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19.ダミアンは畑に植える野菜を考える

 辺境伯のイグナーツと伴侶のジークハルトは非常に親しみやすく、ダミアンはすぐに慣れることができた。厨房で料理を習うことも許されて、秋の間は辺境伯家に通うことになりそうだった。

 レシピ本は稀少で手に入りにくいし、絵も描かれていて高くつくので、その分を節約できるとなるとダミアンも助かる。

 カサンドラ騎士団で溜めていた給金と辺境への行き帰りで野盗を捕らえた報酬を加えても、ダミアンの手持ちの金は大量にあるとは言い難い。小屋を借りた金もあるし、馬も買ったし、毎日の食事で減っていく金もある。


 節約するために秋から育てられる野菜を育てようとも思ったが、辺境は寒冷な土地で冬は雪が積もるので冬場の農業には向いていなかった。

 森で獣を狩って食糧の足しにするしかない。


 イグナーツたちから獣の肉や皮を卸す店を教えてもらえたのも収穫だった。


 ライムントに感謝しつつ小屋に帰ろうとすると、ライムントがダミアンを誘って来た。


「わたしの部屋でお風呂に入って行きませんか」

「おれ、臭い!?」

「臭くはないですが、そろそろ入りたいころかと思いまして」


 思わず自分の服を摘まんで嗅いでしまったが、ライムントにそういう意図はなかったようだった。カサンドラ騎士団にいたころは毎日入るのが風習になっていて、髪も体も清潔に保っていたが、実のところこの国の平民はそんなに頻繁に風呂には入らない。週に二度くらい入ればいい方なのではないだろうか。

 ダミアンもその生活に慣れなければいけないのだろうが、ライムントが風呂を貸してくれるというのだから甘えたくもなる。


「いいのか? ほら、ライムントは好きな相手が『いますん』だろう?」


 「います」なのか「いません」なのか分からない噛んだライムントの言葉通りに伝えると、ライムントは目を細めた。


「ダミアンが来てくれると楽しいですよ。夕食も町で食べていくでしょう?」

「節約しなきゃいけないんだよな」

「わたしが軍の入隊祝いにご馳走しますよ」

「それ、逆じゃないか? おれが祝わないといけないんじゃないか?」

「わたしは軍で報酬をもらうようになるので、ダミアンは気にしないでいいんですよ。一緒に食事をしてくれることがお祝いです」


 そこまで言われると断るわけにもいかない。

 軍の宿舎に連れて行かれて、堅牢な三階建ての大きな建物に入ると、ライムントは二階の奥の部屋に案内してくれた。

 その部屋は広く、ダミアンの小屋の二倍くらいは面積があった。そこに寝室と風呂も付いているのだから更に広いだろう。


 風呂を借りると、シャワーの蛇口を捻ったら熱いお湯が出て来る。シャワーで体と髪を洗わせてもらって、バスタブには浸からなかった。お湯をそこまで使うのは申し訳ない気がしたのだ。

 着てきた服を着て、髪を拭きながら出て来ると、ライムントが視線を彷徨わせている気がする。風呂から出たばかりで湿っているし、暑いのでシャツのボタンを三つほど開けているのがよくないのかもしれない。

 貴族で真面目なライムントはだらしない恰好は好きではないのだろう。シャツのボタンを閉めると、ライムントと目が合った。


「ありがとうな。助かるよ」

「ダミアンがわたしと同じ匂いになりましたね」

「そりゃそうだろ。シャンプーもボディソープも同じものを使っているんだから」


 そこまで口にして、使わせてもらったシャンプーやボディソープがライムントの使う品質のいいものだと気付いて、遠慮なく使ってしまったことをダミアンは後悔する。


「次からは石鹸を持ってくるよ」

「いいんですよ。気にせず使ってください」

「でも、おれからライムントと同じ匂いがするっていうのはよくないんじゃないか?」

「カサンドラ騎士団でもそうだったじゃないですか。気にしません」


 カサンドラ騎士団では共同浴場を使っていたので騎士団のほとんどが同じシャンプー、同じコンディショナー、同じボディソープを使っていたが、ここはカサンドラ騎士団ではない。

 ライムントはカサンドラ騎士団のときの気分が抜けていないのだろう。


「そういえば、騎士学校のときもそうだったな」


 騎士学校も共同浴場で風呂に入っていたのだが、ダミアンもライムントも備え付けのシャンプーと石鹸を使っていた。懐かしい騎士学校のころを思い出すダミアンに、ライムントが苦笑する。


「騎士学校のシャンプーは髪がきしきしして、コンディショナーもなかったですからね」

「おれは石鹸で髪を洗ってたよ」

「そうだったんですか!?」


 髪など汚れが落とせればいいと思っていたし、騎士学校のシャンプーはなくなっていることが多かった。カサンドラ騎士団のように詰め替え用が潤沢にあったわけでなく、生徒に詰め替えさせているわけでもなかったので、シャンプーがないときにわざわざ詰め替えてもらうのを面倒くさがったダミアンは最初から石鹸で髪を洗っていた。掃除も行き届いていなくて、よく排水溝も詰まっていた。

 そういう経験があったからこそ、ダミアンはカサンドラ騎士団では率先してシャンプーとコンディショナーを詰め替え、排水溝の掃除もした。


「蕪やホウレンソウ、レタス、ブロッコリーなどはいいらしいですよ」

「え? 何が?」


 騎士学校のころを思い出していたのでよく聞いていなかったが、ライムントは植物の名前をいくつか口にしていた。ダミアンが聞いていなかったことに気付くと説明してくれる。


「この時期から辺境で育てられる作物といったら、蕪やホウレンソウ、レタス、ブロッコリーなどらしいですよ」

「これから種をまいて大丈夫ってことか?」

「気温が下がり始める今くらいがちょうどいいみたいです」


 春にジャガイモの種付けをするまでに植えるものがないと思い込んでいたダミアンにライムントは秋の辺境で育つ作物を調べてくれていたようだった。


「蕪はシチューにもできるし、煮込んでも美味しいし、いいな。ブロッコリーも食べ甲斐があって好きだな」

「植えてみたらどうですか?」


 あの小屋には柵に囲まれたそれなりに広い家庭菜園がついている。そこで蕪やブロッコリーを育てられれば食糧を買うのも節約できるだろう。ホウレンソウやレタスも悪くないかもしれない。


「おれのために調べてくれたんだな。ありがとう」

「ダミアンは農業がしたいようでしたし、ジャガイモだけに囚われなくていいのではないかと思ったのです」

「そうだよな。色々植えてみるよ」


 家庭菜園のどのくらいの敷地に種を植えていけばいいのかなど、分からないことはまだあったが、それは種を買うときに店員に確認すればいいだろう。

 これからでも育てられる野菜があるということにダミアンは心を躍らせていた。


 その日は種を買いに店に行って、育て方を聞いて、それからライムントと一緒に食事に行った。ライムントは酒も飲める地元の店に連れて行ってくれた。


「辺境に里帰りしたときには、この店によく来てました」

「酒が飲めなかったころだろう?」

「昼は安くて美味しい定食があるんですよ。肉メインか、魚メインか選べて」

「魚も食べられるのか」

「そんなに新鮮ではないですけどね」


 話しながら注文したローストポークにハニーマスタードソースをかけて食べ、野菜のごろごろ入ったミネストローネも食べ、焼きたてのパンを味わった。ライムントお勧めの店だけあってとても美味しかった。


 ライムントとは店で別れてダミアンは小屋に帰った。

 鹿の皮はいい値で売れたし、これから植える種も手に入ったし、順調に辺境暮らしが進みそうである。


「ライムント、辺境伯の後継者になるかって言われてたけど、どうするんだろ」


 寝る仕度をしてベッドに入ったときに思い出して、小さく呟いたが、ライムントがどんな身分になるにせよ、ダミアンとの関係は変わらない気がする。

 これからライムントが結婚して子どももできたらダミアンと遊んでいる暇などなくなりそうだが、そのことは考えないようにする。

 今は手に入れた自由と、気楽な辺境暮らしを楽しんでいたかった。


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