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第122話

 豊原監督が口をとじると、左右からぽんと軽く背中を叩かれる。両隣に立っていた玲音と里中くんの仕業だ。次いで彼らは、僕の胸の前に拳を差し出す。小さく首を振って確認してみれば、揃って嬉しくてたまらないといった表情を浮かべている。


 たまらず僕も口元を緩ませ、コツン。先ほど特別編成チームに選抜された最下級生の3人でグータッチを交わす。


 もっとも、ウキウキしていられたのもここまで。

 豊原監督の決定に納得しない男がいた。無論、白石(鷹昌)くんだ。むしろここで大人しくしているなんて、逆に彼らしくない。


「――ちょっと待ってください!」


 片手を挙げ、ずいっと一步進み出る白石くん。


 ざわつく周囲から視線の集中砲火を浴びるも、まったく怯む様子を見せない。それどころか、相変わらず『自分を中心に世界は回っている』とでもいいたげなオーラを全身から漂わせている。このクソ度胸だけは本当に羨ましい。


 それに今のセリフ、文化祭で勃発したフットサル対決のあとの『ちょっと待った』を思い出す……だが、あの時と空気は正反対。この場では誰一人として楽しそうにしていない。


「納得できません! 兎和より、俺の方がチームに貢献できます! 部の将来を考えるなら、豊原監督の判断は間違っていると思います!」


 続くあまりにストレートな物言いに、周囲のざわめきが一層大きくなる。

 流石にこれはマズいと、隣にいた小俣颯太くんたちがプラクティスシャツを掴んで止めているが、いっこうに引く気配は見られない。


 これは、本格的にヤバい事態なのでは?

 部のトップの決断に公然と異を唱える……日頃から規律を軽んじる言動が目立つ白石くんだが、今回の反抗は次元が違う。最悪、冷遇されてもおかしくない。


 事実、思わぬ人物からお叱りの言葉が飛んでくる。


「黙れ、鷹昌。ここはお前のワガママを聞く場じゃないぞ。これ以上チームの結束を乱すつもりなら、選手権が終わるまで部活には顔を出さなくていい。ここからは、ガチでワンチームにならなきゃダメだ。悪いが、余計な問題にさける時間は1秒だってない」


「そ、相馬先輩……!?」


 予選突破の立役者にして部の大エースに冷たく注意され、さしもの白石くんもたじろぐ。

 部内には、後輩に対して手厳しい先輩が結構いる。前みたいに理不尽な暴言を吐かれるわけではなく、きちんとした指導だから特に問題はないけれど。


 一方、相馬先輩には朗らかな印象しかない。フットサル対決のときでさえそうだ。そんな彼が、突き放すような態度を取った……要するに、それだけ本気ってことだ。よく考えなくても当然すぎる反応ではあるが。


 自分が叱られたわけじゃないのに、思わず背筋を伸ばしてしまった。もっと当事者意識を持って臨まないと。


「相馬の言う通りだ。この先は、栄成サッカー部の新たな歴史を作る戦いになる。試合に出るかどうかに関わらず、選手権に向けて心をひとつにしなければならない。チームのために何ができるか、それぞれが考えながら日々を過ごしてほしい。では、話は以上。解散とする」


  最後に豊原監督がまとめ、全員で返事を唱和してお開きとなる。が、永瀬コーチがさり際に「鷹昌、後で監督室に来い」と厳しい表情で声をかけていた。


 固まって動こうとしない白石くんと派閥メンバーを残し、僕たちはその場を立ち去る……あの沈黙が、嵐の前の静けさでないといいのだが。


 ***


「呼び出して悪いな。今後、お前たちには少し負担をかけるかもしれん。だから、その前に方針や予定を伝えておきたくてな」


 冬の選手権に向け、特別編成チームが発足した翌日。

 僕と玲音、それに里中くんを加えた3人は、部活前に制服のまま監督室へ顔を出していた。永瀬コーチから、新たなタスクに関するレクチャーを受けるためだ。


「ぶっちゃけると、お前たちが試合に関わることはないと思う。再び選手権に出場した場合に備え、より円滑に対応できるよう経験を積んでもらうのが目的だからな。そこで、主な仕事はチームのサポートになる……より具体的に言うと、雑用を担当してもらいたい」


 至極当然の指示である。

 大事な試合に挑むのは、予選を勝ち抜いたメンバーが中心であるべきだ。実力的にも妥当だし、そうでなければ士気に関わる。


 ただし、冬の選手権では『30名』まで選手登録が可能。ならば、次回出場を見据えて上限いっぱいの人員を選抜し、大会の雰囲気や必要な段取りなどを学ばせるのが合理的だ――この経験は部の財産となり、やがて伝統と呼ばれるものの礎となるだろう。


 つまり、僕たちは雑用でチームをサポートしつつ選手権でより多くを体験し、部に情報をフィードバックする役割を担っているのだ。


 ちなみに、選手権で当日ベンチ入りできるのはリザーブを含めて『20名』まで。監督やスタッフは別途『5名』までとなっている。


 せっかくメンバーに選ばれたのに、ベンチ入りすらできないのはちょっと残念。特等席で観戦したかった……けれど、相馬先輩たちの集大成ともいえる全国での戦いをしっかりサポートするつもりだ。


「その代わりと言ってはなんだが、開会式の『入場行進』には参加してもらう予定だ。やったな、今年も地上波で放送されるぞ」


 来たる12月28日、『第1XX回全国高校サッカー選手権大会』の開会式が実施される。会場は、もちろん夢の国立競技場。

 そしてこの式典では、永瀬コーチが話題にした選手の入場行進が行われ、冬の風物詩として全国にテレビ中継される。


 しかも、栄成は同日に開幕戦へ臨むことが決まっている。

 実は、今回の東京予選のBブロック王者には、選手権で開幕戦を飾る権利が与えられていた。


 一方、Aブロック王者は東京都内のスタジアムで試合を行う権利を獲得している。どちらも、全国屈指の出場校を誇る激戦区ゆえの配慮らしい。


 そのため栄成は、試合の準備の都合でベンチ外となったメンバー約10名で行進に参加する……とんでもなく目立つだろうな。


 道理で、白石(鷹昌)くんがあれだけ反発したわけだ。注目を浴びるのが好きそうな彼が、こんなビッグイベントを見逃すはずがない。


 いずれにせよ、監督の決断に異を唱える理由にはならないが――そこで、僕は思考を打ち切った。突如、ドンドンと乱暴に監督室の扉が叩かれたのだ。


 なんだ? もしや、白石くんが性懲りもなく直談判でもしにきたのだろうか?

 僕はなんとなく悪い予感を抱く。左右に立つ玲音と里中くんも似たような想像をしたのか、思わず顔を見合わせる。


 すると、次の瞬間。

 返事も待たず、扉が勢いよく開け放たれた。

 同時に、僕たちは予想が半分当たっていたと悟る。


「おい、中にいたならすぐ対応くらいしろ! アンタ指導者か? 豊原監督はどこにいる?」


 スラックスとブルゾンを着た中年男性が、文句を言いながらズカズカと室内に踏み込んできた――この人、絶対に白石くんの父親だ!


 ひと目見て、すぐに確信した。顔がそっくりなうえ、ブルゾンの胸元に『白石建設株式会社』と記されていたから。


「ちょっと、困りますよ。いきなり入ってこないでください」


「うるさい、早く豊原監督を出せ! よくもうちの息子を不当に扱ってくれたな!」


 吠える白石父……紛らわしいから、今だけ便宜的に『鷹昌父』と呼ぶことにするか。

 それにしても、いきなり怒鳴り込んでくるとはマジで何ごとだ。対応のために席を立った永瀬コーチも目を丸くしている。


 息子を呼んできた方がいいかな……と思ったが、あいにく本日は外部ピッチでのトレーニング予定なので、すでに学校を出てしまっているだろう。


「こちらの椅子におかけください。落ち着いて話をしましょう。まずは名前をお伺いできますか?」


「落ち着いていられるか! 私は白石鷹昌の父だ! うちの息子は、前のチームでも一番うまかったんだ! それを選手権のメンバーから外すなんておかしい――」


 永瀬コーチがどうにか宥めようとするも、鷹昌父は取り合わず延々と怒鳴り散らしている。

 僕はボリュームを増す騒動からいったん顔を背け、こっそり玲音に目配せした。夏合宿でのワンシーンが不意に蘇ってきたのだ。


 白石くんのご両親は、相当なモンスターペアレント――そんな情報を耳にした覚えがある。続けて明かされた『暴力事件』のインパクトが強すぎて、うっかり忘れかけていた。


 それに、まさか実際に遭遇するなんて……というか、出入り口を塞がないでほしい。

 永瀬コーチは、僕たちを逃がそうと椅子を勧めたのだろう。しかし鷹昌父は、頑として動きそうにない。やかましくてすごくストレスだし、このままじゃトレーニングに遅れてしまう。


 困ったな、と僕は顔をしかめた。

 ところが、ここでまた事態が動く。再び扉が開け放たれ、新たな人物が監督室へ踏み込んできたのだ。


「失礼する。ずいぶんと賑やかな客人がいるようだな。それと、この部はいつから保護者が選手選考に口を挟めるようになった? 満晴、説明しなさい」


「ゲェ、秀光じいちゃんまで……」


 品格溢れるスーツを身にまとい、高貴な雰囲気を漂わせる老紳士のご登場。

 背後には、やたらニコニコ顔の豊原監督が控えている。これでは、どちらがこの部屋の主かわかったものではない。


 いや、ちょっと待て……いま永瀬コーチ、『秀光じいちゃん』と呼ばなかったか?


「なんだ、アンタは……うえ!? か、神園会長!?」


「おや、そちらは白石建設の社長さんでしたかな。お元気そうでなにより」


 やはり間違いない。あの高貴な雰囲気を漂わせる老紳士は、『神園秀光(かみぞの・ひでみつ)さん』だ。美月のお祖父さんで、栄成サッカー部のメインスポンサー様でもある。


 大御所の登場に萎縮したのか、鷹昌父は急にしおらしくなった。先ほどまでの横柄な態度はすっかり消え失せ、あきらかに気まずそうだ。


「白石さん。これは年寄りからの忠告だが、子の部活動にあまり親は出しゃばらないほうがよろしかろう。なにか心配ごとがあるのなら、家でよく話を聞いてやりなさい」


「お、おっしゃる通りですね……! お騒がせしました!」


 慌てて監督室を飛び出していく鷹昌父。

 本当に賑やかな御仁だな、と美月のお祖父さん――改め、秀光さんは呆れたように呟く。それからふっと態度を緩め、永瀬コーチと砕けた調子で会話を始めた。


「いや、助かった。じいちゃん、白石鷹昌の親父さんと知り合いだったの?」


「以前、参加したパーティーで挨拶を受けたことがある。息子さんが美月と友人だということでな。うちのグループ企業のひとつが仕事を回している建設会社の代表だったか」


「ああ、下請けさんね……ところで、スポンサーの件はまとまったの?」 


「うむ。豊原くんの意見を聞き、今月中に『KREアスレティカ』の方でも契約を結ぶことにした」


 話を聞くに、二階の来賓室で豊原監督とスポンサー関連の協議をしていたようだ。それで騒動を聞きつけてやってきた、と。


 そこでふと里中くんの反応が気になって確認してみれば、やはり目をぱちくりさせていた。無理もない。美月と永瀬コーチが親戚だって知らないもんな。


 玲音には軽く話してあったので、特に驚いた感じは……あるな。突然現れた秀光さんにびっくりしているっぽい。僕もだから安心してくれ。


 ともあれ、そろそろお暇させていただこう。いい加減、トレーニングに遅刻する。

 豊原監督に椅子を勧められ、腰を落ち着ける秀光さんを眺めながら退室の機会をうかがう。しかしここで逆に話を振られ、僕は困ってしまう。


「それで、満晴。その子が、美月の言っていた少年か? 写真で見た覚えがあるな」


「ん? ああ、そうそう。兎和、じいちゃんに挨拶してやって」


 そんな無茶振り……とりあえず顔を見られる位置に移動し、当たり障りない自己紹介をしておいた。すると秀光さんは、じっと僕の全身を検めるように視線を巡らせる。これ、いったいなんの時間?


「ふむ。よく鍛えているみたいだな――兎和くんよ。今度、我が家へ食事にでもきなさい。それでは、私はこれで失礼する」


 言って、どこか満足した様子で立ち去る秀光さん。監督たちも見送りのため後に続く。

 その場に残された僕たちは、しばらくのあいだ唖然としていた。なにより、かけられた言葉が衝撃的すぎて……兎和くんって、友だちかな?


 いや、それより食事に招待されなかったか?

 騒動が大きくなる前に収まったのはいいが、急展開すぎてわけわからん……とにかく、できるだけ早く美月に連絡しておいた方がよさそうだ。 


 部室に向かいながら、僕は伝えるべきメッセージを頭の中で必死にまとめるのだった。

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