二名のゲストを加えたディナータイムは、とても賑やかに過ぎていった。
食後は、美月のお土産である『高級シュークリーム』を皆でいただく。甘いものが得意ではない僕の分は、遠慮を知らない涼香さんがぺろりと平らげた。
食後のブレイクタイムを経て、我が家はお風呂タイムへ突入する。
入浴の順番は、美月、涼香さん、兎唯、母、僕、父、と決まった。そして僕は己の順番が回ってくるまで、妹の監視つきで自室に幽閉されることになった。
「お兄ちゃんがバスルームに近づいたら、ラブコメ漫画みたいにエッチな展開が起こるかもしれないでしょ! ママが入ったらお湯も入れ替えるからね!」
どうやら妹はラブコメと現実を混同しているらしい。しかも母の入浴後にお湯を入れかえる徹底ぶり……まあ、気持ちは理解できなくもない。
美月は突き抜けた美少女だ。僕はもう慣れているし、親しくなる以前は画面越しのトップアイドル的な存在として彼女を認識していた。だからなのか、魔性とすら噂される美貌の破壊力をやや甘く見積もっているフシがある。
しかし一般的観点からすれば、思春期男子に美月の残り湯なんて与えようものなら『大変美味しくすすれました(意味深)』などと言い出してもおかしくはないのである。
そんなわけで、僕は自室待機を進んで受け入れた。
もちろん不意に生じたフリータイムを無為にするはずもなく。珍しく自発的に机へ向かい、美月お手製の予想問題集を解く。
しばらくして、コンコンと扉がノックされる。
「お先にお風呂いただきました。待たせちゃってごめんね」
約1時間ぶりに開いたドアの向こうには、お風呂上がりの美月が立っていた。
妹がいつも着ているタイプのモコモコルームウェアに身を包み、潤んだ長い黒髪が蠱惑的な色艶を放っている。
またきわめて整った容貌に見惚れるのと同時に、普段からほぼノーメイクで過ごしていることに気がつく。とりわけ宝石みたいに輝く青い瞳の魅了は強烈だ。
「このルームウェア、兎唯ちゃんに借りたの。前にサイズを間違って買った物なんだって。どうかな、似合ってる?」
「……ああ、よく似合ってる」
なるほど。妹の反応は、決して大袈裟ではなかったようだ。耐性持ち、かつ恋愛未経験者の僕でなきゃ高確率で魔が差していたに違いない。
「それで、何か用事?」
「ううん、別に。兎和くんは何をしているのかなって」
言って、美月はずいずいと室内へ侵入してくる。さらに「お勉強していたのね、えらいえらい」と賛辞を述べつつローテーブルの横にぺたんと座った。
こんな夜更けに思春期男子の自室を訪れるなんて、あまりに無防備な行動だ。逆に考えると、僕への信頼の表れかもしれないけれど……いや、異性としてみられていないだけ?
それはそれでちょっと情けないので、上腕二頭筋を強調して男臭さを演出してみる。
「なあ、僕からダンディズム感じたりしない?」
「まったく感じないけど……その変なポーズはなに?」
おかしい、美月には効果がないようだ。他に良いアピール方法はないものか……と僕は考えながら少し距離をとって腰をおろした。すると、別の話題を切り出されたのでさくっと思考を切り替える。
「今日はごめんね。いきなりお泊りしちゃって」
「気にしなくていいよ。母と妹もノリノリだったし」
「ふふ、素敵なご家族ね。そうそう、今度またお母さまに料理を教えてもらうのよ。お父さまも自主トレメニューの伝授を約束してくださったし、私ばっかり得しちゃった気分だわ」
いつの間にか母に弟子入りしたらしく、これからも継続的に料理レッスンを受けるのだとか。自主トレメニューの件に関しては、夕食時にあれこれと質問していたので把握している。口ベタな父はタジタジになっていた。
初対面にもかかわらず、美月もうちの家族とずいぶん打ち解けたものだ。晩酌して盛り上がっていた涼香さんほどではないが。
「それにね、ご両親がどれほど兎和くんに期待しているかを知ることができて本当に良かった」
「……息子をJリーガーに、ってやつね。僕がプロになれるなんて、本気で信じているのはうちの両親だけだよ」
「そんなことないわ」
「いいや、ある」
ジュニア年代から始まってジュニアユース卒業まで、クラブチームの練習に参加するためほぼ毎日車で送迎してくれた。家では栄養管理に自主トレと、どんな時でも労を惜しまずサポートしてくれた。長年サッカーを続けるのにだって、少なくない費用が必要だ。
そんな両親の熱烈な応援ぶりを直に見聞きして、どれだけ本気なのか具体的に理解できたことだろう。
しかし肝心の僕は、トラウマの影響でまともにサッカーができなくなり、せっかくの献身を大ナシにしてきた。
高校へ進学する前はサッカーをすっぱり辞めようとも考えた……結局は言い出す勇気がなく、惰性で続ける選択をしたが。
近頃はポテンシャルを評価してくれた美月のおかげで、とても充実した日々を送れている。
けれど、相変わらず両親の期待に応えられるとは到底思えない。積み上げてきた負の記憶が多すぎて、自分を信じてやることすらできていない。
「……だからやっぱり、僕がプロになれると信じているのは両親だけだ」
「心外ね。本気で信じている私をお忘れですか? ほら、やっぱり兎和くんの勘違いじゃない」
そうだった……美月の思い込みの激しさを忘れていた。
続けて彼女は、僕の顔をじっと見据える。力強い輝きを宿す青い瞳と視線がぶつかるや、弛緩していた室内の空気が急速に引き締まったような気がした。
「今日ご両親のお話を聞いて、プロになるだけのベースとポテンシャルを秘めていると再確認できた。だから私は、『兎和くんを絶対にJリーグの舞台まで押し上げてみせる』と改めて決意したわ」
「いやいや、僕じゃ無理だろ……」
「どうしても自分の才能が信じられないのね――それなら、この私を信じなさい」
「美月を……?」
「そう。自分で言うのも恥ずかしいけれど、私はとても優秀なの。そんな私が、兎和くんならプロになれると心から信じているのよ。これ以上ない保証だわ」
モコモコルームウェアを押し上げる胸に右手を当て、堂々たる宣言。
両親では贔屓目がすぎると、どうしても疑ってしまう。自分自身なんて、世界で一番信用に値しない存在だ。
一方、彼女は無条件に頼ってしまいたくなるほどの実績を示してくれている。
これまでは挫折を恐れ、冗談だと流してきた。けれど、いい加減ごまかすのはやめにしよう――家族以外に僕が世界で一番信じられる存在とは、美月その人に他ならない。
「わかった。僕は、Jリーガーを目指す。ちょっと頑張ってみるよ」
「ふふ、その言葉を待っていたわ。ご家族のサポートがあって、この私がいる。兎和くんが覚悟さえ固めてくれたのなら、私たちはもう無敵だわ!」
「あ、でも青春イベントも忘れないでね?」
もちろん、とご機嫌で返事する美月。
その後、また少し話をしてから彼女は妹の部屋へと戻っていった。
翌朝、僕が起床するとゲスト二人の姿は見当たらなかった。通学の準備を整えるため、早めに帰宅したと母が教えてくれた。
まるで昨夜の出来事が泡沫の夢のように感じられた。しかし学校で美月と再会した際、僕は少しだけ胸を張って会話することができていた。
***
明確に『Jリーガー』という目標を意識したからといって、僕のやることはさして変わらない。
朝から授業を受け、放課後は部活に打ち込み、夜の空いた時間で勉強会を行う。そのまま5月後半に差し掛かり、ついに中間テスト初日を迎えた。
結論から言うと、僕はかつてない会心の手応えを覚えつつ全日程を消化した。
美月の作ってくれた予想問題集が、恐ろしいまでの出題的中率を叩き出したのである。おかげさまで全教科において高得点を獲得し、部活に支障をきたすことはなかった。
それ以降、学校生活は通常のルーティンを取り戻す。
これでいつもの日常だ、と僕は人心地ついたような気分だった――ところが、部活サイドでそれなりに大きな変化が訪れる。
もっとも多くの関心を集めた話題は、白石(鷹昌)くんの『Cチーム昇格』。テスト期間が明けると同時に、個人昇格が決定したと発表があった。
ちなみに後ほど美月から、このチーム人事に関する裏話を聞いた。
彼女によれば、『実力よりも試合中などに見せる傲慢な言動が問題視されている』とのこと。上級生の中に放り込めば多少は矯正されるだろう、と永瀬コーチが提案したそうだ。
さらにこの異動に伴い、大型FWの『大桑優也くん』がD1へ昇格した。彼は陰キャ同盟のメンバーであり、実堂戦で共に途中出場した仲だ。
なお、Cチームは定員割れ状態だったので降格メンバーはナシ。以前、数人の退部者が出たらしい。
次いで話題になったのは『朝練』の解禁。例年、学校生活に順応したであろうこの時期から実施が許可されるそうだ。
こうして栄成サッカー部のメンバーは、早起きに慣れるまで寝不足に悩まされることが確定した――だから、こんな惨事が発生してしまったのだ。
「兎和はずっと寝てたから、俺と同じ『騎馬戦(学年別)』にエントリーしておいたぞ」
「なん……だと……!?」
来たる6月1日、栄成高校では体育祭が開催される。それに先立ち、本日午後のHRでは出場種目を決める予定となっていた。
しかし朝練のせいで眠気を催し、僕はうっかり爆睡してしまう。そして慎に起こされたとき、騎馬戦の参加者に名を連ねていた。
「マジカヨ……できれば、玉入れとか目立たない競技にエントリーしたかったな……」
「まあ、一緒に頑張ろうぜ。あと騎馬は俺と柔道部のガチムチメンバーで組むから、兎和は騎手な。目指すは優勝だ!」
おまけに、僕は騎手をやるハメになった。
参加することに意義がある、みたいなスタンスで臨むつもりだったのに……果たして僕は無事に体育祭を乗り切れるのか、すでに不安で仕方がない。