目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第161話

「なんすか、唐突に……」


 僕の問いかけに真っ先に反応したのは、背の高い彼――改め、寝取りかけの凌牙くん。


 その顔つきを見るに、どうやら核心をついたらしい。もっとも、そう難しい推測でもない。なにせ彼らは、全中サッカー大会の決勝まで辿りついたほどの選手なのだから。


 そこへ至るまで、どれほどの苦労を重ねてきたか容易に想像がつく。勉強と部活を必死で両立させてきたのだろう。サッカーへの情熱がなければ、とっくに諦めていたに違いない――そう、みんなサッカーが大好きなのだ。


 けれど、駒場瑞邦という超進学校に通う以上、周囲から『勉強が最優先』と繰り返し注意されてきたはず。とりわけ保護者の意向には抗い難く、相当な覚悟がない限りは割り切って従うしかない。


 全中サッカー大会で敗退したその日、ロッカールームは笑顔で満ちていたと聞く――やりきった満足感から? 違うだろ? その裏には、諦観の感情が隠されていたんじゃないのか?


 それで嫉妬心が火に油を注ぐ形となり、必要以上に関係は悪化した。すごく簡単に言ってしまえば、売り言葉に買い言葉がヒートアップしすぎただけの話なのだ。


 僕がこの事実に思い至ったのは、美月に相談した日のことだ。別れ際、彼女が『もしかしたら嫉妬しているのかもね』とそれとなくアドバイスをくれたのがきっかけだった。


「きっとキミたちは、お互いに誤解したままなんだと思う」


「だから何だって……」


「この試合が終わったとき、もし素直になれそうだったらちゃんと話をしてみてほしい」


 僕は全力を尽くし、目の覚めるようなパフォーマンスを披露する。栄成というチームが、確かにプロへ続いていると彼らに認めさせてやる。寿輝くんにも、過去の因縁にこだわっているのがバカバカしく思えるほどの衝撃を与えてやる。


 その結果、互いに歩み寄る余地ができれば尚良し。

 幼馴染の女の子の件に関しては……まあ、当事者同士で話し合ってくれればいいかな。それぞれの気持ちもあるしね。何より、僕にはちょっと荷が重い。


「……栄成の先輩って、ずいぶんお節介なんですね」


「まあね。寿輝くんは、僕の大事な後輩なんだ」


 できること、できないことはあるけどね……ともあれ、これでこちらの用件は終わり。


 僕は「邪魔してごめん」と軽く謝ってからその場を離れる――ピッチへ出たら、先輩たちにも遅れたことを謝ってアップに合流する。


 しばらくして、体を動かしながらふとスタンドを見上げた。

 すると、晩春の日差しが降り注ぐ最前席に美月の姿を見つけ、思わず心が跳ねた。パステルカラーコーデの私服が眩しいほど似合っている。


 それと、今日は涼香さん以外にも旭陽くんが一緒だ。他にも、部の関係者がちらほら応援に駆けつけてくれているみたい。


「兎和くん、私はここにいるからね!」


 大きく手を振って激励してくれる美月に、僕も同じくらい大きく手を振って応える。


 その後、ベンチで試合直前のミーティングが行われ、スタメンはその場でインナータイプのウェアラブル端末とホームカラーのユニフォーム(青)をささっと着用する。


 続けて審判による所定のチェックや整列、加えて円陣などを経て、各自スタートポジションへ散っていく。


 もちろん僕は大事な『#7』を背負い、ピッチへ出る前にレガースをひと撫でした。昨冬の選手権以降に身についた試合前のルーティンだ。


「お節介な先輩はスタメンなんですね」


「そういうキミこそ偶然だね」


 ハーフウェーラインの向こうから声をかけてきたのは、えんじ色のユニフォームをまとう例の凌牙くん。


 どうやら彼、駒場瑞邦の右サイドの選手らしい――栄成の左サイドでプレーする僕とはマッチアップする機会が多くなりそうだ。


「先輩って、選手権で活躍してた人ですよね。もしかして、プロを目指しているんですか?」


「え? あ、うん……一応、Jリーガー志望だけど」 


「やっぱそうなんだ。正直、無謀だと思います。勉強して、いい大学を目指した方が良いに決まってる。そんな簡単になれるなら俺だって……」


 凌牙くんの発言に賛同する人はきっと沢山いる。


 高校から大学へ進学し、公務員や会社員になる。それが一般的な将来設計で、人生安泰なのは明らか。まして日々勉強に励んでいる彼らにしてみれば、Jリーガーを目指すなんて無謀な賭けとしか思えないだろう。


 けれど、僕たちは本気なんだよ。

 キミの言う無謀な夢を叶えるために、青春の多くを捧げると決めた。


「……だから、ここで示すよ。本気で高校サッカー界の頂点を目指すチームがどれだけ強いか」


 会話を切り上げ、美月を一度視界に収めて集中力を高めつつその時を待つ。

 さあ、サッカーを始めよう――僕が心のなかで呟いた直後、センターサークルにボールをセットした主審が高らかにホイッスルを吹き鳴らす。


 関東高校サッカー大会・東京予選、第二回戦。

 栄成高校VS駒場瑞邦高校、キックオフ。


 最初にボールへ触れたのは栄成だった。センターサークル内に立つCFの先輩が後方へボールを戻し、いつも通りの試合の入りを見せる。


 同時に、僕たち前線のメンバーは一斉に敵陣奥深くを目掛けて駆け出す。

 直後、味方最終ラインから放たれたロングフィードが、霞がかる青空を背景に放物線を描く。


 その落下点で、前線に位置する味方選手が力強くジャンプした。体をぶつけてくる相手ディフェンダーを背負いながらも、体制を崩しつつどうにかヘディングで競り勝つ。


 ボールはそのまま、敵陣バイタルのスペースへと転がった。しかもお誂え向きに、左サイド寄り。


 いきなりチャンス到来――僕はボールを視界の端に捉えつつ、メインスタンド最前列の美月へ焦点を合わせていた。青いタオルを掲げ、準備万端と言った様子。


 自然と2人の視線が結ばれる。

 彼女の青く美しい瞳が、ひときわ鮮烈な輝きを放つ。


「兎和くんッ!」


 チームメイトが歌うチャントを裂くように、僕の大好きな凛とした声が響く。

 ああ、意識しなくてもよく聞こえる。きっと会場がコンパクトなおかげだ。

 そして頭に思い描くプレービジョンがピッタリ重なった、その瞬間。


「――ゴーッ!」


 美月は叫びに合わせ、青いタオルを勢いよく翻らせる――青い風がピッチを吹き抜ける、そんな幻想が視界に広がった。


 僕は反射的に体を前に傾け、スプリントを開始。

 踏み出した一歩目、マークにつく凌牙くんの気配をそばに感じる。続く二歩目、ユニフォームの裾を掴まれる感覚を抱く。だが三歩目、ぐんと加速して迷いなく振り千切る。


 背後から届く「あっ!?」と驚くような声を置き去りに、『120パーセント』の力で緑に光るピッチを駆け抜ける――全身を絡め取る不可視の鎖から解き放たれた僕は、次の季節の香りを孕む風を切って突き進む。


 視界の先で弾むボールへと詰め寄る相手ディフェンダーが、慌ててスライディングの体勢に入ったのを瞬時に察知する。


 ずいぶん焦っているな――けれど、僕の方がずっと早いッ!

 青いスパイクの先端でボールを軽くプッシュするとともに跳躍し、芝を滑る相手の体の中空を越えて行く。まるで選手権の青森田山戦のリプレイだ。


 着地したらすかさず体勢を整え、流れるようにドリブルへ移行。たちどころにペナルティボックス手前まで進出する。


 ここで、瑞邦のディフェンダーが弾かれるように距離を詰めてきた。

 対する僕は、シザースを織り交ぜながら左サイド方向へボディフェイントを仕掛ける。さらに反応した相手が堪らず両足を揃えた瞬間、重心の逆へ切り返す。


 この動作に合わせ、右足アウトでボールをひとつ横へ持ち出せば、ふっとゴールまで一直線に視線が通る。


 僕は揺るぎない覚悟を右足に込め、全力で振り抜く。

 間髪入れず、ドンッと――心臓の鼓動めいたインパクト音が鳴り渡り、ボールは矢のような鋭さでゴールネットに突き刺さった。


「うおッ、しゃあぁぁああああ――!」


 最初のワンプレーで幸先よく得点を決めた僕は、メインスタンドに陣取る栄成陣営の前へと駆け寄る。そのまま、ジャンプを交えた渾身のガッツポーズをブチかました。


 空中でくるりと回って背中を見せつけ、両の親指で『#7』を指し示す――着地に合わせて皆大いに沸き上がり、惜しみない喝采が降り注ぐ。少し遅れて堀先輩たちも飛びついてきて、わちゃわちゃと得点を祝福してくれた。


 それから僕は、スタンドからこちらを見つめる寿輝くんに人差し指を向けて叫ぶ。 


「キミの選択は間違いじゃないって証明してやる! まずは関東大会を連覇だッ!」


 続けて美月へサムズアップを贈り、僕は自陣へ引き返していく――胸の奥で燃え盛る闘志が血管を通じ、全身へくまなく巡っていくのをハッキリと感じていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?