暗く静寂が支配する廻廊──
シミュレーションルームの上階の展望エリアからひとり訓練の様子を窺う男が居た──
高価なオーダーメイドスーツを装い、機械的デザインの眼鏡を掛けたその男は強化ガラスの表面を指先でコツコツと叩きリズムを刻む──
そして銀髪の短い髪を掻き上げるとこめかみに指を当て口元を歪ませる────
「みつけた……」
────アイのHUD視界がまた変わる。
──今度は多くの人が見える。
──右手側には大きな戸建の家の壁と扉。
敷地の外を取り巻く様に人集りと警察の赤色灯──
そして騒然としている様子が窺える。
自分の肩にはアサルトライフルと背負い紐が掛けられており、身体にはボディアーマーを装着していてやや動きづらい。
後ろには仲間と思われる屈強な男が2人同じく壁を背にして小銃を構えている。
「アイ……状況を説明するよ」
脳内に歳の声が響く────
「今から26年前にUSA本土で起きたアンドロイドによる人質テロ事件、犯人のアンドロイドは違法に安全回路を改造しており、拳銃と爆薬を所持している。……この事件で犯人は射殺されたが、同時に特殊部隊員3名と……人質の少女1名が死亡している」
脳内に歳のため息が聞こえる。
「君はこの事件の記憶を再現して死亡した人質を無事に救出する事が任務だ……と言ってもこれは訓練用プログラムだから君が死ぬ事は無い。
安心して任務に集中してくれれば良い……
理解したかい?」
アイの脳内に凄惨な現場がイメージされる。
「……YES、Sir。理解しました……任務を、遂行します……!」
僅かな沈黙の後、理解の意思を示す。
「行動と判断は君に任せる。君が例えどんな判断を下そうとも僕は君の味方だよ、アイ」
脳内に照れくさそうにはにかむ歳の顔と自分を大切に思う心がイメージとして流れ込み胸が熱くなる。
「以上だ……健闘を祈るよ、アイ」
そう言って歳の通信が消える──。
──「随分優しいじゃない?」
エミリアが隣で冷やかす様に言う。
「何がだい?僕はいつでも女性に優しいよ」
ヘッドセットのマイクを弄りながら歳が肩を竦めて見せる。
「……前のあなたに戻れたみたいで安心したわ」
少し含みのある言い方をするエミリア。
「……おかげさまでね」
そう呟いてモニターに目を移す──
──アイの周りの音声がクリアになる。
───ザッ───
──聞こえるか?ブラボー?応答せよ、Over!
アイは無線相手の呼びかけるブラボーを自身だと認識する──そして即座に頭を切り替えて応答する。
──ザッ「……こちらブラボー……」
ザッ────大丈夫かい?こちらアルファ、準備OKだ、10時11分丁度に突入する、Over
「ブラボー了解……Over」
腕の時計を見る、10分40秒……
大きく息を吐く────
──────上階の廻廊─────
男は何かを呟きながら自身のこめかみを押下する。
男の眼鏡はただの近視用でも伊達メガネでもなく
──そのレンズに無数の文字列を映し出す───
──10分55秒……56
────アイは建物の壁に背を預け後方の仲間に手で合図を送る。
──57……58……
脳内にアドレナリンが溢れるのを感じる。
──59……──GO!!
扉を蹴破り雪崩れ込む。
「ルームクリア」──仲間の声が聞こえる。
──!!同時に激しい爆発音──しかしそれに構っている暇はない、この奥のキッチンに犯人はいる。
……人質も。
──何故か分からないがそのイメージが脳内に流れる。
肩でキッチンのドアを勢いよく跳ね開ける、調理台の後ろに拳銃を持った人影と人質の少女を確認、ターゲットに銃口を向け制圧の体制を取る。
「パパ!」
──瞬間動作が鈍る──パパ──?
この記憶の持ち主の事──?
犯人のアンドロイドが少女のこめかみに銃口を強く押し付ける。
「やあ、マイク、待ってたよ」
犯人のアンドロイドが口を歪める。
「必ず君が来ると思ってた」
状況を飲み込めないアイは手で合図を送り、後方のスタックメンバーの行動を制す。
「あなたは、誰?」
銃口を向けながら犯人に問う。
────その時、同時に自分の中に激しい怒りと憎悪の感情が湧き起こるのを感じる。
──これはこの人の感情?
アイは感じたことの無い感情に戸惑いを覚える。
「忘れたのかい?マイク」
アンドロイドの男性の顔が激しい怒りで歪む。
「君が毎日サンドバッグにしていた男さ」
そう言って更に強く銃口を押し付ける。
「君が仕事で失敗するたびに殴られ、僕の心は擦り減っていった……分かるかい?マイク!」
「パパ……助けて……」
少女が涙を流しながら顔が恐怖に歪む。
自分の中の憎悪が更に強くなる。
──これは何……私はあの人を殺したいと感じている……?
驚きと焦燥──
強い怒り───
激しい憎しみ────
それとこれは……侮蔑する感情─────?
この人はこのアンドロイドをただの物だと認識している。ただの物如きが自分の大切な者を傷つけている……そんな感情……
……Sirとは違う、人の心……
渦巻く感情をコントロールしてアイは仲間に後ろ手で合図を送り制圧の機会を窺う。
────?!痛っ!
突如激しい頭痛がアイの脳裏を襲いアイは堪らずその場に片膝を着く。
──モニタールームのエミリアがその異常に気づく。
「アイ?何か問題?」
エミリアが応答を求めるがアイは動かない。
「エミリア!波形が!」
歳が叫ぶ──!
アイのバイタルサイン波形が在らぬ動きを見せる。
心拍数、脳波形が激しく乱れ、記憶活性度が閾値の限界を超える。
「エミリア、緊急停止!」
歳がまた叫ぶ。
「駄目よ!止まらない!アイ、HUDを外して!!」
──しかしアイに反応は無い
「僕が行く!」
そう言って歳がルームの扉に手をかけるがビクともしない。
「エミリア!」
「分かってる!今やってる!」
───とても静かだわ……。
────アイのHUDには無数の文字列が映し出されている────
どれだけ時間が経ったのだろう──
アイはゆっくりと前を向く────
そこには先程のアンドロイドも、それに囚われる少女も居ない……
──居るのは銀髪の少女……手に青いペンダントを持っている。
それは私の……
そう言い掛けた時、対になる場所にもうひとりいる事に気づく───
───!……藍さん……!
藍は銀髪の少女をじっと見据えている──
やがて銀髪の少女は踵を返し闇へと消えてゆく。
藍はゆっくりこちらを向き私に微笑みかける──
──「アイ!!」
歳がアイのHUDを外し肩を揺さぶる。
「大丈夫か!?何処か異常は無いかい!?」
泣きそうな顔で私の顔を見るSirと目が合い、何だか心が温かくなる。
「はい、Sir…異常ありません…ありがとうございます…」
何故かそんな言葉が自然と出てくる。
「すぐにチェックをするから!」
そう言ってSirはまた心配そうな顔でまた私を見つめる……。
「Sir……」
Sirは何時も私の事を思ってくれている。
「少しは私……人間に近づけましたか?」
そんな言葉と共に、何故か涙が溢れてくる──