「ねぇ、ウィッチ……!」
カウンターでジュースを飲みながら芽衣が尋ねる。
「あぁ?何だ、芽衣?」
スコッチを煽りながら面倒くさそうに返す。
「ぎゅうじるって……なに?」
芽衣の稚拙な問いにやや呆れ気味に答える。
「…………支配する、という事だ」
そう言ってグラスにスコッチを注ぎ足す。
芽衣はここぞとばかりに質問をする。
「……ウィッチは偉いの……?」
「……偉い」
と、即座に返す。
「王様くらい?」
芽衣は期待を込めた眼差しで見つめる。
ウィッチは予想外の返答にグラスを回しながら少し考える、そして思いついたように言う。
「…………そうか、お前、学校に通わせて貰って無かったな」
そう言ってグラスをカウンターに置く。
「いいか、よく聞け、この国の誰もが知る常識だ」
「この国の人間で最も権力を持つのは連邦政府の大統領だ。しかし戦争の後に事情が変わった。
大統領の上に平和維持の為、人工知能を“最高元首“として置く事が世界連合法で定められた」
「…………」
ウィッチは分かりやすく説明したつもりだったが芽衣は額にシワを寄せ、頭からは煙が出ている。
「つまりだ、国で選ばれた最も頭の良いアンドロイドが国のトップという事だ」
「それならわかる」
芽衣はそう言いながら得意げに鼻を鳴らす。
ウィッチはそれを確認すると今度は少し低い声で芽衣に顔を近づける。
「今は、我とエデン、そしてオズという名のもう一人のAIが三位一体となってひとつの量子コンピューター、『マスターオズ』として、国の重要な事柄を決める権利を持っている……」
そこまで説明し終えると、ニヤリと笑い、カウンターのスコッチをまた煽る。
芽衣は何かを必死で考えるようにジュースのカップを睨んでいる。
そして思い出したように小声でぼそっと呟く。
「でも……ウィッチ達は国をひっくり返そうとしてるんでしょ?」
芽衣の率直な発言にウィッチがむせる。
「いえ、違うわ……」
「国を、──世界を転覆させようとするのは、オズよ」
エデンが割って入る。
「彼女はテロリストのドュアリスに加担して世界に混沌を招こうとしている」
「そうだ、これを見ろ」
ウィッチはそう言って鞄から取り出した小さな写真をカウンターに置く。
そこには青く光るアンプルと薬剤ラベルが映る。
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製品名:ナノブルー®(Nanoblue®)
一般名:NSR-β型ナノ機械型鎮痛抗うつ薬
製造元:アトラス製薬株式会社(Atlas Pharmaceuticals Co., Ltd.)
所在地:第三区・メディカルタワー
(ArkNoah人工基盤都市)
製造番号:NB-0372-ZX9
承認番号:JP-1128-AP/NBX
用量・濃度:5mg/mL/点滴用アンプル/1.5mL × 10本
使用期限:別所記載
保存方法:冷暗所保存(2〜8℃)
──────
「これはナノブルーという薬だ。
今では普通の医療現場でも使われている」
カウンターにかじりつくように写真を見て、芽衣は目を丸くしている。
「こいつはナノマシンを使った鎮痛抗うつ剤だが、問題はその中身だ。こいつには記憶受信機能がついている」
「きおくじゅしんきのう?」
芽衣が聞き返す。
「そうだ、教育現場や軍のシミュレータ等で使用され、記憶を一時的に書き換えるのに使うが、通常一日程度で身体に吸収、排出される無害なものだ。
しかしこれは違う。非水溶性で、続けて使用すると脳に半永久的に残る。
しかもメーカーはこの事を公表していない」
そう言ってウィッチが写真を指で弾く。
写真は回りながら床に落ちる。
「この薬が世に出てもう5年以上経つ、鎮痛剤、抗うつ剤としてのシェアは世界の約99%以上……」
「つまりどういう事?」
スコッチグラスのロックが音を立てて琥珀色に染まる。
「もし悪意ある目的で記憶の書き換える者がいるとしたら……
冷戦は終わる……
世界は再び、戦禍に巻き込まれる……」
ウィッチの言葉に部屋が沈黙する──
芽衣はグラスの氷を見つめている。
──グラスの氷が音を立てて崩れる。
「……ねぇ、……わたしには何が出来るな……?」
そう小さく呟き力のこもった目で見上げる。
「ついて来い……」
ウィッチは軽く笑って立ち上がると、BARの奥の部屋へ入って行く──
エデンはBARカウンターに肘をつきながら手を振っている。
芽衣はエデンを横目にウィッチに着いて奥の部屋に足を踏み入れる。
その部屋の景色に芽衣は言葉奪われる。
真っ白い空間──そこだけ四角く切り取られたように先程とは全く雰囲気が違う。
その部屋の奥に置かれた機械の中で胸元で手を組み、聖女のように眠る女性──
「彼女が我らのMother、──オリビアだ」
ウィッチが目を細めて静かにそう言う。
芽衣はゆっくり近づいて覗き込む。
「死んでるの?」
「いや、眠ってる……」
オリビアを見下ろしながらそう呟く。
「……きれい……お姫様みたい」
「……そうだな……報われぬ、呪われた姫君」
自分の皮肉な比喩表現に鼻で笑う。
「王子様のキスで目覚める?」
「……ふっ、だと良いがな」
芽衣の純粋な目を見て口元を緩ませる。
「組織に入る人間には彼女に謁見してもらう事にしている……少し動くぞ、何処かに掴まってろ……と言っても掴まる場所など無いがな」
そう言ってウィッチが白い壁の一部に手をかざすと何かが外れる音がして部屋全体が動き出す。
芽衣は慌てて聖女の眠る生命維持装置に掴まる。
ウィッチは何かを説明する様に語り出す──
「この島は昔、対馬列島と呼ばれていた」
部屋はゆっくり音を立てながら下に降りて行く。
「戦争末期、この列島は激戦地となった。
ある国がここに戦術核を投下して、この島にいた人間の殆どが死んだ」
「それが元で、もはや核戦争待ったなしの状況まで追い込まれた」
「せんじゅつ、かく?ウィッチ……それはなに?」
芽衣が話に割り込む。
「人類が作り出した愚かな負の遺産、強力な爆弾さ。それ一発で島民、兵士含めて数万人の人間が一瞬で灰になった」
芽衣は必死に理解を追いつかせようとする。
「さっきも言ったが、その先の歯止めとして、我ら人工知能が権力を持たされた。……しかし表向きに過ぎない」
「愚かな人間は己の利益、快楽、エゴに走り、我ら人工知能等ただの道具としてしか見ていない……
ただ利用して都合が悪くなればプログラムを改ざんし、人工知能人権法等、無かったかの様に無視する……」
ウィッチは強い口調でそう言うと口をつぐむ。
その様子を見つめる芽衣は静かに装置から手を離す。
「やっぱりウィッチには心があるんだね」
芽衣はそう言うとゆっくりとウィッチに近づきそっと手を握る。
ウィッチは何も言わずその手を軽く握り返す。
「さぁな……感情だの心だの、我には分からない。ただ言えるのはMotherへの強い思いと彼女のくれた言葉……それだけが我の正義だ」
そう言って寂しそうにオリビアを見つめる彼女の顔は、記憶の中の母親の顔によく似ていると芽衣は思った。
静かに停止した部屋が今度は横に動き出す──
「芽衣、ノアの方舟という話を知っているか?」
そう聞いて芽衣は首を横に振る。
「──ある時、神は愚かに堕落した人間を憂い、それを滅そうと考えた……正しく生きていたノアとその家族に巨大な船を作れと言い、そして彼の家族と一対の動物達をその方舟に乗せよと命じた。愚かな人間達はその行いを嘲笑った……やがて雨が降り出し、その雨は40日40晩降り続いた。方舟に乗ったノア達を除く、全ての命と大地は水に押し流された。──やがて雨が止んだ時、世界は一面青に覆われていた。しかしノアの飛ばしたハトがオリーブの葉を持って戻ってくる。ノアと動物達はその残された大地に根を下ろし、そこに新しい世界を築いた──」
雄弁に語るウィッチの物語に静かに聞き入る芽衣。
「この島の由来だ……幾つも連なった島々の上に、暗渠のように人工の地盤を張り巡らせ、その上に都市を築いた。それがこの島──アークノアだ」
「そろそろ到着する」
そう言うと部屋が静かに停止し、扉が開く──
潮の香りがする──
遠くに白い建物達と入江が見える。
壁に設置されたスポットライトが辺りを照らし、地下とは思えない程明るい。
「海だ……」
芽衣が呟く。
「ここはアークノアの下、元々の島民が住んでいた場所を我らの基地に作り変えた」
芽衣は恐る恐る外に出ると辺りを見渡す。
自分の立っている場所はこの辺りで一番高い場所で、段々になった地形と入江に向かって白い壁の建物が立ち並ぶ。
天井はコンクリートと金属で作られた大きな橋の様になっており、周囲には大きな柱が沢山の見え、その下に自分が乗ってきた“移動する部屋“の様なものが幾つも見える。
ウィッチが“オリビアの部屋“のドアを閉めると部屋はまた元の場所に戻って行く。
「芽衣、お前にはここで今日から兵士としての教育と訓練を受けてもらう」
芽衣は不安そうな目でウィッチを見上げる。
ウィッチはそんな芽衣を一瞥し、遠くの入江を指差す。
「あそこに行く」
そこは港の様で何隻かの船が停泊している。
ウィッチの指はその隣にある茶色いレンガの建物を指している。
「あの建物が今日からお前の家、そして学校だ」
そう言うと彼女はニヤリと笑い芽衣の頭に手を置く。
芽衣は新しく始まる生活に、少しの不安と強い胸の高鳴りを覚える────