椿から預かったブレスレットは、バングルタイプだ。銀素材でできた、細いユニセックスなデザインである。彫られているトライバル柄の彫刻もまた繊細で、ただの商品としてだけ見れば千尋でも好印象のデザインである。
それでも、峰から椿への贈り物だという事実だけで……このまま力任せに、捻じ曲げてしまいたくなる。実際店頭の在庫品すら、整理するたびにいつも憎しみの目で見てしまっていた。客への商品提案の時すら、視線に入れようとしないほどにまでいつも意識している。
(落ち着け、僕。これは仕事なんだ)
このバングルには何も罪はない。むしろ、あの男を驚かせるくらい綺麗に磨き上げてやろう。そう思ったのに。
(何でだろう……黒ずみが全然無い)
銀素材は皮脂汚れや空気接触による化学反応で、素材そのものに黒ずみが発生しやすい。それなのに、このバングルにはそういったところが見当たらない。実際、洗浄薬剤であるシルバーポリッシュを付けてもさして変化はなかった。
もしかしてまともに使用していないのか、とも思ったが摩耗傷はたくさん見えた。つまり……かなり丁寧に手入れした上で、大切に身につけているということだろう。
(それを見せつけたいってことか)
あまりにも性格が悪すぎる、が……自分でも、同じ立場ならそうするはずだ。相手が分不相応に浮かれないように、マウントで叩き潰そうとする。自分の性格は自分が一番よく分かっている。
つまり、あの男もまた千尋を潰そうとしているのか。そう考えると、辻褄そのものは合う。
峰がどこまで自分のことを彼に話しているかは分からない。しかしそれを踏まえても、彼は千尋をどこかしら意識はしているのだろう。
(僕が特別だから? それとも、他の男全員にやってる?)
だとすれば大した暇人である。そう思いながらも、千尋はひたすらバングルを磨いていた。
摩擦熱でバングルブレスレットが熱くなるくらいにまで綺麗に磨くと、バングルは照明の光を弾いてきらきらと輝いた。これなら、申し分ないだろう。
千尋は椿の元へと歩み寄った。彼はすぐに気付き、バングルに目をやる。
「うわ、めっちゃ綺麗じゃーん」
「……しっかり磨きましたので」
思いの外素直に喜ばれて、面食らう。椿はバングルのぬくもりを気にすることもなく、嬉しそうに腕に装着しなおした。
「うん、いい感じ。どう?」
「ど、どうって……お似合いだと思いますけど」
本当はそう口にすることすら腹立たしい。しかし、椿はそんな千尋の心を見透かしたように笑った。
「でしょ。悠一郎の、愛の証っていうか?」
ゆういちろう、という言葉に一瞬ピンとこなかった。しかし、理解した途端……全身の毛が逆立つほどの熱が体から湧き出す。そんな千尋の顔を見て、椿は「こっわ」と笑った。
「ああそっか、元教え子だもんね君。先生って呼んでるんだっけ」
ニヤニヤ笑うその綺麗な顔を張り飛ばしてやりたい。その感情だけで何も言えずにいると、椿はようやく腕をおろした。
「はは、すげえな悠一郎。めっちゃ愛されてんじゃん」
「あの!」
思わず、大きな声が出た。ようやく、椿は笑みを止める。
「あなたは、先生の何なんですか」
声が震えていることを察されたくなくて、何とか絞り出したと言えるくらいの小さな声を突き渡す。それでも聞こえたのか、椿はぽりぽりと指で頬を掻いた。
「何って……ねえ。うーん、強いていうなら世話役筆頭ってところかな」
「ひ、っとう?」
思いの外さらりと返された言葉に、目が勝手に丸くなる。そんな千尋が面白いのか、椿は再び笑みを浮かべた。
「そっかぁ、君まだ全然あいつの周りのこと知らないんだ。まあ悠一郎も自分からは言わないか、面倒くさがりそうだし」
分かったように言うその姿もまたマウントを取られている気分になりむっとすると、椿は首を傾げた。
「じゃあ逆に、何を知りたい?」
「何って……」
「別に守秘義務とかないし、会社でもないから。別に何でも教えてあげられるけど?ああでも、聞いたら新人くん泣いちゃう?」
ようやく、彼のいう新人の意味を理解した。彼はこの店に初めて来たと言っていたし、千尋がこの店の新人ということを知っていてもわざわざそうは呼ばないだろう。つまりこれも、マウントだ。
しかしここで狼狽えては、この男の思うつぼだ。だからこそ、言い返す。
「まるでお局ババアみたいなこと言うんですね」
千尋の一言に、椿は一瞬固まった。やってやったと思わず笑ってしまいそうになるが、必死に堪える。しかしすぐに椿は持ち直した。
「まあそうかも? 他の世話役よりは俺が一番古株だし」
「だからマウントを取るのがお上手なんですか、すごいですね」
一度言い返すことができれば、すぐに頭が冷えてきた。同時に、空気も一気に冷えていく。実際椿の目元からは取り繕いの笑みすら消えていた。
しかし、すぐに……椿の口角が、上がりだす。
「あははははっ!」
いきなり声を上げて笑い出した椿に思わず面食らうも、そんな千尋に構わず椿は目の端に涙を浮かべて笑い続ける。彼はひとしきり笑って、ようやくひいひい言いながら呼吸を整え出した。
「うるせえな、クソガキがよ」
その声は、明るかった。別に冷えていなかったし、むしろさっきまでの敵意すら消えているように思えた。だからこそ、混乱する。この男の意図が、一切見えなかった。