戦況を見守るが。
「……ていうか。おれの出番なくない?」
(ヤコブもシモンも戦い慣れてるから、全然怪我してないし、防御も必要なさそうだなー)
多少、手子摺ってはいるようだが、苦戦はしていない。ヨハネがうまくやってくれれば、長引くこともないはずだ。
やることがないアンデレは、
知らない人の深層に潜るとはどういう感覚なんだろう……と、ぼんやり見ていると。ヨハネが、ハッと身体を起こした。
「二人とも! ヨハネさんが起きた!」
ヤコブとシモンはそれぞれのハーツヴンデを出し、ヤコブが鎖を断ち切り、シモンが悪魔を矢で射貫いて
「出番がなくて残念だったな、アンデレ」
「なんとか説得して、抜け出して来たのにー」
ハーツヴンデも出せたのにー、と活躍の場面がなかったアンデレはがっかりして肩を落とす。
「ヨハネ。大丈夫?」
シモンの声で二人は振り向いた。立ち上がってはいるが、ヨハネは具合が悪そうに街路樹に寄り掛かっていた。
「ああ……。ちょっと相互干渉し過ぎた」
「お。丁度いいじゃん。アンデレ、仕事だ」
「このくらい大丈夫だって」
アンデレの出番だが、ヨハネは精神治癒を拒んだ。しかし活躍したいアンデレは、挙手して主張する。
「やらせて下さい! せっかく来たのに何もしてないから、やった感を感じたいです!」
「やった感て……」
「なんのために、アンデレがいると思ってんだよ。治癒やってもらえ」
ヤコブの隣で、シモンはうんうんと頷く。アンデレも、目を輝かせて大きく頷く。
そのやる気に満ちた目を見てしまったヨハネは、断りづらくなった。
「……じゃあ。頼めるか」
「やってみます! 上手くできなかったらごめんなさい!」
自信がありそうなのに保険を掛けるアンデレに、ヨハネはフッと笑みを溢した。
少し緊張の面持ちのアンデレはヨハネに〈
「
唱えると、杖の丸い部分が白光を放った。その、ほのかに温かく感じる光を浴びていると、ヨハネの顔色がよくなっていった。
初めて治癒を施したアンデレは、不安そうに窺う。
「どうです?」
「うん。よくなった」
「成功っすか?」
「成功」
「やったー! 初めてのやった感だー!」
アンデレは、両手を上げて初めての成果に喜んだ。
「よかったね」
「これでお前も、使徒の一員だな」
「はいっ! 不束か者ですが、よろしくお願いしますっ!」
「不束か者じゃなくて、未熟者だろ」
戦闘領域が解除されると、一部始終を見ていた一般人が、アンデレの仲間入りを歓迎して激励の雨あられを降らせた。
こうしてアンデレは、正式に使徒の仲間となった。