「アイ、コーヒーを淹れてくれないかい?
ミルク多めで頼むよ」
「はい、かしこまりました、Sir。
私の特製ブレンドをご用意いたしますね」
朝の優しい日差しが、窓から部屋に差し込む。
僕がアンドロイドの少女、『アイ』の教育を請け負ってから数ヶ月が経った。
「またテロか……」
僕はそう言いながらタブレットのNEWS項目をフリックしてゆく。
「まったく、この不毛な冷戦はいつまで続くんだろうね……」
鼻からため息を吐いて、タブレットを閉じる。
「Sir、コーヒーをお持ちしました」
アイが僕の愛用マグカップを静かに前に置く。
彼女の胸元の青いペンダントがふわりと揺れる。
「今日は特に香り高くできました。気に入って頂けると嬉しいです……」
彼女は微笑みながらシルバーのトレイを胸の前で抱きしめている。
「いつもありがとう。アイ」
そう伝えると彼女は嬉しそうに笑う。
僕はいつもこうして、素直に感謝の気持ちを伝えるようにしていた。
そうする事で喜ぶ顔が、僕は好きだった。
「良い香りだね。君の淹れるコーヒーはいつも最高だよ」
「ありがとうございます。Sir」
アイは自分の胸に手を置いて恥ずかしそうに俯く。
感情を表す仕草のバリエーションは日々、人間に近づいていると感じた。
彼女の教育を任されたが、正直これと言って特別な事をしている訳じゃない。
普通の日常を共に過ごして彼女のデータを報告書にまとめる。
それが僕の仕事だった。
コーヒーを飲み終え、アイに目を向けると彼女は胸元のペンダントを光にかざして眺めている。
「ねぇ、アイ」
僕が呼ぶと彼女は驚いたように背筋を正す。
「はい、ご用でしょうか、Sir?」
「今日、僕は少し遠くへ出掛けなくてはならないんだ。君も一緒に行って貰うよ」
「はい、承知しました。身の回りは私にお任せ下さい!」
「頼りにしているよ、アイ」
「それじゃあ、車を回してきてくれるかい?」
彼女にキーと手荷物を手渡す。
「了解です、Sir」
彼女は誇らしそうに微笑むと、急いでオフィスを出ていく。
彼女の足音とエレベーター扉が閉まる音が聞こえ、遠ざかる機械音が部屋に尾を引く。
僕は小さくため息を吐く。
ダイニングテーブルの写真立てに目を落とすと、そこには時を止めた彼女がいた。
「君はそこに居るのかい?」
彼女は何も答えない。
「君はどうして欲しい?」
彼女の時はそこで止まったまま。
「僕は、どうしたら、良いのかな」
その問いは、静かな部屋に虚しく溶けて、
消えた──