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21.ダミアンは辺境伯家で料理を習う

 柵に囲まれた家庭菜園を開墾して、区画を分けて蕪、ホウレンソウ、レタス、ブロッコリーを植えたダミアンは満足してそこに水やりをしていた。大きな桶に水を汲んで、柄杓で水をかけていくのは手間がかかるが、そのかかった手間の分だけ収穫した野菜が美味しく食べられそうな気がする。

 午前中いっぱい畑の世話に時間をかけて、小屋に戻って鹿の燻製肉とチーズを挟んだサンドイッチを作って紅茶と一緒にいただく。紅茶は牛乳があった方が美味しく飲めるから、近所で酪農をしている農家と繋がりを持っておいた方がいいかもしれない。


 午後からは町に出て辺境伯家のディルクに料理を習った。

 パンの作り方を最初から丁寧に教えてくれるディルクに、ダミアンはメモを取りながら習っていく。焼き上がったパンはふわふわなものから、ずっしりと重たいものまで様々で、焼きたてをひと切れ切り取って食べるとどれもとても美味しかった。


「ダミアン様が作ったものは持って帰って結構ですよ」

「ありがとう! クロワッサンとか、バターロールとかも作れるのか?」

「それは次回にしましょうね」


 次回の約束もしてダミアンは焼きたてのパンを持って、町で買い物もして帰った。帰り道の途中に酪農をしている農家を見つけて、挨拶に行く。


「町はずれの小屋に住んでいるダミアン・アーレというものだ。こちらの牛乳やチーズを買わせてもらうことはできるか?」


 問いかけると、若い夫婦とその子どもがダミアンのところに駆けて来た。ダミアンの持っているパンを見た子どもの口の端からよだれが垂れる。


「いいにおい! おいちとう!」

「これ、いけません! すみませんね、うちの子が、食いしん坊で」

「うちの牛乳とチーズは町にも卸しているいい品なんですよ。ヨーグルトもあります」

「このパン、食べるか?」

「たべう!」


 焼きたてから少し冷めてしまったパンの袋を差し出すと、子どもが小さな両手を広げて喜んで受け取る。


「ママ、たべていい?」

「すみません。これは切らないと食べられないわね。切って食べましょう」

「いただいていいんですか?」

「おれが初めて作ったパンなんだ。美味しく食べてくれると嬉しい」


 ダミアンが微笑むと、子どもは飛び跳ねて喜び、母親はパンの袋を子どもから受け取っていた。

 パンをあげたことで好感度が上がったのか、その後の交渉は楽に進んだ。

 冬の間もダミアンは小屋からほど近いこの農家で乳製品を買う約束を取り付けていた。


 農家の若夫婦の方も、買いに来てくれるのは嬉しいようだ。


「冬は雪が積もって町まで運ぶのが大変になりますからね。買いに来ていただけるとありがたいです」

「うちの乳製品は美味しいから、ぜひたくさん買っていってください」


 パンをあげたので少し割り引きしてもらって牛乳とチーズとヨーグルトを買い込んだダミアンは礼を言って農家から小屋まで馬で帰った。馬だとすぐの距離だが、雪が深く積もるようになって馬が使えなくなったら少し歩かなければいけないかもしれない。

 小屋に帰って湯を沸かして桶に入れて、濡らしたタオルで体を拭く。

 毎日清潔にはしたいと思っているが、風呂のないこの小屋ではこれが限界だった。


「カサンドラ騎士団で毎日風呂に入れていたのは贅沢だったんだな……」


 毎日風呂に入れる立場であろうとも、入るのを嫌がって入らないものもいるのだが、ダミアンはいつでも入れる湯があるなら毎日入りたいタイプだった。


「この小屋に風呂を増設……いや、湯を出すのが無理だな。毎回バスタブいっぱいのお湯を沸かすとなると大変だし……」


 小屋の改造も考えてはいたが、風呂を増設するのは現実的ではなかった。夏場ならば川で体を洗うこともできるのだろうが、辺境の秋は寒いのでもう川に入れる時期ではない。

 紅茶を入れて牛乳をたっぷり入れてミルクティーにして、暖炉の前のベンチに座ってゆっくりと飲む。暖炉の前のベンチももう少し座り心地のいいソファに変えたいと思うのだが、小屋が狭いのでソファを入れるスペースがなかった。

 ライムントの住んでいる広い軍の宿舎を思い出す。

 あそこならばゆっくりとソファに座ってお茶を飲むことも、風呂に入ることもできるだろうが、ダミアンは軍に入る気はなかった。


 次にライムントがダミアンと会ったのは、辺境伯家のお屋敷でのことで、料理を習って帰るダミアンをライムントは待っていたようだった。


「軍での配属が決まりました。初めは少尉からだそうです」

「少尉! すごいじゃないか!」

「叔父の七光りですよ。実際に勤めてみてもっと使えることを示せれば階級は上がると思います」


 もっと使えるという言葉に、ダミアンは疑問を覚える。


「今、軍は戦争をしていないんだよな?」

「魔物が出現するようになっているのですよ」


 隣国との交友関係は良好とは言い難いが、とりあえず攻めてこないようにはなっているはずだ。そう思っていたら出てきたのは「魔物」の単語だった。

 この世界には獣の他に魔物と呼ばれる異形の力を持つ生物が存在している。魔物退治には騎士団や軍の力が不可欠だった。


「危なくないのか?」

「危ないこともあるでしょうね。それは覚悟の上です」


 カサンドラ騎士団でも魔物退治には何度か遠征に出ていたが、辺境の軍での動きはまた変わってくるのだろう。少尉ともなると兵士を指揮しなければいけなくなる。


「心配してくれるのですか、ダミアン? わたしはカサンドラ騎士団でダミアンに次ぐ実力を持っていた男ですよ」

「知ってるよ。それでも気を付けてくれよ」

「魔物の肉が手に入ったら教えますよ」

「あ、それはありがたいかも」


 魔物は強いのだが、その肉や皮は高値で取り引きされる。討伐した魔物は騎士団ならば騎士団内で、軍ならば軍内で捌かれるのだが、功労者にはいい部位と皮が与えられることが多いのだ。

 ダミアンはカサンドラ騎士団で功績をあげて魔物の肉や皮を受け取っていた。皮は高値で売れたし、肉は臭みを抜いて上手に調理すればかなり美味しいのだ。


「コカトリスの肉……ミノタウロスの肉……ワイバーンの肉……久しぶりに食べたいな」

「ダミアンこそ、気を付けてくださいね。ダミアンの小屋は魔物の出現する森に近いんですからね」

「えー!? あの森で魔物が出現するのか!?」


 そんな情報は聞いていないと声を上げたダミアンに、ライムントが沈痛な面持ちで額に手をやる。

 小屋を紹介してくれた店の者も、周辺の住民もそんなことは言っていなかった気がする。


「一人で魔物が倒せるかなぁ」

「魔物が出たら軍に通報ですよ! 倒そうとしないで!」

「でも、倒さなかったら小屋が壊されるかもしれないだろう」

「小屋と命とどっちが大事なんですか?」

「どっちも」


 平然と答えるダミアンにライムントが呆れた顔をしていた。


「今日はわたしの部屋に来てくれるのでしょう?」

「そうだな。そろそろ風呂に入りたいし、お邪魔してもいいか?」

「喜んで。美味しいドライフルーツとナッツが手に入ったのですよ。わたしの部屋で飲んでいきませんか?」


 ドライフルーツとナッツを摘まみに飲むのが好きだとライムントに把握されているダミアン。迷っていると、ライムントがディルクに声をかけている。


「ディルク、ダミアンが今日作ったのは何ですか?」

「パエリヤと鶏肉の香草焼きです」

「持って帰れそうにないですね。わたしの分も準備して、食堂に用意してください」

「食堂に!? 勝手に使っていいのか?」

「辺境伯はわたしの叔父ですよ。この屋敷は自由に使っていいと言われています。最初はここに住まないかとまで言われていたんです」


 そこまで言われてしまったらダミアンも辺境伯家の食堂で夕食を食べていくしかなかった。パエリアは多めに作っていたのでライムントと分けても十分な量がある。鶏肉の香草焼きはディルクがライムントの分をさっさと作ってしまった。

 それにサラダとフルーツまで添えられて、立派な夕食を食べていると、イグナーツとジークハルトが顔を出す。


「美味しそうだね。わたしの分ももらおうか」

「ダミアンが作ったのかな?」

「料理を教えてもらって、持って帰れるものは持って帰って、持って帰れないものは食べて帰らせてもらってます」

「旦那様たちのパエリアもダミアン様の作ったものです」

「それは楽しみだ」

「いただくよ」


 辺境に来ても自分は美形に囲まれる運命なのかもしれない。

 ライムントとイグナーツとジークハルトの整った顔を見て、ダミアンはそんなことを思いながら料理を食べた。

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