私の嫁入りは酷く簡素なものだった。
出発をするときの見送りに家族はいなかった。家令の一人が私を見張るように見送っただけ。
辺境まで送ってくれた魔導伯家の馬車は、家門こそ入っていたものの質素な物だった。
元々私の荷物はとても少なかった。
けれど、申し訳程度の嫁入り道具の準備も実家ではしなかった。
そういう扱いの娘だったからだ。
それに対して悲しむという感情は長い虐げられることが当たり前の環境で育ったため、もう擦り切れてしまったのだと思う。
私が気にしたのは、嫁入り前の未練の様に仕事道具を一式持ってきてしまったのが少し馬鹿みたいだと思っただけだった。
辺境までは王都から片道五日ほどかかった。
岩肌が目立つ山を馬車の中から眺めながら、私の旦那様になる人のことを思い出した。
ほとんど顔も合わせていない婚約者は丁度三年程前に両親を亡くしていた。
そのお葬式に出席したのが最近顔を見た最後だった。
なんと声をかけていいのか分からず、そんな気の利いたことができる訳がない私は、そっと彼にハンカチを渡しただけだった。
特にその時に何か婚約者らしい会話をした記憶もない。
それ以外たまに手紙を出し合う位で顔を合わせたのは両の手で足りてしまう。
親のというよりも国の利害のための婚約だと、私も旦那様になる人も良く理解していた。
だから、あまりお互いのことを知ろうともしなかったし、私も旦那様になる人のことをよくは知らない。
そういうものなのだという諦めがあった。
その位しか役に立たないのだからと家門の者に言われ続けたのもある。
関所を超え、彼の領地に入ったけれど迎えは誰もいなかった。
そうだろうと思ったけれど、少し、なんだろう。
そういう時の気持ちについて考えることはもう随分前にやめてしまった。考えてもあまり意味がないからだ。
とりあえず迎えが無かろうと私を伯爵家の人間に引き渡すまでが御者達の仕事だ。
淡々と馬車は進んだ。
外を眺めていても、家々はまばらでそして、農地も余り状態が良いようには見えなかった。
けれど、治水に関しては行き届いており管理された川と橋がいくつか見える。
再会した彼、キリアン様は何というだろうと思った。
両親は事情は全て説明して彼も納得していると言った。
彼は今どんな思いなのだろうと考えた。
国のために私を押し付けられて、少なくとも喜んでいないことだけは彼の領地に入った際の状況で分かった。
嫌悪感に滲んだ目で見られるだろうか。
ここが私の朽ち果てる地となるのだろうかと景色を眺めた。
* * *
キリアン様のお屋敷はお葬式の時に訪れた時と同じ、古い豪族が使っていたという古城をリノベーションして使っている重厚な雰囲気の建物だ。
二度程しか訪れたことが無いけれど、この建物のことが私は密かに好きだった。
広いお屋敷には沢山の人が勤めている筈だ。
少なくともキリアン様のご両親のお葬式の時は沢山の使用人たちがいた。
けれど、出迎えた使用人はまばらで、あまり待たされなかったとはいえ出迎えたキリアン様も普段着のままに見えた。
こういう時はきちんとした服装をすること位、私でも知っている。
「ニコル。久しぶりだね。」
そう言われて私は会釈をした。
それからキリアン様は「それで、何故結婚がこうも早まったのか君は知っているかい?」と聞いた。
その言葉を聞いて私は、ああ、私の両親は私にまた嘘をついたのだと思った。
私のことをぞんざいに扱っていいと考えているあの家の人たちは、同じように魔法使い以外をぞんざいに扱ってきた。
だから、今回も大切なことを言わないで義務を果たせばそれでいいとばかりに私を送り出したのだろう。
それであれば、キリアン様にきちんと本当のことを言わねばならないとも思った。
けれど、私が本当のことを言う勇気を振り絞っている間にキリアン様は私が何もわかっていないと判断したのだろう。
「どうせ王都の政治の都合なのだろう?
そもそもこの結婚自体がそういう事情なのだから」
そう、自己完結してしまったキリアン様を見上げる。
それから、キリアン様は家令と思われる男性に何か耳打ちされてからこちらを見た。
「ニコル=ブラン。
魔法の力は開花したのか?」
私の名前をフルネームで呼ぶ。それは魔導伯のブラン家のものとして聞かれているのだとわかった。
私は静かに首を横に振り「いいえ」と振り絞る様な声で言うしかなかった。
初めて彼が私の何かに興味をもち、そしてその瞬間私への興味が完全に消え失せてしまったように思えた。
「そうか」
キリアン様は静かに返した。
初めから予想していたような声だった。
予想していたから迎えは無く。
予想していたから、出迎えもまばらで。
予想していたからこそ、今まで執務をしていましたという姿で私のことを出迎えたのだ。
「申し訳ありません」
何度口にしたか分からないその言葉を告げる。
「こればかりは仕方のない事だ」
キリアン様は言った。
「今日は客室を用意してあるから旅の疲れをとると良い」
そう言い残すとキリアン様はその場を後にしてしまった。
この後のことも何も無かった
婚約者としても扱われておらず、晩餐を共にという事も無く、勿論結婚式についての話も無かった。
ニコルは侍女などは連れてきていない。
元々実家でもニコルの世話をするものは誰もいなかったからだ。
そういう者についての説明も無かった。
婚約者としてもこれで結婚をする夫人としても扱うつもりがない。
そういう態度だった。
年かさの女中がしずしずと歩み出ると「私がご案内いたします」そう言った。
使用人たちが少ない私の荷物を持ち、客間に案内された。
そこはきちんと掃除もされているし、悪趣味でない落ち着いた家具で統一されていた。
「荷解きは私がやります」
中身はあまり見られたくない物ばかりだった。
ニコルはそう言うと、女中は頭を下げる。
それから、「夕食は部屋にお持ちしますね」と言った。
彼女が名乗らなかったことには気が付いていた。
けれど、それが私にとってあまりにも普通なので放置してしまった。
それがこの家の不信感の表れなのだと私は気が付かねばならなかったのに。
そういう部分に敏く無ければ貴族として生きていけないということにさえ私は気が付けなかった。
その後、夕食が運ばれてきた。
いつも食べている物よりとても豪華で、この家の、ドゴール家の夫人となる人間を迎え入れるための食事として全くふさわしくないということにまで頭は回っていなかった。
むしろ、上等な食事を出してくれて感謝していた。
柔らかなパンが出てきただけでひそかに感動してしまっていたのだ。
その様子を貴族としてふさわしくないと見ている人間がいると思わなかった。
私は貴族としてきちんと使用人達をしかりつけなければならない立場だったらしい。
* * *
数日後、キリアン様に呼びだされた。
それまでは何もすることが無かった。
ただ、「お部屋にとどまっていてください」と言われるばかりだった。
何もすることは無かったので、家から持ってきた思い出の荷物ばかりを見て過ごした。
結婚式についてのあれこれも何も無かったけれど仕方がないと思っていた。
義務としての結婚だ。
ウェディングドレスをどうしようとか、そういうものにならない事だけは分かる。
憧れがあった訳ではない。
けれどずっとこのままこの部屋でだけ過ごすのだろうかと少し心配になっていたところだった。
呼びだされた私の真向かいのソファーに座るキリアン様はむっすりと難しい顔をしていた。
これからされる話は私にとってあまりいい物ではないのだろうと、彼の表情だけで気が付いてしまった。