王都に帰ってすぐにライムントはカサンドラに報告に行った。
執務に忙しそうだったカサンドラだが、ダミアンのことということですぐに対応してくれた。
「カサンドラ殿下、ダミアンはヘルマン辺境伯の領地にいました」
「ダミアンと会ったのか?」
「はい。会いました」
「それで、カサンドラ騎士団に戻ってくると言ったか?」
「残念ながら、カサンドラ騎士団を辞めた決意は固いようでした。カサンドラ殿下のお言葉を伝えましたら、王都に定期的に顔を出すことも近況を手紙で知らせることも了承しました」
ダミアンはカサンドラ騎士団には戻ってこない。
それを聞いたときのカサンドラの表情は一瞬曇ったが、その後で王都に顔を出すことも近況を手紙で知らせることも了承したと聞くと、安堵した様子だった。
「本当にダミアンは細々としたことまで気の付くわたしたちの癒しだったから、戻ってきてほしい気持ちはあるが、ダミアンが決めたことならば仕方ないだろう」
「秋の御前試合には来ると言っていました」
「そのときに会えるだろうか?」
「会えると思います」
ライムントの報告にカサンドラは表情を緩めている。カサンドラ騎士団の団長として厳しい鍛錬を団員に課し、王都を守るために騎士団に王都を巡回させ、厳しく自分と騎士たちを律しているカサンドラがこんな表情をするのは珍しい。
それだけダミアンがカサンドラにとっても癒しとなっていたのだろう。
「ダミアンは、わたしが夜遅くまでラルスと執務室にいると、そっと疲れの取れるお茶とお菓子を差し入れてくれて、ラルスが甘いものはあまり好きではないと知ると甘さ控えめのドライフルーツやダークチョコレートを差し入れてくれて……本当にいつも心癒されていたのだ」
疲れの取れるお茶は、わたしにも入れてくれていました!
思わず対抗しそうになるのをライムントはぐっとこらえる。
「厨房でネズミが出たと騒いでいたらネズミ退治に手を貸してくれるし、手作りのチーズと胡椒の甘くないクッキーも美味しかったし、宿舎にごみが落ちていたら自然に拾って片付けるし、食堂のお茶が最後一口だけ残っているのを見たら飲み干してピッチャーを洗ってくれるし、毎日厩舎に通って全員の馬に変わりがないか見てくれてブラシもかけてくれるし……」
本当にダミアンは細々としたことまで気が付く騎士だったのだ。
カサンドラ騎士団の全員がダミアンのことが大好きだった。騎士団の騎士だけでなく、厨房の料理人から使用人まで、全員にダミアンは慕われていた。
「それで、カサンドラ殿下にお伝えしたいことがあります」
うっとりとダミアンの話をするカサンドラに、ライムントは顔を上げて真剣な眼差しでカサンドラを見つめた。
「なんだ?」
「わたしも今回の御前試合を最後に、カサンドラ騎士団を辞めさせていただきたいと思っております」
心に決めたことだったが、口に出すと緊張感が漂って、ライムントは背筋を伸ばす。しばらくの沈黙の後、カサンドラは長く息を吐いた。隣りに立って沈黙を守り続けていた副団長にしてカサンドラの婚約者のラルスも息を吐く。
「ライムントがそう言いだすだろうとは思っていた」
「ライムントは元々辺境の出身だし、ヘルマン辺境伯にはお子がおられないことも知っていた」
カサンドラとラルスの言葉に、ライムントは知られていたのかと納得する。
ライムントがカサンドラ騎士団に入団したのは、ダミアンがカサンドラ騎士団に選ばれたからに違いなかった。
「いつかは辺境に行くだろうと思っていたが、ダミアンが行ったならちょうどいいな。許す。ダミアンを追いかけよ」
「はい!」
「ライムントがどれだけダミアンを好きだったかは、団員全てが知っている。今度こそ、逃がすでないぞ?」
にやりと笑うカサンドラはライムントを応援してくれている様子だった。
最初からすべて分かっていたのならば話は早い。ライムントはその場で退団願いを書いて、カサンドラとラルスに受け取ってもらった。
退団の日は御前試合の翌日だ。
御前試合が終われば、ライムントは辺境へ旅立てる。
「これまでお世話になりました」
「その挨拶はまだ早いのではないか? 御前試合で立派に戦って優勝してからその挨拶が聞きたいな」
「はい、優勝します!」
ダミアンとも約束した。
優勝者がもらえる花をダミアンに捧げるのだ。
そのときに告白をしてしまおう。
ダミアンは今回の御前試合に参加するわけではないので、ダミアンに勝てるわけではない。だが、カサンドラ騎士団の中で一番強いということを示せば、ダミアンもライムントのことを認めるのではないだろうか。
強い相手しか興味がない。
初めて会ったときに六歳のダミアンは言っていた。
その強い相手にライムントはなれるのではないだろうか。
御前試合の日まで、ライムントは鍛錬を欠かさぬようにすると決めた。
カサンドラとラルスの執務室から出て宿舎に戻ると、ライムントは夕食を食べるために食堂に向かう。食堂ではライムントは騎士たちに囲まれていた。
「ダミアンはどうだった?」
「戻ってきてくれるのか?」
「ダミアンの入れてくれたハーブティーを飲めなくなると思うとやる気がなくなる」
騎士たちだけでなく、食堂にいる使用人たちも耳をそばだてている気がする。
「残念ながら、ダミアンは辺境で暮らすとのことでした。その代わり、時々王都に顔を出すし、近況を手紙でも知らせてくれるようです」
「戻ってきてくれないのか……」
「おれたちがダミアンに負担をかけてしまったのがいけなかった」
「ダミアン、戻ってきてくれ」
悲しむ騎士たちにライムントは続けて告げる。
「わたしもカサンドラ騎士団を辞めて辺境に行くことに決めました」
その言葉に、食堂から「おぉー!」と歓声が上がる。
「ずっとダミアンのことが好きだったもんな」
「追いかけていくのか。情熱的だ!」
「うまくやれよ、ライムント!」
ダミアンを癒しとしてかわいがっていた騎士たちは、ライムントとダミアンの仲も応援してくれていた。ライムントがダミアンを好きなことはこんなにも周囲にバレバレなのに、ダミアンだけが気付いていない。
「御前試合で優勝して、ダミアンに花を捧げると決めました」
「ついに告白か!」
「頑張れよ、ライムント!」
「応援してる!」
カサンドラ騎士団に来てから九年間、ずっと周囲の騎士たちからは心配をされて、応援されていたのだと気付いてライムントは、胸が温かくなる。
それにしても、こんなに分かりやすくダミアンに好意を示していたのにダミアンが全く気付いていないとはどういうことなのだろう。
告白して振られても辺境に行って根気よく口説くつもりではあったし、これだけ長い期間ずっと一緒にいるのだ、ダミアンもライムントのことを嫌いなはずはないという妙な自信があった。
「優勝して花を捧げるだなんて、簡単に勝てると思っているのか?」
騎士の中でも実力派の騎士に声をかけられて、ライムントは緑色の目を冷たく細める。
顔立ちの整っているライムントは普段は柔和な表情を浮かべていることが多いが、冷たい表情を浮かべるとものすごく自分が鋭利に見えることは知っていた。
「ルッツ、わたしに勝つ自信がありそうですね」
「おれだって毎日鍛錬してる。告白するために優勝するだなんて甘いことを考えてるやつには負けないよ」
「御前試合でわたしにあたるまで残っていればいいのですが」
「なんだと!」
椅子を蹴飛ばして立ち上がったその騎士、ルッツを周囲の騎士が押さえにかかる。騎士同士の私闘は懲罰の対象にされていた。
「絶対にそのお綺麗な顔をカサンドラ殿下の前で地面にこすりつけてやる!」
押さえ付けられながら言うルッツに、行儀よくナイフとフォークを置いて、ナプキンで口を拭いてライムントは立ち上がった。
「地面にこすりつけられるのはどちらでしょうね」
「この野郎!」
長身のライムントよりも更に長身で体付きはどこかダミアンにも似ているルッツ。だが、ダミアンのように男前で、優しくもなければ、周囲に慕われてもいない。
ルッツがダミアンのことを気に入っていて、懸想していたことはライムントも知っているが、ライムントはずっとルッツをダミアンから遠ざけ続けていた。
「おれがダミアンに花を捧げる!」
「言っていなさい。勝つのはどちらか、御前試合で分かります」
冷たく言い捨てて、ライムントは自分の部屋に戻った。