この国では唯一軍人だけが銃を使うことが許されている。
それだけ銃というものが簡単にひとの命を奪える道具だということで、一般の人々だけでなく、騎士団でも使用は許されていない。軍以外で例外的に許されているのは王族を守る護衛たちだが、その護衛たちも小銃がせいぜいで、散弾銃などの殺傷能力の高いものは使用を許されていなかった。
辺境の軍だけが銃を使うことを許されているのは、隣国のと国境にある森で魔物が出現するためだった。銃は対魔物用として大変有効なのだ。
カサンドラ騎士団では剣で魔物と戦っていたが、辺境の軍では銃で魔物と戦う。
銃の扱いを教えてもらえるのも軍に入ったものの特権だった。
銃の研修を受けて、銃の撃ち方、狙いの定め方、獲物との距離の取り方などをライムントは習った。剣技を極めてはいたが、銃とは全く違うので、新しい挑戦に胸が躍る。
その話をダミアンにすると、ダミアンも銃には興味があったのか食いついてきた。
服を買いに行った後でライムントの部屋でダミアンに風呂に入ってもらって、新しい服に着替えてもらう。それまで何度も洗ってよれよれになった服しか着ていなかったダミアンが、新しい服を着ると清潔感が増して、格好よくなったようでライムントは胸をときめかせる。
濡れた髪を拭きながらソファに座るダミアンに語り掛けてみる。
「わたしが辺境伯の後継者になったら、ダミアンは護衛になってくれませんか?」
「え? 嫌だよ。もうそういう煩わしい生活からは離れるって決めたんだ」
「ダミアンほどの手練れを野放しにしておくのはもったいなすぎます。何より、わたしの護衛に入ると、軍の所属になりますから、銃が使えますよ?」
「銃が……」
銃の話題になるとダミアンの心が揺れているのがよく分かる。
「いや、でも、おれはジャガイモを育てるんだ」
「よく考えてくださいね」
「ジャガイモを……」
これはもう一押しなのではないかとライムントは思っていた。
夕食まで食べてダミアンは辺境の外れの小屋に帰って行った。あの小屋も安全とは言えないし、冬場は雪に閉ざされて町までくるのが難しくなるので、ライムントはできれば早くにダミアンを説得してしまいたかった。
軍の宿舎は寒くないような作りになっているし、セントラルヒーティングで暖房が入って温められるのでそれほど冬の間の心配はしていないが、ダミアンの小屋は隙間風が入るような作りだったし、布団も薄いものしか用意していなかった気がする。
「冬の間ずっとわたしの部屋にいてくれればいいのに」
ダミアンが凍えるのを想像すると、冬の間ずっとライムントの部屋にいてくれて、ライムントが仕事に出かけるのを見送って、仕事から帰って来るまで待っていてくれるなんてそれはどんな新婚生活と頭の中でウエディングベルが鳴り響くのをライムントは頭を振ってかき消す。
ダミアンに限ってそんなことは絶対にない。
これだけ露骨にアピールしても全く気付かない様子なのだ。
「わたしが好きなのはダミアンだけなのに……」
小さく呟いてライムントは自分の部屋のベッドに入って布団を被った。
しばらくの間、ライムントも軍の仕事で忙しくなり、ダミアンと会えない日が続いた。ダミアンを追いかけて辺境にやってきたのに、口説き落とすこともできていないし、挙句に会えないまま日々を過ごすだなんて。
軍を辞めてもっとダミアンに会いやすい仕事に変えるべきなのか。
本気でライムントが苦悩し始めたころに、ライムントが仕事を終えて宿舎に戻ると来客があった。
ダミアンかと思って喜んで迎えると、来客はイグナーツとジークハルトだった。
多少がっかりしつつも、二人を部屋に招いてソファに座らせる。
「何か飲みますか、叔父上、ジークハルト叔父上」
「ジークハルト叔父上だと呼びにくいだろうから、おれのことはジークハルトかジークって呼べばいいよ」
「今更だな。養子の件、考えてくれたか?」
何度も二人からはせっつかれているのだが、ライムントははっきりと返事ができていない。辺境伯の後継者となってしまうとダミアンが離れていきそうな気配がして怖いのだ。
「ダミアンは料理を習いに辺境伯家に通っていますか?」
「この前はアップルパイを習って嬉しそうに持って帰っていたよ」
「近所の酪農農家の一家と食べるのだと言っていたかな」
近所の酪農農家の一家とそんなに仲良くなっただなんて話はライムントは聞いていない。
聞いていないが、ダミアンのことだからすぐに相手に好かれるのはよく分かっている。カサンドラ騎士団でも全員がダミアンのことを癒し枠として大事に思っていた。
「ダミアンは誰にでも好かれるから……」
「目を離すのが心配か?」
「そんなに好きなら求婚してみればいいじゃないか」
ため息交じりに言ったライムントにイグナーツとジークハルトが言うが、そんなに簡単に物事は進まない。
「何度も告白しているし、プロポーズのようなことも口にしているのですが、全然気付かれないのです」
「安心しろ、ライムント。わたしもジークハルトにどれだけスルーされたことか」
「辺境伯が平民のおれごときにそんなことをいうと思ってなかったんだよ」
「求婚した回数も数回どころじゃないぞ? 数十回? それ以上? それでやっと結婚してもらえたんだ。一度や二度で挫けるものじゃない」
鈍い相手を好きになってしまうのは、イグナーツとライムントは似ているようだった。
「辺境伯の養子になる件はまだ考えさせていただきますが、そうなったとして、わたしはダミアン以外と結婚するつもりはありませんからね」
「それはライムントを見ていれば分かるよ」
「ダミアンを口説き落とすんだな」
ライムントの気持ちは周囲には簡単に分かってしまうのに、ダミアン本人にだけは通じない。
「次、ダミアンが辺境伯家に来るのはいつですか?」
日付を聞いて、ライムントはその日を非番にしてもらうことに決めた。
二日後のダミアンが辺境伯家に来る日に、ライムントも辺境伯家に行ってダミアンを待っていた。
ダミアンは嬉しそうにホウレンソウを抱えている。
「ライムントじゃないか。ホウレンソウは育つのが早いって聞いたけど、もう食べられそうなんだ。おれの育てたホウレンソウ、ライムントも食べるか?」
「ぜひ食べたいですね」
厨房で料理をするダミアンをお茶を飲みながら待っていると、作り終えたダミアンがディルクと一緒に皿を持って来て食堂に並べる。
今日はハンバーグとホウレンソウのソテーとジャガイモのポタージュスープのようだった。
「ハンバーグには卵が入ってるんだ。上手に黄身がとろとろになっているか切ってみるまでは分からないんだけど」
「スコッチエッグですか。わたしの好物ですね」
「そうなのか。手間がかかるけど、美味しそうにできたよ」
食堂でスコッチエッグとホウレンソウのソテーとジャガイモのポタージュを食べる。スコッチエッグの中の卵は白身はしっかりと固まっているが、黄身はとろとろで上手にできていた。ホウレンソウのソテーもバターの香りがして美味しいし、ジャガイモのポタージュは素朴な味わいだったがダミアンの好きそうな味付けだった。
「とても美味しいです。ダミアンは結婚したらいい夫になるでしょうね」
「結婚する気はないんだって。おれは恋愛には向いてないし」
「わたしはダミアンと結婚したいですけどね」
「ライムント、相手がいないからって手近なところで妥協しようってのはよくないぞ? ライムントは辺境伯様になるんだろう? いい相手が現れるって」
「でも、ダミアンがいいんです」
真剣な表情で告げると、ダミアンが金色の目を見開いて驚いている。もう一押しすれば信じてもらえるかもしれないと思った瞬間、ダミアンが噴き出した。
「お前なー、おれじゃなかったら信じてるからな。そういう冗談はよくないぞ」
「冗談じゃないんですけど」
「分かった分かった。おれもライムントが好きだよ。親友だもんな。だからって親友と妥協して友情結婚なんて笑えないからな」
軽く流されてしまってライムントは若干納得できないながらも、その話題はこれ以上続けられなかった。
食べ終わってから、場所をライムントの宿舎に移動して、ダミアンには風呂に入ってもらって、ライムントは酒の準備をする。今日は香りのいいウイスキーを手に入れていた。甘いものにも合うし、塩味のおつまみにも合う。
とっておきのビターチョコレートの包みを開けて箱を開けて置いておくと、ダミアンが髪を拭きながらソファに座ってくる。ダミアンから漂う香りが自分と同じものであることに満足しながら、ライムントはダミアンのグラスにウイスキーを注いだ。
「チョコレートと一緒に飲むと美味しいですよ」
「チョコレートと……。これ、王都で有名なチョコレートじゃないか?」
「こっちにも支店ができていたんですよ」
「買うの大変だったんじゃないか?」
「それほどでもないです」
本当はかなり並んで買ったのだが、そういう苦労は見せずにダミアンにチョコレートを進めると、一口齧ってからウイスキーを飲んでうっとりとしている。
「ものすごくいい香りだな」
「そうでしょう? 年代物のウイスキーなんですよ」
「そんなのを気軽におれに飲ませていいのか?」
「ダミアンと飲みたかったんです」
次はワインにしますか?
そんな話をしながらライムントとダミアンはウイスキーを飲む。
甘いものだけでは足りなくなったダミアンのために、ライムントはチーズも出してきて切ってダミアンに渡した。