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第22話-覚悟がなかったのは、僕だった

 幸い店長は自分の接客の盛り上がりから離れられないらしく、千尋と椿のやり取りを見てすらいないようだった。冷静になってきたおかげで周囲が見えるようになり、そのことに安堵する。


「あー、笑った笑った。でもいいね、思ったよりは面白いじゃん君」


 まるで見せ物になっている気分になり、むっとする。


「そんなこと言われても、全然嬉しくないんですけど」

「知らねえよそんなの」


 言葉は強くなってるはずなのに、さっきよりは明らかに取り繕った感じがしないだけ聞きやすい。そのことに安心していいのかはさすがに分からなかった。


「で、本当に知りたいことないの? 俺この後まで時間あるから暇つぶしたいし全然話できるよ」


 あけすけにも程がある気はするが、冷静になると聞きたいことは山程浮かんできた。千尋は「それじゃあ」と口火を切る。


「あなたと先生は、その……どんな関係なんですか」


 千尋の言葉の真意を汲み取ろうとしているのか、椿は一瞬だけ黙った。そして。


「さっきも言ったっしょ、世話役の筆頭。つーか、今のメンバーじゃ一番古株。何年の付き合いかはもう忘れた」


 それだけ長くいる、ということか。もしかすると、自分と峰の出会いよりも長いのかもしれない。その予測だけで、泣きそうになる。自分にとっては長年彼を想ってきたという自負がとても大きなものだったのだと、改めて思い知る。

 しかし椿はそんな千尋に構わず、続けた。


「でも俺が初代ってわけじゃないよ」

「え」

「俺の前にも何人かいた。でも多分世話役ってよりは、どっちかというと都合いいセフレって感じ」


 改めて単語として聞くと、胸の奥がぎちり、と締まった。確かに、今までの流れからしてそういう関係の人間がいないわけがないそして何より、あの時の峰の言葉。


『お前にはどうせ出来ないよ、どうせ何も経験なんてないんだろ』


 目の前のこの男も、もう峰との肉体関係を結んでいるのだろう。その事実に、心臓がどくり、どくり、と騒ぎだす。一歩間違えれば、嘔吐しそうだ。


「大丈夫?」

「……お店、なんで」


 実際その事実が、千尋の胃を塞いでいた。そんな千尋に「プロだねぇ」と楽しそうに椿は嘯く。


「まあ安心しなよ、そいつらは皆俺がとっちめたから」

「と……?」

「なんせもういない、ってこと。だからそれに関してはもう考えなくていい」


 椿は不意に、陳列棚に乗せてある指輪に触れた。サイズの大きなそれを手当たり次第指に嵌め始める。


「今いる世話役は、俺たち合わせて5人とかそこらかな」

「5人……」


 思ったよりいる。そのことに改めてショックを受けていると、椿は別の指輪を試し始めた。


「って言っても悠一郎が呼ぶ時しか皆来れないから、頻度で言うと月1あるかないかじゃない? あーでもよく考えたら、関係を綺麗に切ってないって意味では下手すりゃ10人くらいいるかもな」

「あなたは、どうなんですか」

「呼ばれる頻度? 聞いたら泣いちゃうかもよ」


 その一言で、察した。きっと彼は、千尋と比べ物にならないくらいにまで峰に欲されている。その事実がたまらなく……憎くて仕方ない。

 迫り来る吐き気を、服と肌越しに胃をつねることで必死に押さえる。椿はそれが楽しくて仕方ない、とでも言いたそうな顔だった。


「でも新人くんは呼ばれてる方だと思うよ。だって悠一郎と再会してから……一ヶ月も経ってないんだっけ」

「あの、その新人くんってやめてくれませんか」


 何となく鼻についてそう言い返すと、「ごめんごめん」と椿は笑った。まるで反省している様子が見えないのも、また腹立たしい。


「まあ千尋くんはアレか、元の関係があるもんね。先生と生徒っていう」

「思ったんですけど、どこまで聞いてるんですか? 先生から」

「んー」


 椿は笑いながら、試していた指輪を抜こうとする。しかし、うまく抜けないらしい。千尋は見かねて「貸してください」と椿の手を取った。そして、彼の指の皮を押しのけるようにしながら指輪を外していく。


「へえ、やっぱプロだね」

「そりゃ……まあ」

「で、どこまで悠一郎から聞いているかって? そうだね」


 指輪に気を取られていた千尋の後頭部に、手の平が回ってくる。まるで椿に抱き寄せられるかのような形になり、息を飲んだ。そんな千尋の耳元で、椿は囁く。


「生徒とは、恋人になるつもりはないってところまでかな」


 的確な、一撃だった。

 ずるり、と指輪が抜ける。椿はそれを陳列棚に戻した。


「あ、そろそろ時間だわ。じゃあ俺行くね。暇つぶしのご協力、ありがと」


 椿は最後まで笑っていた。爽やかながらも、意地悪な色の光を宿した目のままで。

 ほぼ同時に、店長が接客していた団体客も退店していった。それを店頭まで見送った店長が、千尋に背後から近づいていく。


「いやーまいったまいった、まさかあれだけ一気に試着……って、千尋くん?」


 店長の声に反応しようとしたが、それよりも先に足の力が抜けた。そのまま、その場にへたり込む。

 全身が、熱いのか寒いのか分からない。ただ分かるのは、心臓が裏返ってしまいそうなほどに鼓動を打ち付けていることだけだ。同時に胃もぐるぐる回る。世界が、揺らいでいく。


「千尋くん、大丈夫!? 体調悪い!?」


 店長の問いかけにすら、まともに答えられない。ただ、喉からひゅう、ひゅう、と隙間風のような音が出るだけだった。


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