目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

2章 第6話 赤い魔女

昼下がりの繁華街──

パーキングスペースに真っ赤なスポーツタイプの車が停車する。


電動ドアが上にスライドすると、スラリとした長身の女性が嫋やかに降りてくる。


女からは人ならざる雰囲気が漂う。


赤い艶のあるストレートヘアに真っ赤なリップがその存在感を一層際立たせる。


肩からは一目で分かる高級なハンドバッグを下げ、高いヒールのバックストラップのパンプスが彼女のスレンダーなスタイルをさらに底上げしている。


振り返る視線を横目に彼女は路地裏へと入っていく──


不釣り合いなビルの裏道を目的地への最短ルートを選ぶ様に真っ直ぐ進む。


辺りには生ゴミの腐臭が立ち込め、そこかしこに注射を終えたシリンダーが捨てられている。


この場所はいわゆるスラムと呼ばれる貧民街へ続く、本来彼女のような人種が生涯通ることの無いであろう道──


正午過ぎとは言えその場所は夜と変わらぬ薄暗い膜に覆われており、その暗さは危険度に比例する。


この道を真っ赤なロングドレス姿で歩く彼女の姿はまるで全身に血を浴びて鮫の居る海を泳ぐかの如くである。


しかし彼女は意に介さず進んでゆく。


──何故なら彼女には人間の危険等問題にならないからだ。


百メートルと進まぬうちに当然の様に行手を遮られ、男達に囲われる──


「こんにちはお嬢さん……道に迷ったのかい?」

リーダーと思しき男が親切そうに声を掛けてくる。


女性は何も話さずただ俯いている──


「ひひひっ、何黙ってんだ?」

下品な笑いを浮かべて、擦り切れた革のジャケットを着た男が下から覗き込む。


「止めろよ、怖がってるじゃねぇか」

と、全身にタトゥーを入れた男が笑いながら茶化す。


どの男の手にも刃物が握られている。


女はただ、黙ってその様子を窺っている。


彼女の両腕はだらりと垂れ下がり、俯く顔は光の加減で影になっていて見えないが、笑ってる様にも見える──


「止めろ!」

リーダーの男が声を荒げる。


「大事な商品に手ぇ出すな馬鹿野郎が」

そう言って女の胸にナイフを突き当てる。


「お嬢さん……ここが何処だか知らない訳じゃないよな?薬で頭が逝っちまってるなら別だが、まぁそれでも買い手はいくらでも居る」


男の口角が上がり、周りの男達の蔑む様な笑い声も辺りにこだまする。



……女はゆっくりとハンドバッグに手を差し入れる。



ゆっくりと……まるでハンカチでも取り出すかの如く、自然に……



──彼女は銃を取り出す。



サイレンサーの音が響く────



言葉を発する間も与えられず、男達は皆、その場に脳髄を撒き散らす──


そしてまた使い終わったハンカチを仕舞う様に嫋やかにそれをバッグに収める──


赤いドレスは返り血を元からあるデザインの様に彩る


女はまた歩き出す────


近くのパン屋に朝食のパンを買いに行く様に、


何事も無かったかの如く─────





芽衣はひとり、店のカウンターに座って父の帰りを待っている。

時折欠伸をしながら何かの絵を描いている様だ。


芽衣は今年で10歳になるが、学校に通わせて貰っていない為、年齢より幼く見られる。

字の読み書きもあまり難しいものは出来ない。


そんな彼女の数少ない楽しみはアイから聞いた物語の絵を描く事だ。


彼女は一生懸命、昨日聞いた話の絵を描いていた。


案山子とブリキの木こり、ライオンと女の子、そして魔女……


彼女は魔女が好きだった。どんな物語にも出てくるそれは色々な魔法を使い、時には意地悪な事をして主人公を苦しめる。


しかしこの街に住む人達に比べれば、物語の魔女はどれも優しいお婆さんだと芽衣は感じた。


彼女はアイの事も優しい魔女だと思っていた。


──もう10月だと言うのに今日は朝から暑くて、

芽衣は天井からぶら下がるサーキュレーターのスイッチを入れる。


エアコンなんて高価な物は無い。


ブルブルと壊れそうな羽の音が部屋に響く──


店に何ヶ月も前に並べられた商品から埃が舞う──



──その風に飛ばされ画用紙が地面に舞い落ちる。


慌てて床に降りて画用紙を拾おうとすると、カチャリと店の入り口の鍵が開く音が聞こえる。


「お父さん?」

目線を入り口に向ける。


ゆっくりと扉が開き生暖かい空気が入ってくる。


──明るい外の光が黒い大きな影を映し出す。


その影は明らかに父の物では無い。


「……だれ?」

芽衣は急いでカウンターに隠れる。


影はゆっくりと中に侵入して来る。


影は天井のサーキュレーターに触れそうなほど大きな女性だった。


女性は静かにドアを閉めると芽衣に問いかける。

「お父さんは……いるかい?」


何処か冷たさを帯びたやや低めの声──


芽衣は強く被りを振る。

もし魔女が居るならこんな声だろうと芽衣は思った。


女は椅子を取り出すと腰掛けて脚を組む。


「お前が芽衣だね?」


芽衣の心臓がどきっと跳ねる。

飾り気のない問いかけ……でも芽衣はその声に何処か優しさの様な物も感じる。


「あなたは誰?」

ゆっくりとうなづいて聞き返す。


女は少し考える様な素振りを見せて薄く微笑む。


「私は……魔女さ」


また芽衣の心臓が跳ねる、でもそれは不安ではなく期待に近い鼓動だった。


「あなたは魔女なの?ここに何をしに来たの?」

彼女の中に自分が物語の主人公になった様な高揚感が湧き起こる。


「ふ……お前を……貰い受けに来たのさ」

女は素直にこう告げた。


「わたしを?何のために?」

彼女の心はわくわくした気持ちでいっぱいになり、物語の世界にどんどん入り込んで行くような気持ちになる。


女はそんな彼女を不思議な物を見る様な目で見つめる。

「お前……怖くないのか?」


「こわい……って何?」

その問いに芽衣は逆に不思議な表情をする。


────こいつは……。


──女はバッグから銃を取り出し

芽衣に銃口を向ける──


──芽衣はきょとんとした顔で、首を傾げながらで女の顔を見上げる……。


彼女の瞳からは恐怖が感じられない──


「……お前……恐怖の感情が欠損しているようだな」

ゆっくり銃を下す。


「わたし……よくわからない……」

芽衣は困った顔で答える。


女は大きくため息を吐く。


「やれやれ……見当違いだ」

そう呟いて席を立つ。


「じゃあな……前金は返さなくて良いと伝えてくれ」

そう言って踵を返そうとする女。


「……まって……」

芽衣が女のドレスの裾を掴む。


「……何だ?父親に前金は渡してある……他に何か用があるのか?」

女は不機嫌そうに芽衣を見下す。


「えーと……わたしも……いっしょに……」

芽衣は裾を掴んだまま俯いて口籠る。


「はあ……?恐怖心の欠落した奴を連れて行く事は出来ない」

女は呆れ顔で裾を振り解く──


「……お願い……お父さんは……

わたしがいない方がいいの……」


「……何故、そう思う?」

怪訝そうな顔で尋ねる。


「わたし……本当のお父さんの子じゃないんだ……前のお父さんはお酒を飲むと凄く暴れたの……それが嫌でお母さんといっしょに逃げてきたんだ……

でもお母さんはわたしをここに置いて出て行っちゃった……」

芽衣は下を向いたまま震えている。


「……よくある話だ……」


「それにわたし、聞こえたの……わたしがいなければお母さん、ここに帰って来るって……」


女は目を細める──

「……あの会話がきこえたのか?」


芽衣は静かにうなづく。


女は大きくため息をついて肩をすくめる。

「やれやれ……仕方ない……その聴力は使い所がありそうだ……お前を連れて行く」


「──その代わり、自分の身は自分で守れ、

飯も自分で作れ、私の事は誰にも言うな

……分かったか?」


芽衣は笑顔で頷く。

「うん!ありがとう……!

ねえ……あなたの名前は?」


女はやれやれといった顔で告げる。

「私はウェスタンウィッチ、この国を牛耳る魔女のひとりだ」


「じゃあウィッチって呼んでもいい?」


「……好きに呼べば良い」


ウィッチは床の画用紙を拾い上げる……

芽衣の描いた魔女の絵は何処か愛らしい……

その裏に『取引成立』とだけ書いてその上にバッグから取り出した金貨の束をそっと乗せる。


手を繋ぎながら2人は店を後にする──


ウィッチは指先に感じる温もりに胸のざわめきを覚える……それはかつて自分を創り出した母に名を与えられた時の感覚……


My Mother……オリビア────


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?