叔父のイグナーツに紹介したいといえば、ダミアンは最初は難色を示していたが、辺境伯家の調理人にレシピを教われるかもしれないと囁けば、少しずつ態度を軟化させていった。
辺境伯家にダミアンが行くと言ったときには、ライムントは胸中でガッツポーズを作った。
こうやって少しずつ外堀を埋めていけば、カサンドラもライムントの尻を蹴ることはないし、ダミアンもライムントの気持ちに気付いてくれるのではないだろうか。
今は完全に親友のポジションでしかないが、それがいつ変わるか分からない。
イグナーツはジークハルトをどうやって口説いたのだろう。
そのコツが知りたいライムントだった。
風呂を貸す約束も取り付けてほくほくとして宿舎に帰り、ライムントはイグナーツに手紙を書いた。軍の宿舎と辺境伯の屋敷は離れていないので、すぐに手紙は届けられるはずだ。
明日行くという急なことになってしまったが、イグナーツはライムントの返事を待っているし、会ってくれるだろう。
宿舎の風呂に入り、お気に入りのシャンプーで髪を洗って、ボディソープもお気に入りのものを使って、温まって出て来ると、ダミアンと一緒に行った大衆浴場のことが思い出される。
ダミアンの裸を見てしまって鼻血を出してしまったが、湯上りのダミアンを頻繁に見ることになると思うと、嬉しいような、下半身が熱を持つような複雑な感覚が入り乱れる。
しっとりと濡れたダミアンの黒髪や、褐色の肌を思い出すだけで反応しそうになる下半身を、必死にライムントは別のことを考えて治めた。
翌日、ダミアンとは辺境の町の入り口で待ち合わせをしていた。脚の太いがっしりとした馬に乗って現れたダミアンに、ライムントも馬に乗って並走する。
辺境伯家に着くと、使用人が馬を受け取って、厩舎に入れてくれた。
辺境伯家ではイグナーツとジークハルトが待っていてくれた。
「叔父上、ジークハルト叔父上、急な訪問をお許しください」
「ライムント、大事なひとを紹介してくれるという話だが、ヘルマン家の後継者になる件は了承してくれるのかな?」
「イグナーツ、気が早い。ライムントの話を聞いてみないと」
逸るイグナーツをジークハルトが宥めている。
ジークハルトは長身で褐色肌に黒髪に黒い目で、鋭い眼差しと彫りの深い顔立ちが印象的な美丈夫だった。イグナーツは白い肌に灰色の髪に緑の目のライムントとよく似た顔立ちの美しい男性である。
どちらも四十代だが、肉体にも顔立ちにも衰えは全く感じられない。
「騎士学校からずっと一緒で、カサンドラ騎士団でも一緒だった、ダミアン・アーレです。わたしの大事な相手です」
「ダミアン・アーレです。ライムントの親友です」
はっきりと親友と言われてしまったが、ライムントは大事な相手と認識しているのをイグナーツとジークハルトなら分かってくれる気がする。
イグナーツとジークハルトの顔を見れば、なんとなく事情を察しているような表情だった。
「ライムントの叔父のイグナーツ・ヘルマンだ」
「イグナーツの伴侶のジークハルト・ブレヒャーだ」
「初めまして、よろしくお願いします」
大きな手を差し出して握手をするダミアンにイグナーツもジークハルトも興味津々の目で見ている。
「ライムントの大事な相手と聞いたが」
「ライムントは大袈裟なんですよ。おれのことを親友として大事に思っているってことだと思います」
「ライムントと結婚の約束は?」
「結婚!? ないですよ。ライムントとおれが結婚なんて絶対ないです」
ご安心ください。
そう言われて、安心できるライムントではない。
完璧に否定されて聞いたイグナーツもジークハルトも苦笑している。
「カサンドラ騎士団に勤めていたのなら、かなりの腕前だろう」
「そうなんです。ダミアンは御前試合で毎年優勝していたんですよ」
「それはすごいな。軍に入るつもりはないのか?」
「軍には入りません。辺境では自由に暮らすと決めているので」
ダミアンのことを胸を張って自慢するライムントだが、ダミアンはイグナーツの誘いを断っている。カサンドラ騎士団での平民として騎士になった苦労がダミアンをそうさせるのだろう。
「彼を連れてきたってことは、そういうことなんだろう?」
イグナーツがダミアンと話している間に、ジークハルトが小声でライムントに聞いてくる。
「わたしはそのつもりなのですが、彼には全然通じていなくて……」
「高貴な身分の相手が自分を選ぶはずがないっていうのは、分かるな」
平民から軍の司令官にまでのし上がったジークハルトはダミアンの気持ちが分かるようだった。小声でライムントは聞いてみる。
「ジークハルト叔父上は叔父上に口説かれていたのですよね?」
「最初は貴族のお遊びだと思って相手にしなかった。遊ばれるつもりはなかったからな」
「いつ頃から本気だと思いましたか?」
「隣国との小競り合いが起きた時期かな。イグナーツは、軍に所属していたらいつ死ぬか分からないから、おれとの関係をはっきりさせておきたいと言って、プロポーズしてきた」
「やはり、プロポーズ……」
結婚まで行かないとこの気持ちは通じないのかもしれない。
ライムントが話しているうちに、ダミアンはダミアンでイグナーツと話がまとまったようだった。
「ライムント、この屋敷に通っていいって」
「それでは、レシピを教えてもらえることになったのですか?」
「辺境伯様が、厨房の料理人に料理を教わってもいいと許可を下さった」
「辺境伯様なんて呼ばずに、イグナーツで構わないよ」
「そういうわけにはいきません」
「辺境伯様なんて呼ばれたことがない。イグナーツで」
「では、イグナーツ様とお呼びしますね」
騎士学校でマナーを学んできたし、カサンドラ騎士団でも貴族や王族に対面することがあったのでダミアンは一応それなりに敬語も使えるし、礼儀作法も教え込まれている。ライムントに対してはそのままでいいと最初のころに伝えていたので素のままで話してくれるが、辺境伯とその伴侶であるイグナーツとジークハルトには礼儀を払わなければいけないと思うのだろう。
もうすぐ冬が近付いて来ているが、雪が深くなるとダミアンは小屋から出るのも苦労するようになるだろう。それまでの期間は、辺境伯のお屋敷に通って料理を習うのだろう。
「ダミアンは昨日、鹿を仕留めたのですよ」
「それはすごいな。動物の肉や皮を卸す業者を教えようか?」
「いいのですか? 助かります」
イグナーツの申し出にダミアンが嬉しそうに目を輝かさている。
「ついでに宿舎のわたしの部屋に寄って、お風呂に入って行けばいいですよね」
お風呂だけは譲らないと自己主張するライムントに、イグナーツもジークハルトも察してくれたのか、辺境伯のお屋敷で風呂を貸すなどということは言い出さなかった。
イグナーツとジークハルトとの挨拶が終わると、ダミアンはお屋敷の厨房に顔を出した。
「これから料理を習いに来る、ダミアン・アーレです」
「初めまして、料理長のディルクです。旦那様のお客人でしょう? 敬語は必要ありませんよ」
「それじゃあ、よろしく、ディルクさん」
「はい、よろしくお願いします、ダミアン様」
「おれも、様はいらないよ」
人懐っこく挨拶をするダミアンに、ディルクは大柄なダミアンの顔を見上げている。
「素晴らしく鍛え上げた体ですね。これなら、パンを捏ねるのも楽々できそうです」
「パンの材料は揃えたんだけど、まだ自分では作ってないんだ。教えてくれると嬉しい」
「パンも、料理も、お菓子もお教えしましょうね」
「助かるよ」
この人懐っこさでダミアンはカサンドラ騎士団でもみんなに好かれていた。騎士団以外の相手からも好意を抱かれていたのをライムントは知っている。
その恋心は全部ライムントが潰してきた。
「わたしの大事なひとなんです」
「ライムント様の!?」
「親友って意味だよ。もう、ライムントは誤解を振り撒くんだから!」
呆れた表情になるダミアンに対して、ライムントは涼しい表情ながら、しっかりとディルクにも厨房の料理人たちにも牽制をした。