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5.ダミアンの辺境での一日目の終わり

 辺境に来て一日目でライムントに見つかってしまった。

 ライムントはカサンドラの命令でダミアンを追いかけてきていたようだった。

 ライムントは言った。

 カサンドラ騎士団を急に辞めてしまったことについて、カサンドラが戻ってきてほしいと思っていること。カサンドラ騎士団の騎士たちも急に辞めてしまったダミアンに戸惑っているということ。

 それに対してダミアンは断った。

 もうカサンドラ騎士団に戻る気はないと。

 断るとライムントは更に、戻る気がないのならば、定期的に王都に顔を出して、手紙を送って近況を知らせることを伝えてきた。

 辞める自由まで取り上げられはしなかったが、カサンドラはダミアンに奇妙なことを頼んでくる。カサンドラ騎士団を辞めた騎士のことなど忘れてしまっても構わないのに。

 どうしてそんなことをしなければいけないのか分からないダミアンだったが、カサンドラ騎士団のカサンドラや騎士たちが自分を惜しんでくれていることはありがたく思っていた。


「そうか……大事な仲間か」


 ダミアンにとってもカサンドラ騎士団の仲間は大事だった。大事だからこそ、恋文の取り次ぎを断れなかった自分が許せなかったのだ。

 はっきりと「大事」と言われると嬉しくて「へへっ」と笑いを零すダミアンに、ライムントも微笑んでいる。さらさらの金髪を長めに伸ばして一つに括ったライムントは、目も澄んだ緑色でとても美しい。恋文を届けたがる令嬢や令息の中には、ライムントの目をエメラルドに例えたものもいたので、ダミアンはエメラルドの実物を見たことがなかったが、きっときれいなのだろうと思っている。


 嬉しくなったのでライムントを新居に誘うと、ライムントは快く頷いてくれた。

 それほど急ぐ旅でもなかったようだ。


 それだけでなく、ダミアンの買い物に付き合ってくれて、最終的には持てなくなった荷物を馬車で運んでくれるとまで言ってくれる。

 さすがは騎士学校時代からの親友。

 ここぞとばかりにダミアンは毛布や布団なども買い込んでライムントの馬車に乗せた。


 ライムントは馬車を借りて自分で操って辺境まで来たようだ。

 乗合馬車が出てからライムントがダミアンを追いかけるまでかなり時間があったはずなのだが、それほど時間差なく追い付けたのはそういう理由だったのだ。

 乗合馬車はひとをたくさん乗せているし、馬も若くて元気なものばかりではない。どうしても速度はライムントがカサンドラ騎士団で用意された馬車よりも劣ってしまう。


 辺境の外れの小屋には馬一頭分の厩舎しかなかったので、ライムントを乗せてきた馬車の馬は厩舎の柱に繋いで、水と餌を与える。ダミアンの馬にも水と餌を与えて、小屋の中にライムントを招き、暖炉に火を起こしてチーズを炙ってパンの上に乗せて夕食にした。

 辺境域で茶葉を買うのは初めてだったので、匂ってできるだけ好みのものを買ったつもりだったが、少し濃かったようだ。ミルクティーによさそうな茶葉だった。


「牛乳も買っておけばよかったかなぁ」

「これ以上買うつもりだったんですか? それに、牛乳は腐りますよ」

「そうだな。冬場なら雪で冷やしておけばいいんだろうけど」


 そんなことを言いつつも、ダミアンは雪を経験したことがない。

 小さなころに親戚がいたので辺境域に来たこともあったはずだが、そのときは冬ではなかった気がする。


「雪ってどんなだろうなぁ。ふわふわしてるのかな」

「そんなにいいものではありませんよ。積もったら雪かきをしなければいけませんし」

「ライムントは辺境育ちなんだろう? ここでの暮らしのコツとか……まぁ、ライムントは貴族様だったか」


 こんな庶民の暮らしのコツなど知らないだろうとダミアンがため息をつけば、ライムントが緑色の澄んだ目を細める。


「貴族といっても、わたしは三男ですし、辺境域の一部に領地をもらっている侯爵家でしたから、自分のことはほとんど自分でやっていましたよ」

「料理も?」

「それは、厨房がやっていました」

「雪かきも?」

「それはやっていましたよ。わたしは昔から体が大きくて力がありましたし」

「雪が降ったら雪かきのコツを……いや、そのころまではライムントはいないのか」


 聞きたいこと、習いたいことはたくさんあったが、ライムントはカサンドラの命令でこの地に来ただけで、すぐに帰ってしまう。その後はダミアンは一人でこの辺境域で暮らさなければいけない。


「わたしがいたら、嬉しいですか?」

「騎士学校のころから一緒なんだ。いない方が不自然かな」


 でも、それにも慣れなければいけない。


 ダミアンがぽつりとそう言えば、ライムントがお茶の入ったカップを両手で包んで、赤い水面に視線を落とした。


「カサンドラ騎士団、辞めてもいいんですけどね」

「ダメだろう! ライムントは貴族で、カサンドラ殿下にも期待されている」

「辺境の軍に二人で入るというのはどうですか? カサンドラ騎士団で働いていたと言えば絶対に採用されます」


 ぱっと顔を上げて明るい表情で言うライムントに、ダミアンは苦笑する。


「騎士団も軍ももういいよ。ヒステリックゴブリン令嬢も、ナルシストオーク令息ももう嫌だ」

「ヒステリックゴブリン令嬢? ナルシストオーク令息? なんですか、それは?」


 問いかけて不思議そうにしているライムントにダミアンはにぃっと唇の両端を吊り上げる。お上品な貴族のライムントはこんな悪口を思い付かないのだ。


「おれが橋渡しを断るとゴブリンのような奇声を上げてヒステリックに抗議してくるから、ヒステリックゴブリン令嬢と名付けたんだ。ナルシストオーク令息は、発情したオークのように鼻息が荒く、臭くて、自分のことを三国一の美貌だと思ってる勘違い令息のことだよ」

「ぶはっ! なんですか、それ!」


 声を上げてライムントが笑うのに、ダミアンは騎士学校にいたころのような気分になってくる。騎士学校ではダミアンの方が年齢は一つ上だったがライムントとは同じ学年で、寮も同室で、ずっと仲良くしてきた。


「今日の宿は?」

「まだ取っていません」

「ベッド使っていいから、泊って行くか?」

「ベッドを使わせてもらうのは申し訳ないです。ダミアンはどうするつもりなんですか?」

「おれは床でいいよ」

「わたしが床で寝ます!」

「いやいや、ライムントがベッドを使ってくれ」


 押し問答になって、結局、ライムントがベッドで寝る代わりに、ダミアンが買ったばかりの毛布を使って床で眠ることになった。

 簡単な夕食の片づけをして、ダミアンとライムントは寝る準備をする。乗合馬車での移動中も風呂には入れなかったし、洗濯もしていないので若干臭うような気がするが、騎士団で遠征に行くときには野宿で何日も過ごすことがあったのでライムントは気にしないだろう。

 ライムントは宿に泊まっていたのか、清潔な香りがしていた。


「明日にはライムントは帰っちゃうんだよな」


 ずっと一緒にいたライムントと離れることになると思うと、カサンドラ騎士団を辞めたときにはそんなこと思わなかったのに、今更ながら寂しいような気持がして呟くと、ライムントはダミアンの目を見てはっきり言った。


「また戻ってきます」

「戻ってくるっておかしいだろ。ライムントはカサンドラ騎士団所属なんだから」

「戻ってきます、ダミアンのもとに」


 なんでこんなに懐いているのかは分からないが、ライムントは騎士学校の入寮式でダミアンと会った瞬間から人懐っこくダミアンに近寄ってきた。平民と同室だなんて誰も嫌がったのに、ライムントはダミアンと同室に進んでなりたがった。


「本当にライムントは変わってる」


 灯りを吹き消し、床で毛布にくるまると、衝立の向こうのベッドから、ライムントが「おやすみなさい」と声をかけてくれた。


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