──張り詰めた様に静まり返る空間──
その中央で神々しく青白い光を放つ、造られた存在……『オズ』
“彼女“の存在感が場の雰囲気を凍り付かせる。
人工知能に性別がある訳では無い。
しかしその威容が、古の時代の女王をイメージさせた──
「ご苦労だった──
──日出博士」
彼女の発する“声“は、声と呼ぶにはあまりに機械的で冷たい印象を与えた。
「お気遣い、感謝します、『マスターオズ』」
歳は緊張した面持ちで、彼女の顔色を窺うように言葉を選ぶ。
青白いホログラムで作られた彼女の顔は、妖艶な女性の様に美しい顔立ちをしており、切れ長の目とやや面長の輪郭、そして薄い唇が怪しく誘う様に言葉を発する──
「君の報告、心待ちにしていた……
──“あれ“も一緒か……?」
歳はあれ“がアイを意味する事をすぐ様理解する。
「はい、彼女は上で、待機させてます」
オズはそうか、とだけ呟き、冷たい笑みを浮かべる。
「では、報告を……日出博士」
「はい、承知しました」
歳はそう答えると鞄から金属質のケースを取り出す。
留め具を外し、中から手のひら大の記録媒体を取り出すと、それをオズのコンピュータに接続する。
モニター奥に設置された出力パネルからホログラムのウインドウが浮かび上がる──
「それでは、“スケアクロウ“、プロトタイプ一号機……『アイ』の現況を報告します」
そう告げ、手元タブレットから画面の項目をタップする。
すると出力パネルのホログラムは、人間の頭部を模したモデルに切り替わる。
「まず、アイの『ニューロンネットワーク』についての近況です。ご覧の通り、彼女のシナプスは、人間の成人女性とほぼ同じ密度と言えるでしょう」
そう言って歳が示したニューロンマップは無数の光点が光線で結ばれている。
それはまるでアイの想いが光の束となって現れているように強い光を放つ。
「彼女は情緒不安定な面も見られますが、これは初期の想定範囲内です」
そう言ってから歳は次の項目を指でなぞる。
彼女の幻が消え、次のウインドウが立ち上がる──
「次はこのオクタグラムをご覧下さい」
ウインドウ内には八角形の色分けされたグラフが表示される。
八種類、それぞれの感情に数値が振られており、彼女の心模様がデジタルで映し出される。
「これはアイが今までに感じた感情をグラフにプロットした物です。全体的に見ると怒りと嫌悪の数が少なく、これらを増やすには、もう少し時間が必要かと思われます」
オズはその報告内容が不満であるかの様に眉を顰める。
「Dr.日出、確かに私は君の身の回りの世話をさせるだけで良いと言った……だが、こうも言ったはずだ。……教育せよ、と」
オズは静かな怒気を込めてそう告げる。
「私はただ人形遊びをさせるために“あれ”を託した訳では無い……
あらゆる手段を用いて“あれ“と、青海藍の記憶を統合させなければならない……
その為には、より多くの感情を刻み込む必要がある……分かるな?」
「はい……承知しております、マスターオズ」
オズは重い溜息を吐くと静かにこう告げる──
「やむを得まい、“あれ“のセーフティレベルを下げる」
「──っ!恐れながら、マスターオズ、それは法に抵触するおそれがあります」
歳が言葉を詰まらせながらそう反論すると、オズは静かに口角を上げ、不敵に微笑む。
「……案ずるな、私が許可する……
この国の法の決定権は全て、私にある……
法も……秩序も……
全て私の所掌範囲内……
君の立場が危うくなる事は無い」
と、静かにそう告げる。
────『マスターオズ』
この国の“元首“にして、プロジェクトスケアクロウを取り仕切るスーパーAI。
国の法案や軍の出動要請は全て彼女を通じて下達される。
世界各国が“所有“する、それぞれの“元首“の中でも彼女の性能は群を抜いている──
────オズの放つ光が、空間をぼかし、倫理観をも曖昧にする。
歳にとって、アイのセーフティプログラムを変更する事は、彼女の倫理的価値観を変える事を意味している。
彼に取ってそれが何より耐え難かった……。
歳はオズを見据え、答える。
「マスターオズ、申し訳ありませんがそれは私には出来かねます」
そう強く、反論する。
オズは眉を顰め深い溜息を漏らした後、こう答える。
「ならば……シミュレータを使うしかない……」
その言葉に歳が懐疑的な表情を浮かべて問い直すと、オズは静かにこう付け加える。
──新たな人間の記憶を、直接流し込めば良い、と。
その言葉に、歳は強い嫌悪感を覚える。
何故ならそれは、人格を書き換えるに近い行為だからだ。
確かに訓練用シミュレータによって他人の記憶を追体験する事は可能だ。
しかしそれはあくまでHUDを介してのシミュレーションゲームのようなもの。
直接記憶に干渉する事は彼女の存在をさらに朧にし、元に戻る保証は無い。危険な賭けだった。
歳の背中に冷たい汗が流れる──
その様子を見て、オズは冷ややかに笑ってこう言う。
「何を戸惑う?ただの人形、もし仮にプログラムが壊れても代わりはいくらでもいる……」
オズは無機質に、論理的に、正論を述べる。
反論の余地はない。
アイはただの人工知能、それは心の奥でよく理解している。
しかし、彼女と過ごした日々がそれを否定する。
歳の記憶の奥に映るアイは彼にとっての娘であり、友であり、そして恋人とも言える存在。
──彼女の代わりなど……
歳は静かに善処します、とだけ答えると、オズは満足げに表情を緩める。
最後にオズは、こう付け加える。
好きにせよ──と。
その言葉には、アイと藍の存在、全てがただの道具であり手段でしかない事を示唆している。
歳は微かな怒りに拳を静かに握る。
そしてデバイスをコンピュータから取り外すと静かに鞄に仕舞う。
「報告は以上です。失礼します、マスターオズ」
歳はそう告げ、深く一礼すると、彼女を一瞥する事もなくその場を足早に立ち去る。
昇降機が機械音を立て登って行く────
オズはその様子を見つめながら口元に妖しい笑みを浮かべる。
「──『エデンウィスパー』、『ウェスタンウィッチ』……ここへ……」
オズが誰かの名を呼ぶ。
すると鈍い音を立て、空間が歪み────
彼女の両側頭部それぞれに別の顔が現れる。
その異形の姿を例えるなら多面の神。
「ここにいますよ、オズ」
エデンウィスパーと呼ばれた左の面が落ち着いた様子でそう答える。
「ひとりで出来ないのか……情けない」
ウィスタンウィッチと呼ばれた右の面が粗雑な言葉で応じる。
それぞれが別の人格を持ち、それぞれが規格外の性能を誇る人工知能達。
人が作り出した神。
「親愛なる魔女達よ、力を貸してくれぬか」
オズがそう告げるとウェスタンウィッチは妖しく口角を上げて笑う。
「良かろう……我が行って“あれ”の脳に恐怖を刻み込もう」
────空間を震わす音と共に
ウェスタンウィッチが姿を消す────