11月28日。それまで、結局峰に会うことはなかった。ただ、この日のための打ち合わせのような連絡は小まめに取り合っていた。ちなみに椿とは連絡は取っていなかった。
連絡を取り合っているおかげか、千尋の精神は比較的落ち着いていた。浮き沈みが激しい千尋の中では、珍しく落ち着いているといってもおかしくはない。
(もしかして、会っていないからこそかも)
あんなに激しかったのも、もしかすると六年ぶりの再会の反動だったのかもしれない。案外、会わない方が自分の心の平静を保てるのかもしれないとすら思えていた。
午前七時に起床し、千尋はシャワーを浴びた。そして身支度を整え、ピアスを着ける。もうあのピンクトルマリンのファーストピアスは、穴が安定したのもあって外していた。耳ほぼ一帯が、銀色に染まっていく。
峰からもらったピアスは、何となく着けないでいた。ささやかな反抗心だ。
今の家は実家とは反対方向の街なのもあり、かつての通学路以外の行き方で母校へ向かうのはどこか新鮮だった。電車に揺られながら、なんとなく手汗をかいていることに気付く。
(やっぱり、緊張するよな……)
いくら気持ちが落ち着いてきたとはいえ、相手は峰だ。それだけで、どうしても緊張してしまう。
(オムライス作りに行った時は、緊張だけじゃなくてドキドキもあったんだけど)
それが今日の再会でどうなるか、だとは思う。
もし久々に会っても彼に何とも思わなければ、もう自分から絶ってもいい。あれだけ自分からそばにいたい、と志願したがそれを過去の話にだってできるかもしれない。
(結局僕の覚悟が足りなかったってことなんだろうな)
そう心の中でひとりごちながら、千尋は電車を降りた。
西沢高校は最寄駅から徒歩15分ほどの位置にある。学校付近だと混雑するだろうから、ということで峰は待ち合わせ場所を駅に指定してきた。
時計を見ると、待ち合わせまであと10分はある。しかし、スマートフォンには「西口にいる」とメッセージが入っていた。ごくり、と喉を鳴らし西口まで向かう。
どうやらここで待ち合わせをしている者は多いようだが、それでもすぐに見つけた。黒いチェスターコートが、彼のスタイルの良さを際立たせている。その姿を見た途端、胸の奥に何かを打ち込まれたかのような感覚になった。
(……駄目だ、やっぱり格好いい)
胸の奥が、熱くなる。なぜだか無性に、泣きたくなる。別に彼の容姿だけで惚れたわけではないのに、姿を見ると……恋心が、再燃する。
峰自身すぐに千尋に気付いたらしく、こちらを向いた。その視線にも、息を呑んでしまう。
「早かったな」
こちらへ向かって歩み寄りながら、峰は呟いた。慌てて、首を振る。
「こ、この時間に着くのじゃないと遅れそうだったから」
「そうか」
久しぶりに聞く声も、淡々としているはずなのに熱く感じる。そういえば最近メッセージのやり取りばかりで、声を聞くのは久しぶりだった。
峰は「行くか」と千尋に目配せして歩きだす。千尋は慌てて、追うように足を速めた。
「先生は、もっと早くついてたの?」
「ああ。さっきまで煙草吸ってた」
確かに、ほんの少し煙草の匂いがする。しかしそれすらも、まるでスモーキーな香水のようにすら感じてしまう。それだけで、もう……痛感してしまった。
(やっぱり、忘れることなんてできない)
「金森?」
「あ、ううん、ごめん」
どうやら足が止まっていたらしい。慌てて、走って追いつこうとする。しかし、その時だった。
かつん、とつま先に衝撃が走った。
「わっ」
段差があることに、気づかなかった思わずつまずきそうになった千尋を、峰が駆け出して受け止める。千尋はまるで、峰に倒れ込むようにしてもたれかかってしまった。
硬い胸板に、千尋の頭がぶつかる。慌てて上を見上げると、峰の呆れ切ったと言わんばかりの表情が目に入った。
「ったく、危なっかしい」
峰の呟きに、ようやく現状に気付く。顔が熱くなるのを感じながら「ご、ごめんなさい!」と慌てて姿勢を正した。
初めてだ。ここまで、彼の熱を感じたのは。
「別に遅刻してるわけじゃねえんだから、慌てなくていい」
「う、うんっ」
峰は再び、歩き始めた。ふと、彼の手に目がいく。男らしい、節のある手だった。
(……繋ぎたいな)
彼の熱を、一瞬でも感じてしまったせいで。急にそんな欲が、湧いてしまった。
しかし峰のことだ、きっと許さないだろう。彼は教師としての面子を大事にしているので、かつての職場とはいえ学校のそばの場所でそんなことをさせてくれるとは到底思えない。
ふと、思い返す。あの日、初めて椿を見た時のことを。彼は、峰の腕に自身の腕を絡ませていた。つまり彼ほどの立場になれば……あれくらいのことができるようになるということだろう。それも、恋人ではなかったとしてもだ。
(いつか、繋げるかな)
さっきまで、関係を断つことすら考えていたのに。自分の心の手のひら返しに、我ながら呆れてしまう。
やはり、自分は彼から離れることができない。