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2.カサンドラ騎士団は混乱に陥った

 カサンドラ騎士団で実力派騎士、ダミアン・アーレが退団した。

 ライムントは愕然として副団長のラルスに迫っていた。

 ライムントが団員の意見を背負ってラルスのところに来たが、他の団員もダミアンがいなくなったことに関して驚き、カサンドラ騎士団は困惑の中にいた。


「ダミアンはなぜ退団するなどと言ったのですか?」

「気持ちは分からんでもない。ヒステリックなゴブリンのような令嬢に香水臭い手紙を押し付けられ、発情したナルシストなオークのような令息に橋渡しを頼まれ……彼は疲れていたんだ」

「どうして止めてくれなかったんですか、ラルス副団長!」

「あの憔悴した顔を見ると、ついうっかりと退団願いを受け取ってしまったんだ」


 ダミアンはカサンドラ騎士団の全員に愛されている。

 平民ながら剣の実力は騎士団一で、騎士団長のカサンドラ王女も認める凄腕の騎士である。それだけではなくて、ダミアンは細やかな心遣いができた。


 騎士団の宿舎には使用人がいて、掃除専用のものもいるのに、共用の広い浴場の排水溝が詰まりかけていると何も言わずそれを掃除し、シャンプーやコンディショナーの詰め替えなどの細々した仕事も進んでしてくれて、カサンドラ騎士団の厩舎に通い馬の世話もしてくれていた。

 疲れている団員がいるとそっと温かいお茶を差し入れて、美味しいお菓子も付けてくれて、落ち込んでいる団員がいると寄り添い話を聞いてくれる。


 ダミアンはカサンドラ騎士団の癒し枠だったのだ。


 それがカサンドラ騎士団を退団して失踪してしまった。


「ラルス、どうして引き留めなかった」

「カサンドラ殿下もダミアンのあの顔を見れば引き留められませんよ。わたしではなく、ダミアンを悩ませた令息令嬢を恨んでください」


 団長であるカサンドラも苦々しい表情になっている。

 恋愛感情はないが、カサンドラもラルスもダミアンを非常にかわいがっていた。

 他の団員達だって、押し付けられる臭い恋文に嫌々ながらお断りの返事を書いていたのは、無視すればダミアンが恋文を渡さなかったのではないかと疑われるという心遣いだったのだ。

 それがダミアンを更に追い詰めていただなんて知る由もない。


「ライムント、そなたが早くダミアンに告白しなかったから、いけないのではないか? 告白していればダミアンはそなたを理由に留まってくれていたかもしれない」

「カサンドラ殿下!」


 基本的に団員はダミアンをかわいがってはいるが、恋愛感情は抱いていない。

 このライムント・ベルツ以外は。


 ライムントは騎士学校でずっとダミアンと同じ学年で、座学では負けていなかったが、剣術と体術では負け続けていた。体格がいいだけでなく、思いもよらないトリッキーな動きをするダミアンは、上級生と試合になっても負けたことがない。


 平民ということで騎士学校の中でもダミアンを蔑むような声が上がったこともあるのだが、それを全部ダミアンは実力で黙らせてきた。ダミアンの着替えを隠したり、私物を壊したりするような奴らには、正々堂々と決闘を挑み、全て勝って二度とさせなかったのだ。


 そんな男らしく格好いいダミアンをライムントは好きだった。

 友人としての好きではなく、恋人になりたい、あわよくば結婚したい下心のある好きである。

 それなのに、ライムントは騎士学校でダミアンと出会ってから十三年、告白することはおろか、ダミアンに気持ちを気付いてもらうことすらできなかった。


 上司であるカサンドラはライムントの気持ちに気付いていて、ずっとライムントに言っていた。


「早く告白しないか。安心しろ、カサンドラ騎士団は産休も育休も当然しっかりと取れる。安心して育児もできるぞ」


 同性同士でも子どもができるこの世界において、同性同士の結婚は珍しくない。カサンドラに何度背中を押されてもライムントはどうしてもダミアンに告白できない理由があった。


「わたしがダミアンより強くなったら……ダミアンに手合わせで勝てるようになったら告白します」

「何を回りくどいことをしているのだ。勝つまで告白しないなどと言ったら、一生告白できないぞ? ダミアンはカサンドラ騎士団一の手練れだからな」


 カサンドラの言うことももっともである。騎士学校で出会ってから十三年、ライムントは一度もダミアンに勝てたことがない。ライムントもかなり強い方でいい線までは行くのだが、いつもダミアンにひっくり返されて負けてしまう。


 座学では勝っているのだからいいのではないかという思いもあるが、ライムントはどうしてもダミアンに勝ちたい理由があった。


「ダミアンは今、どこにいるのですか?」

「それが全く分からないのだ」


 退団した後のことをダミアンは何も語らずにカサンドラ騎士団から出て行ってしまったようだった。

 困惑するライムントにカサンドラが命じる。


「ダミアンを捜索せよ。探し出して、カサンドラ騎士団に戻ってきてもらうのだ。それができなければ、定期的に王都に顔を出し、手紙でも近況を伝えるように頼んでこい」

「カサンドラ殿下、拝命しました」


 騎士の礼を取って、ライムントは団長と副団長の執務室から出る。

 団長のカサンドラは副団長のラルスと婚約しているが、弟のエーミールが成人するまでは結婚はしないとラルスに待ってもらっている。二人の執務室は同じ部屋で、カサンドラ騎士団の団長と副団長は仲睦まじいのだ。


 初めにライムントが向かった先は、乗合馬車の乗り場だった。

 ダミアンは騎士ではあったが、感覚は庶民である。騎士の間は自分の馬を使い、迎えが来たときには豪華な馬車にも乗っていたが、自分で馬車を借りて王都を出るようなことは考えないだろう。

 一台馬車を貸し切りにするとかなりの金額がかかる。その点、乗合馬車なら多少狭くて休憩も決まった時間にしか取れずに不便はするが、割安になる。


 乗合馬車の停留所で、ライムントは停留所を守っている警備兵に問いかけた。


「わたしはカサンドラ騎士団のものだ。昨日、褐色の肌に黒髪の男性がここから馬車に乗らなかったか?」

「その特徴はこの国の七割以上の国民に当てはまります」


 褐色の肌に黒髪はこの国では珍しい色彩ではない。寒冷な辺境生まれなので白い肌に金色の髪のライムントはそのことを忘れたわけではなかった。


「その男性はわたしよりも背が高くて、武骨な剣を下げていたはずなのだ」

「武骨な剣……そういえば、元騎士だという男性が馬車に乗るのを見ました。とても背が高くて鍛え上げた体付きだったので覚えています。馬車の護衛をするので料金を下げてくれるように交渉していました」


 それはダミアンに違いない。

 警備兵として体格のいいこの男性ですらとても背が高いと言って、元騎士で、乗合馬車に乗るようなことをして、護衛をするから値段を下げろなどと交渉するのはダミアンくらいだろう。


「その馬車の行き先は覚えているか?」

「確か、辺境だったかと」


 この国の辺境域は北にあり、うっそうとした森で隣国と接している。ライムントにとっては生まれ故郷だが、ダミアンにとっては全く知らない土地のはずだ。

 ダミアンは王都の下町で生まれ育ち、両親と双子の弟妹がいると話を聞いたことがある。

 王都の下町に戻ればすぐにカサンドラ騎士団の団員に見つかるから辺境に行ったのか。


「ありがとう。また何か思い出したらカサンドラ騎士団に来てくれ」


 礼を言ってライムントは一度カサンドラに報告に戻った。

 カサンドラはラルスと共に執務室で書類仕事をしていた。


「カサンドラ殿下、ダミアンの足取りがつかめました」

「ダミアンはどこへ行ったのだ?」


 その問いかけにライムントは顔を上げて答える。


「辺境域へ行く乗合馬車にダミアンらしき男性が乗ったと聞きました。途中で降りる可能性もありますが、辺境に移住するつもりかもしれません」


 王都から辺境域までは馬車で数日かかる。

 その途中で降りて住む場所を探す可能性もあるが、ダミアンは王都から一番遠い辺境域を選ぶのではないかとライムントは考えていた。それだけ短絡的で潔い男なのだ。


「辺境はそなたの出身だったな」

「はい。わたしの叔父が辺境伯を務めております」


 ライムントは辺境伯の妹の息子だった。三男なので家を継ぐ必要もなく、十一歳で騎士学校に入って騎士になることを決めた。


「追いかけるなら早い方がいいだろう。すぐに準備をして馬車を飛ばせ」

「途中の町で降りる可能性もありますので、途中の町にも寄りながら追いかけたいと思います」

「頼んだぞ、ライムント」


 カサンドラ騎士団の癒し枠であるダミアンを連れ戻すか、カサンドラ騎士団を離れる決意が固いのだったら、王都に定期的に顔を出させて手紙で近況を知らせるように頼むか、どちらかを果たさねばならない。


「ついでに告白してきたらどうだ?」

「そ、それは……」


 応援してくれているのは分かるのだが、ラルスに言われてライムントは言葉に詰まる。

 まだ告白はできない。

 ダミアンに勝てないまでも、実力を示すことができるまでは。


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