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第162話

「ハンパないアジリティだ……兎和先輩、今日はいつもより数段キレキレじゃないか?」


 スタンド最前列で転落防止の手すりを握り込んだまま、俺――久保寿輝(くぼ・ひさき)は思わず呟く。


 関東高校サッカー大会・東京予選、第二回戦。

 栄成高校VS駒場瑞邦の一戦は、衝撃の展開で幕を開けた。


 キックオフ直後の流れから、なんとわずか1分足らずで得点が生まれたのだ。驚愕のファーストゴールを決めたのは、栄成の『#7』を背負う白石兎和先輩。


 ガツンときたぜ。ここへ至るまでちょっと記憶がおぼろげだったが、おかげでスッキリ目が覚めた。


 それというのも、俺はロッカールームで雑用係を務めたあと、施設の出入り口付近で駒場瑞邦の元チームメイトたちに出くわして……そこでひと悶着あったついでに、特に仲が良かった『横山凌牙(よこやま・りょうが)』から衝撃の事実を告げられた。


 凌牙と佳菜子が付き合っているとかなんとか……俺は、幼馴染の元カノを奪われたのだ。すでに別れていたので『奪われた』は語弊だと人から指摘されるかもしれないが、脳を焼かれたこっちは理屈なんてどうでもいい。とにかく、一緒にいた兎和先輩の慟哭が今もまだ耳に残っている。


 以降のことはよく覚えていない。気づけば玲音先輩たちに連れられ、スタンドの一画に陣取る栄成陣営に合流していた。


 そして、たった今――スタンド最前列でピッチに釘付けとなっていた俺は、驚愕のファーストゴールに続き、さらにこの胸を焼き焦がすような光景を目にした。


 栄成陣営の目の前で、兎和先輩は『栄成のエースは俺だ!』と全身で表現するようなゴールパフォーマンスをブチかました。次いで俺を指差し、『キミの選択は間違ってない!』と叫んでくれた。それを証明してやる、とも。


 正直、昨冬の青森田山戦を見たときと同じくらい震えた。

 実際、手すりを握りしめたまま震え続けている。


「なんか今日はガチでエグいな……さすが栄成の『エル・コネホ・ブランコ』だ」


 栄成陣営が大歓声に包まれる中、左隣にいた坂東理玖が唖然とこぼした呟きを耳が拾う。


 颯爽と野を駆け抜けるウサギの如き緩急自在のドリブルを武器に、相手ディフェンダーをたちまちカオスへ叩き込む。それゆえ、兎和先輩は『栄成のエル・コネホ・ブランコ(白ウサギ)』と称されるようになったと聞く……誰が言い出したかは知らないが、本当にピッタリだ!


 あの異次元の加速を核とするドリブルを『1対1』で止められる者は、同年代ではほとんど存在しないだろう。ならば必然、マークを増やすしか対策しようがないワケだが……話はそう簡単じゃない。


 なにせ兎和先輩は、絶対王者と謳われる青森田山のCB2枚のど真ん中をブチ抜いたサイドアタッカーなのだ。付け焼き刃の対策なんて容易く粉砕してしまう。


 現にピッチでは、俺が睨んだ通りの展開が繰り広げられようとしている。

 瑞邦ボールでリスタートし、少し経った前半13分。


 攻めあぐねた相手のロングボールを回収した栄成は、得意のポゼッションを駆使しながら敵陣へ侵入。さらに右サイドへ展開したかと思えば、一転して鮮やかなパスワークでサイドチェンジを行う。


 これでボールは、アイソレーション(孤立)気味で構えていた兎和先輩の足元に収まった。


 慌てて同サイドの凌牙がスライドして距離を詰め、マッチアップする。やや後方で、瑞邦のSBもフォローに入る――ほぼ同時に俺は、栄成陣営の端、かつスタンド最前列で声援を送っている神園先輩へ目を向けた。


 思い返すは、ファーストゴールが生まれる直前のリアクション。

 あのとき、神園先輩は青いタオルを翻して叫んでいた。尾行した夜に、頼み込んで見せてもらった『アジリティ特化トレーニング』を再現するみたいに。


 そこで、ピンときた。

 兎和先輩は試合中でもあの合図に反応しているのではないか、と。


 よくよく考えると、これまで見た他の試合でも神園先輩は度々叫んでいたような気がする。つまり、声援がそのままスーパープレーの原動力になっているのだ。


「兎和くんッ!」


 ほら、思った通り。ピッチでドリブルにうってつけのチャンスを迎えたまさに今、またしても神園先輩の凛とした声が響く。


 だから衝動に駆られるまま、右隣に立つ有村悠真(ありむら・ゆうま)が持っていたタオルを奪い取り、頭上に振りかぶっていた――鼓動ひとつ分の空白を挟み、俺はタオルを翻しながら全力で叫ぶ。


『――ゴォォオオオオッ!』


 神園先輩と俺の叫びが重なった。

 次の瞬間、兎和先輩は劇的な反応を見せる。縦への突破を試みていたはずが、急激な重心移動を行って上体をセンターレーン側へ傾けた――あれは、マシューズフェイント!


 間髪入れず、一陣の青い風が鮮やかにピッチを切り裂く。

 爆発的なアジリティを発揮し、ユニフォームに手も触れさせずブチ抜く。


 一方、暴風のような重心移動に振り回された凌牙は、堪らずアンクルブレイクしてピッチへ倒れ込む――這いつくばる相手には目もくれず、兎和先輩は驚異的なスピードで敵陣を駆け抜ける。


 そのままペナルティボックスの前まで到達すると、キックフェイントを交えて瑞邦のSBとCBを翻弄。魔法のようにシュートコースを創り出し、今度は左足を振って巧みにゴールネットを揺らしてみせた。


 わあっ、と一斉に栄成陣営が湧き上がる。

 俺も手すりから身を乗り出し、声援を送る。


 追加点を決めた兎和先輩がシンプルなゴールパフォーマンスを披露すると、スタンドはさらなる熱気に包まれた。


「アホ寿輝、俺のタオル返せ……つか、なんだよさっきの叫び」


「よく聞け、アホ悠真。あれは兎和先輩へパワーを送る儀式だ」


 なんだそりゃ、とタオルを奪い返した悠真は眉をひそめていた。その反対側では、理玖が「めちゃエモいじゃん!」と笑顔で騒いでいる。しかも『儀式』の話題は、波紋のように周囲へ伝わっていく。


 神園先輩に固く口止めされているので、兎和先輩の自主トレの件を言いふらすわけにはいかない。けれど、本心は『あのスーパープレーの原点を知っているのだ』と自慢したくて仕方がなかった。めちゃくちゃ優越感だ。


 それでも周囲は、要点だけは理解できたらしい――続く前半21分。

 キャプテンマークを巻く堀先輩が、中盤でインターセプトに成功する。栄成はすかさずカウンターを発動し、素早いパスワークで一気に敵陣へ攻め上がる。


 やがて、ボールは高い位置にポジショニングしているエースの元へ。

 パスを受けた兎和先輩は軸足を前に置き、右足のインサイドでボールを転がしつつ縦方向へステップを踏む。マッチアップする瑞邦SBとの間合いを保ち、ひとつ、ふたつ、みっつ。


 そこでまた、神園先輩の声が響く。

 直後、俺は反射的に拳を掲げる――否、理玖や周囲にいたDチームメンバー(ノリの悪い悠真以外)も揃って腕を突き上げていた。


『ゴォォォオオオオオオ――ッ!』


 神園先輩が青いタオルを翻すと同時に、皆の叫びが重なった。


 声援を受けた兎和先輩は瞬時に態勢を切り替え、今度は踏み込んだ『左足』の反発を利用し、畳み掛けるようにセンター方向へカットイン。シームレスに異次元のアジリティを最大まで発揮し、稲妻の如きドリブルでゴールへと迫る。


 まさに電光石火。瑞邦のSBは何もさせてもらえず、ただ見送る他なかった。

 続けざまに、我慢できず体を寄せてきたディフェンダーをボディフェイントで躱し、兎和先輩は迷いなく右足を振り抜く。


 地を這うグラウンダーシュートが炸裂し、ボールは横っ飛びしたGKの指先をかすめてゴールネットに突き刺さる。


 またしても大歓声に揺れる栄成陣営。

 狂おしいほどの熱量と一体感が、間違いなくここには溢れていた。


 会場の電光モニターには、『栄成3―0駒場瑞邦』の文字が――こうして兎和先輩は、前半の折り返しに差し掛かった時点で『ハットトリック』を達成してしまうのだった。


 昔はあれだけ頼もしく感じていた元チームメイトたちが、こんな一方的にボコられるなんて……想像をはるかに上回る試合展開に、俺はますます興奮を抑えられなくなっていた。

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