辺境に初雪が降った。
ライムントはこの日が来るのが一日でも遅いように祈っていたが、ついにその日は来てしまった。
まだ積もるような雪ではなかったが、すぐに積もるようになる。そうなれば町中はそれぞれに雪かきをして通れるようにするのだろうが、ダミアンの住んでいるような小屋は周囲が雪にまみれてすぐに身動きが取れなくなるだろう。
辺境の冬を始めて超すダミアンに、辺境伯家の厨房のディルクもよく言い聞かせていたようだった。
「冬中一歩も外に出なくても越せるようなたくわえをしておくといいですよ。雪が積もると本当に身動きが取れなくなりますからね」
「おれの分はそれなりにたくわえてあるんだが、馬の分が足りてないかもしれないな」
「一歩も動けなくなることを前提に考えておいた方がいいですよ」
冬中ダミアンに会えなくなるというのはライムントにとっては大きな問題だった。
辺境伯家で夕食を一緒に食べたダミアンは雪が酷くならないうちに馬の食糧を買って帰るつもりのようだ。
ライムントとダミアンの時間ももうあまり持てなくなる。
「冬の間だけでも、町に住みませんか?」
「住もうにも場所がないし」
初めての辺境の冬を一人で越すことに関して、ダミアンも不安がないわけではないようだった。
夕食に同席していたジークハルトとイグナーツが口を挟んでくる。
「辺境伯家に部屋が余ってるよ。よかったら使ってくれ」
「ダミアンが一緒の冬なら楽しいだろうな」
ジークハルトもイグナーツもダミアンのことはすっかり気に入っている。ダミアンは周囲の人間に好かれるタイプなのだ。
「辺境伯家に……申し訳ないような……」
「それなら、ダミアンを雇おうじゃないか、イグナーツ」
「そうだな、ジークハルト。厨房で仕事をしてくれないか? ダミアンの料理が美味しいのはよく知っている」
ディルクに習ってダミアンが料理の腕を上げているのはジークハルトもイグナーツもよく知っていた。厨房の仕事を任されるということでダミアンは納得したようだった。
「時々は、小屋の様子を見に行かせてくださいね」
「行けるときならばな」
「雪が本格的に積もると行き来ができなくなると思うよ」
「その前に、あの美味しいチーズとヨーグルトは買って来てほしいな」
「荷物を揃えてこちらに来るときに買ってきます」
小屋のことは近所の酪農農家の一家に頼むことにして、ダミアンは冬の間は辺境伯家で暮らすことになりそうだった。ダミアンと離れる時間が少なくなりそうでライムントも安堵する。
ひと冬風呂に入っていないダミアンと再会するのは、ライムントでもさすがにつらいものがあったし、春まで会えないというのは単純に寂しかった。
ダミアンが荷物を取りに行くために一度小屋に帰って、明日戻ってくるということで、ダミアンを送り出してから、宿舎に帰ろうとするライムントをジークハルトとイグナーツが引き留める。
「ちょっとお話聞かせてもらおうか?」
「ダミアンとはどうなっているんだい?」
身長もライムントと変わらない屈強な相手に、肩を抱かれて部屋に連れ込まれて、グラスにジンを注がれてソファに座らされる。
「ダミアンには何度も告白してますし、結婚したい旨も伝えていますが、本気にされていません」
「その顔が悪いんじゃないか?」
「ジークハルト、酷い!」
「だって、おれもイグナーツに告白されたときに、『こんな美形がおれに告白するなんてないない! 絶対何かの罰ゲームだ』って思ったよ」
「そんなこと思っていたのかよ!」
叔父夫婦のじゃれ合いを見ながら、ライムントも同じようなことを考えられているのではないかと思ってしまう。自分の顔立ちが整っていることでライムントはよかったと思ったことがない。全然知らない子息令嬢に一目惚れされて、交際してほしいとか、結婚してほしいとか騒がれるし、騎士学校に通っていたころは顔がいいだけで舐められて喧嘩を売られていた。
平民であることで舐められて喧嘩を売られるダミアンと、顔がいいことで舐められて喧嘩を売られるライムント。どちらとも、相手には拳を以て理解してもらってきたが、それも数が増えてくると今度はライムントとダミアンは騎士学校でも恐れられるようになっていた。
それを利用して、ダミアンに告白してこようとする騎士学校の生徒を威嚇して黙らせてきたライムントだが、そのせいでダミアンはすっかりと自分はモテないと信じ切っているのが弊害だった。
「わたしの顔が悪いんですか? 顔は変えようがないんですが」
性格面で悪いところを言われたらどれだけでも努力して変えようと思うのだが、顔が悪いと言われてしまうとどうしようもない。
イグナーツもライムントに似ていて顔立ちはとても整っている。齢四十二歳にして、肌のくすみもなく、灰色の髪は艶々として白髪もなく、緑の目はエメラルドのように輝いているのだから驚いてしまう。
自分も四十代になってもこんな風なのかと思うと少し怖い気がする。
「わたしはジークハルトを口説くのに十年はかかったからなぁ。ライムントはもっとかかるかもしれないな」
「もう十九年も想っていますよ!」
ぽろりと口から出てしまった本音に、イグナーツとジークハルトがジンの入ったグラスをローテーブルに置いて身を乗り出す。
「ダミアンとライムントは騎士学校から一緒だったんじゃないのか?」
「てっきり十一歳のときからだと思っていた」
興味津々の叔父夫婦に、隠してはおけないとライムントはジンを一口飲んで口を開いた。
「剣の師匠のところに初めて行ったときに、双子の弟妹が生まれてご両親が忙しくなったダミアンが預けられていたのですよ。そのときにダミアンと木剣で手合わせをして、負けて、ダミアンのことを好きになりました」
「ダミアンはそのころのことは覚えているのか?」
「全く覚えていません。騎士学校で再会したとき、ダミアンはわたしに言ったんですよ。『初めまして』って、ものすごくいい笑顔で!」
あのときのショックはよく覚えている。ライムントが胸を押さえると、イグナーツとジークハルトが両脇に移動してきて、宥めるようにライムントの背中や肩を叩いてくる。
「いたっ! 痛いです!」
「それで坊やは初恋拗らせちゃったのかー」
「いや、イグナーツも相当執念深いと思ってたけど、ライムントの執着はそれ以上だな」
笑われて、つい口からこぼれてしまったことを後悔しつつ、ライムントは叔父夫婦に口止めをする。
「ダミアンには言わないでくださいね」
「言ったところで覚えてないんだろう?」
「それはそうですけど、そんな小さいころから追いかけていただなんて知られたら、逃げられそうで怖いです」
「分かる。おれもイグナーツの執着が怖くて逃げたかった」
「わたしを愛してるくせに、ジークハルト」
「結婚してから、イグナーツがおれに来る縁談を全部握り潰してたのを知ったからなぁ」
「あれは、ジークハルトを愛していたからなんだ」
叔父と甥。血は争えないようである。ライムントがダミアンに近付く相手をことごとく潰してきたように、イグナーツもジークハルトへの縁談を全て握り潰していた。
心当たりしかなくて、それも言わないようにライムントは叔父夫婦に頼むしかなかった。
翌日、ダミアンは馬に着替えなどを乗せて引いてやってきたようだった。
仕事の後に辺境伯家に顔を出すと、ダミアンが食事の支度を手伝っていた。
「冬中料理を覚え放題だし、豪勢な客間で寝られるし、最高だな」
「いい匂いがしますね。今日の料理はなんですか?」
「牛肉のパイとマッシュポテトとオニオンフライだよ」
「牛肉のパイ、大好きなんですよね」
ダミアンに声をかけて食堂に行くと、イグナーツもジークハルトも揃っていた。
「冬中はここで夕食を食べさせてください」
「そう言うと思ってた」
「用意させてるよ」
ダミアンの作ったものを食べたいライムントに、そうだろうと思っていたという様子でイグナーツもジークハルトも笑っていた。