とりあえず美月を二階の自室へ招き入れた後、僕は飲み物を用意するといって台所へ向かう。そこでスマホをタップし、勉強会に急遽参加できなくなった慎へ連絡を入れた。
来られないのなら先に教えてくれればいいものを……事情確認とクレームが必要だ。
「おい慎、どういうことだ? 美月が一人でうちに来たんだが? このままだと部屋で女子と二人きりなんだが?」
『悪い、千紗が急に体調不良になってさ。でもせっかくだから、お二人でどうぞって』
――慎、ラーメンできたよー!
――おう、今行く。
「……あの、いま三浦さんの元気そうな声が聞こえてきたんだけど……? 慎、ラーメン食うの?」
『ああ、千紗がちょっとうなされてるんだ。悪夢でも見てるのかもな。じゃ、麺がのびるといけないから切るぞ。兎和、上手くやれよ』
余計な気を回すんじゃない、と通話終了を示すディスプレイに向けて呟く。
美月には、恋愛対象とみないよう釘を刺されている……だからといって、年頃の女子であることにかわりはない。しかも突き抜けた美少女だ。
そんな相手と自室で二人きり、緊張しないワケがなく。
初めて友だちが家に来たと思ったら、色々すっ飛ばしたような展開だ……とにかく、気持ちを落ち着けねば。
僕はグラスに冷たい麦茶を注ぎ、一気に飲み干す。
その時、背後から闖入者が現れる。
「なにお兄ちゃん、友だち来たの? どんな人か兎唯がチェックしたげる!」
余計なおせっかいを申し出てきたのは、私服姿の妹である。というか、家にいたのね。両親と一緒にショッピングモールへ買い物に行ったとばかり思っていた。
「お兄ちゃんはボンクラだから、騙されてないか確かめないと!」
バタバタと、妹は勢い込んで二階へ向かった。
いま兄をボンクラって……ボンクラージュ、つまりフランス語で頑張れって意味だよね?
唐突にディスられた僕は、おまけにもう1杯やけ麦茶を呷ってクールダウンする。
それから、『ただ勉強するだけだ』と自分に言い聞かせること数分。ようやく気持ちが落ち着いてきたので、二人分の飲み物を用意して自室に戻った。
「はわわ~、美月おねいしゃま~」
「うふふ、兎唯ちゃんはいい子ね」
自室では、兎唯が美月に小動物よろしく頭を撫でられていた……即落ち2コマかな?
勉強用のローテーブルとクッションを用意していたのだが、その一画で寄り添うように座り、大変仲睦まじそうにしている。
僕はお茶のペットボトルとグラスをテーブルに置き、ため息まじりに問いかけた。
「……なにしてんの?」
「あら、兎和くん。とっても素敵な妹さんね」
「ふへへ、美月お姉さまと今度いっしょに買い物いくんだ~」
完全に籠絡されている……甘えん坊ぶりに定評がある兎唯ちゃんだけど、流石に爆速でなつきすぎだ。
それに、僕としては素直に歓迎できないカップリングである。前にも思ったが、この二人に手を組まれたらどんな理不尽な要求でも押し切られてしまう。
したがって、ここは分断工作を仕掛ける場面だ。
「兎唯、僕たちは勉強するから部屋に戻れ」
「拒否権を発動します。美月お姉さまの神がかった美貌にかかれば、いくらヘタレなお兄ちゃんでも魔が差すかもしれないでしょ。個室で二人っきりなんて危なくてムリ! むしろお兄ちゃんが兎唯の部屋にいけば?」
どうして自分の部屋から追い出されにゃならんのだ……あと、ヘタレとか兄に本当のことを告げてはいけません。真実はよく研いだナイフなみに危険なのです。
妹はイヤイヤ期をぶり返してしまったかのごとく首を横に振り続け、頑として動こうとしなかった。
「まあまあ、兎和くんもそう邪険にしないの。せっかくだし、兎唯ちゃんも一緒に勉強するのはどうかしら?」
「あ、賛成! すぐに教科書とってきます!」
美月の鶴の一声で勉強会への参加者が増えた。
まあ、二人よりはいいか。妹の指摘通り、絶対に魔が差さないとも断言できないし。ただ兄妹揃ってお世話になると、教える側の負担が気になるところだ。
「妹まで悪いな。美月の邪魔にならないといいけど……」
「大歓迎だから気にしないで。それに私は、授業を聞いているだけで勉強は十分なの」
いるよね、そういう人。記憶力というよりも、情報の定着率がずば抜けて高いのだ。なにかと要領が悪い自分としては心底羨ましい体質である。
ついでに気になって成績を聞くと、中学時代は授業を受けるだけで『学年トップ10以内』を維持していたという。
結局はお言葉に甘え、ウキウキの兎唯を加えて勉強会は開始された。
僕は前回と同様、配布された予想問題集を中心に中間テスト対策を進める。加えて美月推薦のクラシック音楽をBGMに、ポモドーロテクニックという時間管理術まで導入したおかげか、驚くほど集中することができた。
そのまま夕方に差しかかると、両親が帰宅する。
にわかに階下が騒がしくなったかと思えば、妹がいったん部屋を出て、ちょっと上品な私服に身を包んだ母と一緒に戻ってきた。
いきなり親を連れて来られても困るだろうに、と僕は眉を寄せる。しかし美月はおしとやかに立ち上がり、如才なく自己紹介していた。
「こんばんは、神園美月と申します。休日なのにお邪魔してすみません」
「いえいえ、こちらこそ何もお構いできずに。兎和がお友だちを招くって言うからビックリしちゃったわ。それに兎唯とも仲良くしてくれたみたいで」
「今度ね、美月お姉さまとお洋服を買にいくんだよ!」
あらあらまあまあ、と母を交えて盛り上がる女性陣。
黒一点で会話にもまざれず、いたたまれなくなった僕は一階のリビングへ逃走した。するとコーヒーを淹れていた父に出くわす。
「おかえり、父さん」
「ただいま。兎和も飲むか?」
もらうよ、と返事をして普段着の父にコーヒーを淹れてもらう。
お高いコーヒーメーカーが作動し、香しいフレーバーがリビング内を満たす。完成を待つあいだ僕はソファに腰掛け、録画してあったJリーグの試合をテレビで観戦する。
ややあって父がコーヒーカップを二つもって隣に座った。僕は自分のカップを受け取り、「いただきます」と告げて口をつける。
「どうだ、最近のトレーニングは?」
「うーん、体力的にはちょっと余裕でてきたかも。それより勉強がツライ……」
「まあ、それは……母さんに怒られない程度に頑張れ」
いつもみたいに穏やかなリズムで父と言葉を交わす。話題はもっぱらサッカー関連。
しばらく試合観戦しつつ雑談に興じていると、二階から賑やかな女性陣がおりてきた。そしてリビングへ顔をのぞかせた美月が、父への挨拶に続いて思いもよらぬ発言をする。
「晩ごはんのお手伝いするわ。お母さまが料理を教えてくださるって。アスリートフードには関心があったから、とっても楽しみ」
ニンマリと笑う美月である。聞けば、一緒に料理して夕飯も我が家で食べて帰るという。好奇心の強い彼女は、母の持つスポーツ栄養学に関する資格に興味をひかれたようだ。
女性陣は楽しそうに台所へ向かった。普段はめったに料理をしない兎唯がまざっているのは、中々に新鮮な光景である。
「兎和、さっきの娘さんは友だちか? いや、まさか彼女!?」
「違うよ。僕があんな超絶美少女と付き合えると思う?」
「うーん……兎和なら釣り合うんじゃないか?」
父の贔屓目がすぎる。学校のアイドル様と一介のモブのカップリングなど、ミスマッチも甚だしい。そもそも美月自身に恋愛する気がなさそうなので、いま以上の関係は望めない。
それにしても、父と異性について話をするのがこんなに気恥ずかしいとは知らなかった。またも僕はいたたまれなくなり、今度は逃げるように庭へ向かった。
照明をつけて物置からサッカーボールを取り出し、夕食まで体でも動かすことにする。
時間を忘れて父考案のドリブルメニューをこなしていると、いつの間にか美月がウッドデッキに腰掛けてこちらを眺めていた。
僕は足を止めて問いかける。
「……料理はもういいの?」
「うん、ほとんど出来上がったわ。それで呼びに来たのだけど、ずいぶん集中していたからつい見入っちゃった」
「眺めていても楽しいモノじゃないだろ」
「そんなことないわ。今後の参考にもなるし、いつまでも眺めていられそうよ。はい、タオル」
返事と一緒にタオルを受け取り、連れ立ってリビングへ戻る。
食卓にはすでに夕食の皿がたくさん並んでいた。僕と美月も席につき、六人揃ったところで夕食開始となる……あれ、一人増えてない?
「私まですみませんねぇ。ああ、美味しい。もう兎和くんのお家の子になっちゃいたい!」
気づけば、涼香さんが晩餐に加わっていた。神出鬼没にも程がある。
母も「なっちゃえなっちゃえ」などと言いながら、ノリノリでグラスにビールを注いでいる。初対面のはずが、すでにめちゃくちゃ馴染んでいる様子だ。
「ちょっと、涼香さん!? 車でしょ!」
美月の驚愕まじりの指摘を聞き、僕は状況を察した。
車でお迎えに来たところで食卓へ招かれ、母に進められるがまま飲酒してしまったのだろう。しかもここで、畳み掛けるように妹が驚きの提案を持ちかける。
「それなら美月お姉さま、今日はうちに泊まっていって! 兎唯のベッドで一緒に寝よ!」
「あら、いいわね。是非ゆっくりしていって」
「妹ちゃんの提案に大賛成! カンパーイ!」
妹の突拍子もない発言に、母と涼香さんがノータイムで賛同する。
こんなとき、父は決して反対しない……我が家は基本的に女性優位なのである。なにより妹には甘々なのだ。
最終的に美月が申し訳なさそうに承諾し、あっという間に話はまとまった。
僕はもう唖然とすることしきりである。まさか恋人が出来るよりも先に、同級生の少女が我が家にお泊りするなんて思いもしなかった。
まったく、なんて日だ……人生は驚きに満ちていると聞くが、どうやらウソじゃないらしい。