最初にボールを蹴ったのは、青色のユニフォームを着用する栄成高校だった。
スタメンの顔ぶれは、関東大会のときと変わりない。試合への入り方に関しても似たようなもので、キッカーが後方へパスを出し、少しキープしてから前線へ駆けあがる味方へロングフィードが放たれた。
このボールをヘディングで跳ね返すのは、黄色のユニフォームを着る東帝高校。
サッカー王国と名高いブラジル代表を彷彿させるチームカラーを採用していることから、東帝は『カナリア軍団』の異名を持つ。
実績も異名に違わず、多数のJリーガーを輩出している。近年の戦績は低調気味だったものの、それこそ元JリーガーのOBが監督として招聘されてからはかつての輝きを取り戻している(横にいる玲音情報)。
新進の強豪にして本年度の関東王者、創部史上最強と謳われる栄成イレブン。
名門復活を印象付けるべく、全国への返り咲きを狙う新時代の東帝カナリア軍団。
そんな注目度の高い両チームが激突する、全国高校総体サッカー東京予選・準決勝ファーストゲーム――試合は立ち上がり直後から、さっそく激戦の様相を呈している。
最初にチャンスを得たのは栄成だ。
前半7分。相手のファウルによりフリーキックを獲得し、エースの相馬先輩(左SH)が直接ゴールを狙う。しかし、ボールは惜しくも枠上に外れた。
さらに前半16分。右サイドを抜け出した川村先輩(右SH)がパスを受け、ドリブルで持ち込んでシュートを放つ。が、これは相手GKのファインセーブに阻まれる。
もちろん東帝も黙ってやられるだけではない。
前半21分。右CH(センターハーフ)がパス交換から抜け出し、グラウンダーのシュートを打つ。対する栄成はGKがこれを弾き返し、かろうじてピンチを凌ぐ。
続く前半36分、またも東帝がチャンスを迎える。
巧みなサイドチェンジで揺さぶりをかけ、スライドがややルーズになった瞬間、センターレーンへ鋭い斜めのパスが差し込まれる。さらに前へボールを繋ぎ、最後はFWが豪快に右足を振り抜く――だが、このシュートを栄成の大黒柱たる荻原先輩(CB)が体を張ってブロック。
ディフレクションされたボールがゴールラインを割り、ゲームはいったん途切れる。
その後も一進一退の攻防が続き、会場に響くチャントと声援のボリュームはどんどん上昇していく。
高校総体サッカー東京予選のレギュレーションでは、準決勝は40分ハーフで争われる。そして前半は息つく暇もなく過ぎていった。
「激アツの前半だったな」
「うん。どっちもかなりハードワークしてたね」
ハーフタイムに入り、隣で応援する玲音とこれまでのプレーを振り返る。
栄成は全体を通し、ストロングポイントの両サイドを起点にチャンスを作っていた。逆に東帝は、中央突破を試みる場面が多く見られた。
それぞれの持ち味が鮮明に現れた試合展開だ。なにより、お互い一歩も譲らないデュエルは圧巻の一言。プロには遠く及ばないものの、ケガを恐れず体をぶつけ合う姿から、両チームの全国進出を目指す強い意気込みが伝わってきた。
他にも気になる点を意見交換しているうちに、あっという間にハーフタイムは終了。いよいよ運命の後半戦がスタートする。
両チームの応援団は、勝利を後押しすべく再び声を張り上げた。すると、真っ先に期待に応えてくれたのは栄成イレブンの方だった
後半18分、待望のゴールが生まれる。
中盤の底で、本田先輩(DMF)が相手の甘いパスをインターセプト。そのまま栄成はカウンターを発動。
テンポよく中盤を経由し、左サイドの相馬先輩へボールが渡る――栄成のエースはスピードでマーカーをブッちぎり、敵陣深くまでドリブルで侵入してマイナスのクロスを送った。
このボールに、走り込んだ森島先輩(OMF)が合わせる。タイミングはドンピシャ。体勢を崩しながらもダイレクトで左足を振り抜き、鮮やかにゴールネットを揺らしてみせた。
すかさず、大歓声が会場を包み込む。
熾烈な攻防の中で奪った貴重な先制点。残り時間は20分少々あるとはいえ、栄成はぐっと全国へ近づいた。
試合は、東帝ボールでリスタート。
ここから、両チームの狙いはハッキリ別れる。
後がない東帝は、得点を取るべく前のめりになった。対する栄成はディフェンスに比重を置き、カウンターの機会を虎視眈々とうかがう。
残り時間を考慮した場合、どちらも妥当な判断だ。よって、ここで気になるのは断然ベンチワーク。
サッカーはとにかく、戦術や状況認識を共有できている方が強い。栄成サッカー部ではよく、『目線を揃える』と表現される。
そのため監督は、交代でピッチへ送り込む選手の個性を活かし、チームにメッセージを送ったりする――などと思うが早いか、東帝ベンチが先に動く。
「おいおい、マジかよ……ここで『黒瀬蓮(くろせ・れん)』が出てくるのか。ベンチ入りしていただけでも驚きなのに」
隣の玲音が、信じられないといった表情で呟く。
カナリアイエローのユニフォームに背番号『24』をつけた選手が、東帝ベンチ側の交代ゾーンへ送り出された。やや線は細いものの、整った黒髪と切れ長のイケメンフェイスが特徴的な少年だ。
「黒瀬蓮? 知っているのか、玲音?」
「ああ。ヤツは『多摩JYFC』の出身で、俺たちとタメ年だ。そして、日本クラブユース選手権(U15)で優勝したチームの10番を背負った天才……つか、知らない兎和に驚きだ」
劣等感を刺激されないように、僕は同年代のサッカー情報を意図的に視界から排除していた。だから知らなかったが、彼は将来有望なプレーヤーとして非常に有名らしい。
多摩JYFCは街クラブ(Jリーグに加盟していない民間の育成組織)にすぎない。にもかかわらず黒瀬蓮はエースとしてチームを牽引し、強豪ぞろいのJリーグアカデミーを次々と撃破してジュニアユース日本一の栄冠を手にした。
なにより驚きなのは、年代別代表に選出されていること――すなわち、日本代表の肩書を持つサッカー選手の一人なのだ。
実際、2列目インサイドのポジションに入った黒瀬蓮のプレーは、ファーストタッチから違いが際立っていた。
「うわ、ピッタリ止めるなあ……」
敵ながら、称賛の言葉が思わず僕の口をついて出るほどのプレーぶりだ。
トラップが上手く、ボールコントロールも極めて的確。また判断も早く、小気味よいプレースピードが独特のリズムを生み出している。視野も広く、黒瀬蓮を経由することで東帝のオフェンスは見事に活性化されていた。
あれで同じ1年生なのか……しかもアホほどプレッシャーのかかるこの土壇場で、全国区の知名度を誇るルーキーはその肩書に恥じぬ活躍を披露する。
後半32分。するすると右サイドの高い位置へ流れていった黒瀬蓮は、パス交換を行ってライン際を縦へ抜け出す。さらにボールを受けるや否や、狙いすましたアーリークロスを送り込む。
ターゲットは栄成のゴール横、かつファー(遠くのサイド)へ走り込む東帝の左SH。最前線の2トップが潰れ役となり、まんまと栄成ディフェンスラインの背後でフリーになっていた。
パスの受け手はそのままヘディングを敢行。これが正確にヒットし、ボールはゴールネットを大きく揺らす。
あっさり同点のシュートが決まり、再び大歓声が会場に響き渡る。
栄成のトップチーム相手に、勝負のかかった重要な局面で決定的な働きをする……間違いない。黒瀬蓮は、次世代の日本サッカー界を担う天才の一人だ。
会場に集う多くの観客が同様の確信を抱いていたはず。しかしてその確証は、栄成にとって最悪な形で示された。
それは、同点のまま延長線に突入するかと思われた、後半のアディショナルタイムのこと。
パスを受けた黒瀬蓮が、絶妙な反転トラップによってマークを交わしつつ前を向く。同時に東帝FWがダイアゴナルランを開始し、前線にスペースを生み出す――間髪入れず、鮮やかなワンツーパスがピッチを切り裂く。
一端FWへ渡ったボールは、空いたスペースに走り込んだ黒瀬蓮の足元へ戻る。さらに彼は、巧みなドリブルでペナルティボックスのポケット(ニアゾーン)へ侵入を果たす。立て続けに右足一閃、迷いなくニアハイを打ち抜く。
もちろん栄成GKも反応したが、いかんせんコースが完璧すぎた。ボールは懸命に伸ばされた指先をかすめ、ゴールネットへ深々と突き刺さる。
右拳を天へ突き上げる、カナリアイエローの背番号24。東帝応援団の歓声が爆発し、中立だった他の観客までも巻き込む。魔法のようなプレーに魅了された会場は、栄成にとってアウェイへ早変わり。
ややあって、タイムアップを告げる長いホイッスルが響く。
わあっ、と歓喜の輪に包まれる東帝イレブン。その中心には、黒瀬蓮がいた。
対照的に、栄成イレブンはピッチに崩れ落ちる。相馬先輩だけが、腰に手を当てながら悔しそうに空を見上げていた。
最終スコア、『2―1』。
タイムアップ間際に逆転を許し、栄成高校は全国への切符を逃す。
全国高校総体サッカー東京予選・準決勝ファーストゲームは、こうして劇的な幕切れを迎えたのだった。
***
「兎和くん、兎和くん――」
試合が終わり、撤収作業を済ませた僕たちは速やかに会場外へ出る。
この後、Aチーム以外のメンバーは自由時間を挟んでから学校に再集合し、トレーニングを行う予定となっていた。
しかし、ちょっと集中できそうにない……みんな狐につままれたような表情を浮かべている。土壇場での逆転劇を、いまだに受け入れられていないのだ。
フワフワした感覚が消えぬまま、通用口に差し掛かる。すると、どこからともなく僕の名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「兎和くん、兎和くん――」
凛とした耳馴染みのある声音だ……キョロキョロ周囲をうかがうと、案の定、施設の物陰に隠れて手招きをする美月を発見した。本日は爽やかなカラーの私服を着用している。
玲音に一言断りを入れ、僕は共に行動していた陰キャ同盟のメンバーたちの元を離れた。
「……美月も観戦に来てたんだ。てか、こんなとこで何してんの?」
「兎和くんを待っていたのよ。ほら、こっち来て」
美月にジャージの袖を引っ張られ、僕は歩き出す。方角的に、隣接するメインスタジアムを目指しているみたいだけど……振り返ってみれば、パンツスーツスタイルの涼香さんが付いて来ていた。
しばらくして、僕の予想が正しかったことが証明される。
再び足を止めたのは、メインスタジアムの側――もとい『味の音スタジアム(通称・味スタ)』の従業員向けゲートの前だった。
「はい。これを首にかけてね」
言って、美月はストラップを首にかけてくれる。
なんだこれ……付属のホルダー部分を手に持って確認してみれば、赤字で『STAFF』と書かれたカードが収まっていた。
「あ、まさか……」
「兎和くんが近い将来プレーするピッチを見学するの。さあ、いきましょう」
またも予想通り、ずいずいとスタジアム内へ足を進める美月。
僕は小走りで横に並び、案内に従って歩く。通路や階段を経由し、時おりすれ違う本物のスタッフさんに会釈をしながら数分の道程を踏破する。
最終的にたどり着いた場所は、メインスタンド上層の『SS席』と呼ばれるエリア。
ふっと芝の匂いが香る――緑鮮やかな天然芝のピッチが視界いっぱいに広がった。
「座りましょう」
「うん」
袖を引かれながら近くの席に腰を下ろし、久しぶりに目にした景観にしばらく見とれていた。
小学生ぶりに訪れたが、相変わらず心がスカッと晴れるような眺望だ。惜しむらくは、本日の天候が曇りだったこと。
「というか、スタジアム無人だけど……これ、僕たち本当に中に入って問題なかったの?」
「うちの会社が最近、『東京FC』とパートナーシップについて協議しているみたいなの。その縁で、スタジアム見学の許可がとれたのよ。あ、この話は秘密ね」
東京FCは、この味スタをホームとして活動するJクラブだ。そして現在、美月の家が経営する会社とスポンサードについて協議中らしい。
お金持ちだとは知っていたが、まさかここまでとは……正直、桁違いだ。
「それで、兎和くん。先輩たちの試合を見た感想は?」
「……え、ああ。かなりビックリしたよ。あの東帝の24番……僕と同い年の選手が、試合をひっくり返しちゃったんだ」
「私も観戦していたから、そのことは知っているわ。黒瀬蓮、同年代では有名よね。東京エリアに限定すれば、兎和くんの次くらいのポテンシャルかな」
どうやら美月の目には、僕の方が才能豊かに映るらしい……大丈夫? その青い瞳、曇ってない?
「なによ、その目。まるで『フシ穴』とでも言いたげじゃない」
「……まあ、だいたい合ってるかな」
「失礼ね、私の観察眼は確かよ。それより、過剰にリスペクトしちゃダメよ。この先、あの黒瀬蓮を打倒する必要があるんだからね」
あれを倒す、ねえ……ちょっと自信がない。
もちろん僕は、心から美月を信じている。なので、Jリーガーを目指すべく歩みを止めるつもりはない。
だが、心の冷静な部分が弱気な叫びをあげるのだ。自分ごときがあんな天才に勝てるはずない、と。
「……ぶっちゃけ、勝てっこないって思うよ」
「もう、弱気になっちゃダメよ。兎和くんなら絶対に勝てる、できないことなんて何もない。ほら、前のカラオケのときに教えた定番ソングの中にもそんな歌詞あったでしょ?」
相手は、年代別の日本代表に選ばれるような逸材だ。それにもかかわらず、美月は微塵も負けを疑わない。まっすぐ過ぎて眩しい――ああ、たしかに。歌にあったように、きっとこれは僕にとって世界で一つだけの光だ。
「まったく、美月には敵わないな……わかったよ。負けない、つーか勝つ!」
「その意気よ! それでJリーガーになって、このスタジアムでプレーするの! 兎和くんなら出来る、どんなことも!」
「おう! 近い将来、このスタジアムでプレーしてやる! 僕なら出来る、どんなことも!」
「声が小さい! もう一度!」
「うおぉおおっしゃぁああ――僕なら出来る、どんなことも! 出来ないことだって出来る、アイワナビーアJリーガーッ!」
「よくできました! 100点ハナマルをあげるっ!」
二人して立ち上がり、腹の底から声をだした。
それから顔を見合わせて、ゲラゲラ笑った。
不意に雲間が切れて、陽光がピッチへ注ぐ。パシャリとスプリンクラーが音を立て、緑映える天然芝に散水を開始する。キラリと飛沫が輝き、宙にうっすら虹がかかった。
夏が、もうすぐそこまで来ている。
Sec.2:完