王都の実家で休んだダミアンは、カサンドラ騎士団の詰め所に顔を出していた。
カサンドラやラルス、団員たちが疲れているときに入れてあげるハーブティーの茶葉と王都でダミアンが贔屓にしていた菓子店のお菓子を持って。
詰め所に入ろうとすると、警備に立っている騎士が声をかけてくる。
「ダミアン! ダミアンじゃないか! 騎士団を辞めたって聞いてたよ。戻ってきてくれたのか?」
「戻ってきたわけじゃないんだけど、カサンドラ殿下にご挨拶はしておかないとと思って」
「戻ってきてくれたわけじゃないのか? ダミアンがいなくなってみんな寂しがってるよ」
声をかけてくれる顔なじみの騎士に片手を上げて挨拶をして、ダミアンは詰め所の中に入った。中にいる騎士もダミアンのことをすぐに分かってくれて、声をかけてくれる。
「ダミアン! 帰ってきたのか?」
「ダミアン! 元気だったか?」
「ダミアン! カサンドラ殿下がお待ちだぞ!」
騎士たちに挨拶をして一番奥の執務室に向かうと、団長のカサンドラと副団長のラルスが書類仕事をしていた。
ドアをノックして「ダミアン・アーレです」と声をかけたので仕事の手を止めてソファのある応接スペースに移ってくれる。
ソファに座るカサンドラとラルスの前にハーブティーの茶葉の缶とお菓子の箱を置き、ダミアンは深く頭を下げた。
「ご挨拶もせず急にカサンドラ騎士団を辞めてすみませんでした」
「ラルスから話は聞いている。色々と思い詰めた末のことだったようだな」
「そうなのです。あのヒステリックゴブリン令嬢とナルシストオーク令息が……あ、失礼しました」
「気にしないでいい。ダミアンの話は面白いからわたしは好きだ」
貴族の令嬢と令息を馬鹿にするような言葉をつい使ってしまったダミアンに、カサンドラは大らかに笑って許した。
カサンドラはヒステリックゴブリン令嬢とナルシストオーク令息からダミアンが手紙を押し付けられていて、橋渡しを頼まれていたことを知っているようだった。
「戻ってくる気はないのか? ダミアンの剣の腕、わたしは素晴らしいと思っていたつもりなのだが」
「お褒めに預かり恐縮ですが、おれは辺境で平和に暮らしていこうと思っています。今日もカサンドラ殿下が王都に時々は顔を出すことと、近況を手紙で知らせることとライムントに伝言していたので、顔を見せに来ただけです」
「そうか。惜しいことをしたな。だが、ダミアンの心が決まっているなら仕方がない。御前試合は見ていくのだろう?」
「そのつもりです」
「いい席を用意しよう」
御前試合は席が決められていて、売りに出されるほど人気なのだが、その席のチケットをカサンドラは一枚譲ってくれた。
今からだと席のチケットを取ろうにも、闘技場の一番端の遠い席しか取れなかっただろうから、ダミアンは感謝してそれを受け取ることにした。
「王都にいる間に他の騎士たちにも挨拶してくるといい。ダミアンが急に辞めてみんな動揺していた」
自分などモブに過ぎないのにカサンドラ騎士団の仲間たちはダミアンがいないことに気付いてくれていた。それだけでなく寂しく思ってくれて、動揺もしたというのだ。
急に辞めて挨拶もしていなかったことを思い出し、ダミアンは詰め所の裏にある訓練場に顔を出すことにした。
訓練場では騎士たちが鍛錬をしている。剣技を磨いているもの、筋肉を鍛えているもの、武器の調整をしているものなど、様々だが、ダミアンが入ってくると視線が集まった。
「ダミアン、カサンドラ騎士団に戻ってきてくれたのか?」
「辺境に行ったらしいな。元気だったか?」
「ちゃんと食べてるか?」
心配してくれる声にダミアンは答える。
「カサンドラ騎士団にはもう戻らないつもりだよ。辺境では小屋と馬を買って春になったらジャガイモを植えて育てるつもりだ。ちゃんと食べてるし、おれは元気だよ」
答えていると、ダミアンを取り巻く騎士たちをかき分けてライムントが真っすぐにダミアンのもとにやってくる。
「ダミアン、御前試合に間に合うように来てくれたのですね」
「御前試合は見るって約束したからな」
「招待券をダミアンのために取っていたのです」
騎士団の騎士には家族や恋人を誘うための招待券が配られる。その招待券を取っておいてくれたというライムントにダミアンは苦笑する。
「席のチケットはカサンドラ殿下が下さったよ。それはライムントの大切なひとに贈るといい」
「わたしの家族は辺境にいますし、大切な相手はダミアン、あなたです。カサンドラ殿下の席はきっといい場所なのでしょうが、わたしの招待券を受け取ってもらえませんか?」
「いやいやいや、もったいないよ。チケットが余っちゃうじゃないか」
断るとライムントは非常に悲しそうな顔をする。ものすごく整った顔で悲しそうにするというのは見ている方にダメージを与えるのだとダミアンは知った。
「それじゃ、おれの親も誘おうかな。父親にしようか、母親にしようか……」
「招待券は二枚あるので、ご両親に渡してください。ダミアンの長年の親友として、御前試合の日にはご両親にもご挨拶したいですね」
「普通の平民の鍛冶屋だよ? 貴族様からご挨拶なんてされたらびっくりしちゃうよ」
下町で鍛冶屋の仕事をしているダミアンの両親がライムントに挨拶をされたらものすごく驚くだろう。ダミアンが普通に話していて、ライムントが敬語なので忘れがちだが、ライムントは自分でも子爵の地位を持っていて、辺境伯の甥であり、侯爵家の三男なのだ。
両親への挨拶は遠慮したかったが、どうしても挨拶したいというライムントにダミアンは気付く。ダミアンとライムントは十二歳と十一歳からの付き合いで、ずっと一緒にいた。それくらい長くいる友人ならば貴族の感覚としては家に遊びに行ったり、両親に挨拶をしたりするものなのかもしれない。
ダミアンの実家は非常に狭いのでライムントを招くことなどできないが、ライムントの実家の王都にあるタウンハウスのお茶会には招待されたことがあった。平民が混じっているのはおかしいと遠慮したのだが、あのときにライムントはダミアンを両親に紹介するつもりだったのかもしれない。
「そうか、ご学友ってやつか」
貴族は一緒に学ぶ相手を学友として大事にすると聞いていた。ダミアンは平民なのでそういう感覚はないが、ライムントにとってはダミアンは大事な学友なのだろう。
「ライムント、おれ以外の友達いなかったもんなぁ」
「そうなんです。ダミアンだけです!」
妙な熱量を持って力説してくるライムントに、寂しい奴だったんだとダミアンは同情する。
それなら、両親を紹介するのもやぶさかではない。
「鍛冶屋だから、剣の調整もできるし、刃物を研ぐ仕事もしてる。ライムントなら上客になってくれそうだな」
「ダミアンのご両親は、鍛冶屋なのか?」
「おれもお会いしたいな」
「おれの剣も見てほしい」
ライムントと話しているのを聞いていた騎士たちにも聞こえていたようで、他の騎士たちからも次々と声が上がる。
これは商売ができるではないだろうか。
カサンドラ騎士団の武器や防具を任せてもらえるようになれば、ダミアンの両親も仕事が大量に入ってきて楽になる。
「そうか! おれの両親に仕事を与えるために紹介してほしいなんて言ったんだな。ライムント、助かるよ。ありがとう」
「え? それは……いや、ダミアンが助かるならいいんですけど……わたしはダミアンのご両親にわたしのことを……」
「ライムント、本当にライムントはおれの両親のことまで考えてくれて、さすがは親友だな!」
喜びに声が大きくなると、ライムントは「そ、そうでしょう」となぜかぎこちない笑みを浮かべていた。
下町では簡単な日常使いの刃物の作成や手入れの仕事が細々と入ってくるだけだ。
カサンドラ騎士団との繋がりができれば両親はかなり暮らしが楽になるはずだ。
ライムントの心遣いをダミアンは感謝して受け取ることにした。