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第67話

「どうした兎和、なんか調子悪そうじゃん。もしかして、またアホなことでも考えてんの?」


 明宝高校との試合からはや数日。

 朝のSHLが始まる少し前に学校へ到着した僕は、窓に映る曇天を眺めながらもの思いに沈んでいた。すると、やや遅れて登校した慎が心外な言葉を放ちながら近寄ってくる。


「……失礼だな。純粋な悩みだよ」


 慎に返事したように、僕は現在深い悩みを抱えていた。それは、あいかわらず彼女ができそうにないこと……もあるけれど、部活に関するものがメインだ。


 先日、僕は玲音と共にCチームへ昇格した。

 ところがそれ以降、パフォーマンスは悪化し続けている。

 原因は明白……慎には、僕のトラウマについて打ち明け済み。なので、現状の問題点をあげて相談してみた。


「Cチームに昇格したけど、先輩たちの気迫に萎縮しちゃって……それに、また白石(鷹昌)くんと同グループになっちゃったし」


「ああ、兎和のメンタル問題が再発したってわけか。ここ最近はかなり改善してきたって話を聞いてたけど」


「ぶり返しちゃったみたい……」


 入れ替え戦以降で共闘した『兎和チーム』に怒鳴るようなメンバーはいなかった。みんな穏やかで、トラウマの侵蝕率が低かった。加えて、東京ネクサスFCさんのゲームトレーニングに参加を続けている好影響もあったように思う。


 しかし、Cチームは正反対。メンバーは40人ほどいるが、1年生はたった3人。ミスをすれば上級生からは容赦ないダメ出が飛び、何かとグループを組まされる白石くんからも怒声を浴びせられる……これで僕がビビらないわけがない。


 チーム昇格に伴って環境はガラリと変わった。ゼロとは言わないが、イチからやり直すようなものだ。しかもこのままいけば、夏合宿もCチームの方に参加することになる。白石くんや先輩方と一緒に寝泊まりすることを想像すると、今からすでに胃が痛い。


「まあ、そのうち慣れるんじゃねーか?」


「時間が解決してくれるほど簡単な問題だったら嬉しいんだけどね……」


 美月の手を借りてもなおこの有様なのだ。時間ごときでどうにかなるほど、僕のトラウマはヤワじゃない。お風呂場のカビといい勝負だ。


「先輩はどうなの? 面倒見てくれる上級生とかいそうだけど」


「いるにはいるんだけど、やっぱ年上だから緊張しちゃって……」


 栄成サッカー部は大所帯ゆえ、複数チーム制を採用している。そのため、各カテゴリにそれぞれリーダーが存在している。

 ただし、キャプテンは全体でもAチームに1人しか存在しない。過去に『下位チームのキャプテンに任命されると昇格のチャンスがない』なんて誤解が広まったせいらしい。


 そこで導入されたのが、トレーニングリーダーという制度だ。

 各カテゴリのチーム毎に数人が任命され、トレーニングを主導する役割を担う。Dチームでは、里中くんや小俣颯太くんが該当する。白石くんも以前はトレーニングリーダーだった。


 なお、僕は選考対象ですらない。リーダシップ皆無だし、トレーニング中ほぼ無言だから。

 そんなわけで、Cチームにもトレーニングリーダーが存在しており、新たに加わった下級生の面倒を見てくれている。


 だが、やはり先輩であることに変わりなく、僕はどうしても気後れしてしまう。

 正直なところ、トラウマを刺激する要素ばかりだ。この分だと、Dチームへ逆戻りする日もそう遠くないだろう。


「そうか。難しい問題だなあ……」


「そうなんだよねえ……」


 その後も二人で頭を悩ませてみたが、良い方策は浮かばなかった。最終的に慎は、「神園に任せた方が良さそうだな」と問題を丸投げする。僕も完全に同意である。

 それから程なくしてチャイムが鳴り、朝の雑談は打ち切りとなった。


 ***


「おっす。今日も頑張ろうぜぃ!」


 放課後。

 僕と玲音はトレーニングウェアに着替え、部室を後にする。次いでピッチへ向かうと、Cチームメンバーの『大木戸(おおきど)先輩』が元気よく出迎えてくれた。


 大木戸先輩は、黒い短髪に中背でガッチリした体格の持ち主だ。明るい性格で、今も小雨が降る天候とは真逆のカラッとした笑顔を浮かべている。

 もっとも重要なのは、彼がトレーニングリーダーであること。つまり、僕たちの面倒を見てくれる優しい上級生なのである。


「こんちわっす、大木戸先輩。いきなりやる気マンマンじゃないすか」


 玲音がフランクな挨拶を返す。それに対し、大木戸先輩も「おうよ」と軽快に応じた。

 二人は出会って5秒で打ち解けていた。コミュ力が高い者同士、波長があったのだろう。一方で、人見知り発動中の僕は控えめに「こんちわっす」と小声で告げる。


 この後は、トレーニングで必要な備品のセッティングなどに取り掛かる。

 雑用は下級生の主な仕事だ。もちろん大木戸先輩を始め、2年生のCチームメンバーも手伝ってくれる。


 僕にとってはブレイクタイムに等しい。セッティング中は、先輩たちから離れることができる。おかけでほっと一息……ついたのも束の間、今度は別方向から違ったタイプのストレスが襲いかかってくる。


「おいゲロ兎和、これも持っていけ。つーか、なんでお前ごときがチーム昇格できんだよ。なんかズルしたんだろ? いい加減白状しろって」


 僕じゃない方の白石(鷹昌・タカマサ)くんが、堂々と雑用を放棄してイチャモンを付けてくる……Cチームに昇格して以降、もはやお決まりのパターンだ。


「いい加減にするのはお前だろ、鷹昌。しつこいにも程がある。兎和の実力は、Dチームの大半が認めている。入れ替え戦に勝って、明宝戦でもMOM(マン・オブ・ザ・マッチ)級の活躍を披露したんだ。これ以上イチャモンをつけるならタコ昌って呼ぶぞ」


「はあ!? 誰がタコだッ!」


 さらにここで、かばってくれた玲音と白石くんの口喧嘩が発生する。続いてなぜか僕が仲裁に入り、一周回って白石くんに怒鳴られるのがいつもの流れだ。


「……まあまあ、二人とも。チームメイトなんだし、ある程度は協力していこうよ」


「ウッセ、このクソ陰キャッ!」


 ほらな……いつも通り過ぎる展開とはいえ、かなりストレスだ。昇格を決めたのは永瀬コーチなんだから、僕に文句を言っても仕方ないのに。


 おまけに、悪天候が続いていることもストレスを助長している。今年も梅雨が到来し、本日は午後からジメジメ雨模様。


 一般的な野外の部活動なら休みになっているところ。だが、栄成サッカー部はこれくらいなら普通にやる。雨の中でボールを蹴るいい機会だと、むしろ積極的にやる。


 猛烈な豪雨や雷の兆候がない限り、僕たちは濡れネズミになる運命なのだ。

 その日も、部活が終わる頃にはパンツまでビショビショになっていた――そんなこんなで、しばらく精神的負荷の高い日々を過ごすハメになった。まるで入学当初の再現だ。


 しかもチーム昇格に伴う環境の変化は、通常の部活動にとどまらない。

 なんと僕は、朝練でも先輩と関わるようになっていた。


「おはよー、兎和。『1対1』やろーぜ」


「おはようございます……あ、はい……」


 早朝のピッチで僕に声をかけてきたのは、Aチーム所属の相馬淳(そうま・あつし)先輩だ。

 栄成サッカー部のエースにして、全国区の知名度を誇る快速ドリブラー。そのうえイケメンの大先輩が、なぜか毎回『1対1』に誘ってくるのだ。


 意味がわからない……どうして僕なんかに目をつけたのか。

 相馬先輩は穏やかな人なので別にイヤじゃない。むしろ刺激的で、東京ネクサスFCさんでプレーしているときのような高揚感すら感じる。


 とはいえ、周囲の視線が痛いのだ。特に白石くん派閥のメンバーが居合わせたときなど最悪で、『調子にノリやがって』というやっかみまで聞こえてくる。無論、体もろくに動かない。


 美月には現状を相談済みだ。しかし返答は、『しばらく様子をみるしかない。いずれ転機が訪れるはずよ』とのことだった。

 まあ、状況を一変させるような手段がほいほい出てくるわけないか……と僕も納得である。


 ちなみに、雨の日はトラウマ克服トレーニングを中止にしていた。代わりに、以前利用したコワーキングスペースで勉強を教わっている。間近に迫る期末テスト対策だ。


 ともあれ、揺るぎない信頼を寄せる個人マネージャーの言葉を支えに、僕はどうにか日々を耐え忍ぶ。

 凪の海原を漂う帆船のように、いつ吹くとも知れぬ追い風を待ちわびた。 

 するとある時、こんな吉報が舞い込んできた。


『全国高校総体(インターハイ)の東京予選において、栄成サッカー部・Aチームが準決勝進出を果たす』


 ふっと風が吹き抜け、淡く頬をなでる――状況が動き出す予感を、僕は静かに感じ取っていた。

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