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3章 第8話 オリーブの葉(前編)

鼻先を、潮の香りが掠める──


扉の閉じる音がして、また部屋が動き出す──


一人残された部屋の中、薄明るいこの機械の中で私は無意識という縄に縛られる。


この生命を繋ぎ止めるための装置が、生きるために必要なサイクルを全て自動で行う。


瞼は開かないが、周りの全てが見える様な不思議な感覚……


夢と現の狭間で、自らの存在を忘れぬ様に、夢の様な過去を思い出す──


歳さん──


あなたはもう、私の事など忘れてしまった──?


私はどれだけ眠り続ければ良い──?


切ない思い出が、私の命を繋ぎ止める鎖──


オリーブの葉と鳩を模した校章──


白亜の壁のキャンパス──


潮の香りのする丘──


あなたの笑顔──


ペンダント──


アイ──


ねえ、アイ──


──ペンダントが朝日を浴びてキラキラと輝く


「このワンピース、どう思う?」


明日からの大学生活にと買ったばかりの白いワンピース、自分の細い腕が少し気になる。


私の問いに、少し考える様に沈黙して……

「うん、とても素敵です……オリビア!」

彼女は強く肯定する。


可愛らしい声の主は、青い宝石のペンダント。


彼女はペンダントに内蔵された人工知能の『アイ』、私の一番の友達。


「本当!?ありがとう、アイ」

そう言いながらペンダントを首にかけようと鏡を見る……ふと、手が止まり不安が込み上げる。


「明日からカレッジだよ……私、ちゃんと人と話せるかな……」

思わず弱音とため息が出る。


「大丈夫……!私がついてます」

アイが強い口調でそう言って勇気づけてくれる。


私はそんな優しいアイが大好き。

アイを擬体〈アンドロイドの素体〉にしようかと思った事もあったけど、ペンダントの方がいつも一緒にいられるから、ずっとそのまま……おかげで人間の友達は、ゼロだ。


「マスターオリビア、明日カレッジへ持って行く荷物をまとめてきました」

そう言って、翡翠色のチャイナドレスを着た青い髪の女性が、ドスンと重い音を立てて床にキャリーバッグを置く。


彼女の名前はエデンウィスパー。


私が初めて作ったAIで、大人の女性をイメージして設計した。見た目によらず力持ちだ。


「我も明日ついて行こうか、Mother?」


また大きな音を立てて、巨大なリュックが机に置かれる。

真っ赤なロングドレスと真紅の髪で口調が独特なのがウェスタンウィッチ。


魔女をイメージしたらこの様な話し方と性格になってしまった……口は少し悪いけど、とても面倒見が良くて素直な子。銃火器の扱いはピカイチで、何時も懐に銃を忍ばせている。


作った私が言うのも何だけど、二人はとても優秀。様々なシミュレータで既存のAIよりずば抜けたベンチマークスコアを叩き出す。


二人とも私の大切な、相談相手──


お父様の研究所から試作用として最新素材の擬体を提供された。

二人はそれが気に入ったらしく、何時も私についてくるようになった。


「Motherにつきまとう輩は我が排除する」

そう言いながら腰のホルスターに手を当てる。


ウィッチは考え方が直情的で攻撃的。

何度アップデートしても性格は変わらない。


「ウィッチ、言葉が悪いわよ」

そう言って、嗜める様に前髪をかきあげる。


エデンは冷静で理性的。物事をよく考えて発言する。


二人を例えるなら火と水、もしくは太陽と月……


「二人もついて来るの?

あなた達、目立ち過ぎるのよね……」

そう告げると、二人とも納得いかない顔でこちらを見る。


ウィッチとエデンは自律型の人工知能。


彼女達は自分の意思に従って行動する。


しかし、小かった頃の私が作った二人には、感情の安全装置が付いていない……。


本当はそれは違法である。


人間を傷つける事を防ぐ為に定められた、人工知能に関する安全プロトコル設置義務違反……見つかったら10年以下の懲役、もしくは一千万円以下の罰金

が課せられてしまう。


……でもそんなの、私はおかしいと思う。


だって人間にはそんな物付いていないでしょ……。


まるで人工知能だけが悪者の様な法律。


彼女達は自分から他人を傷つける様な事はしない……一度だけ、不審者に私が襲われそうになった時、ウィッチが相手を殴り倒した事はあるけど……。


ただ法律上、セーフティチェックを定期的に受ける必要はある。


それはどうしようもない事。


だから私は彼女らに『デコイ』の安全プログラムを入れた。


私が組んだ特別製のプログラムは検査をAIに頼ってる普通の人には分かりはしない。


それは、自信を持って言える。


何故なら、私の脳は他人とは違う……頭の中に思い描いたプログラムが形成される。そしてペンダントのアイを介して、周りのコンピュータに出力する事が出来る。


人は私を魔法使いのオズと呼ぶけど、もう慣れた。


もう魔女と呼ばれようと魔王と呼ばれようと何とも思わない、だって私は他人を信用してないから。



私の事をちゃんと、オリビアと呼ぶ人間はお父様だけ……でもそれで十分。



他人なんて面倒くさい。



ボーイフレンドなんていらない。




……この時は、そう思っていた……




「ねぇ、オリビア……私は連れて行ってくれるよね?」

胸元で、キラキラと心配そうに輝くアイ。


「ふふ、勿論よ、アイ」


アイも私が長年かけてバージョンアップした。


元々、私の能力に気づいて使える様に導いてくれたのはアイだ。


私はアイに対話の他に、データ受信出力機能や自動バックアップ機能、通信機能等、様々な機能を追加した。


もちろん、お父様にお願いして資金的なバックアップはして貰ったけど。



──ウィッチがやって来て私を見下ろす。


「ふん、Motherに媚を売るな、キラキラ娘が」


ウィッチはアイをよく思っていない。



───コンコン


小さく部屋をノックする音がする。


かちゃっと、音がして少しドアが開く。


そこには綺麗な黒髪のアンドロイド。


ヘアマニキュアのかかった髪は眉上で直線にカットされ、同じく肩上で切り揃えられている。


「オズ……」

彼女は私が産まれる前から、この屋敷で執事長を務めている、その名は他人が私を揶揄するのと同じ名前。


「失礼します、お嬢様」

無表情に扉を開き、静かに私を見下ろす。


私は彼女が昔から苦手だった……。


名前もそうだけど、その冷たい瞳は何処か私を蔑んだような色をしているから……。


「やあ、オリビア……」

オズの後ろから、優しそうな中年男性が顔を覗かせた……銀色の髪は短く切り揃えられ、独特なデザインの色付き眼鏡が薄く光を反射する。


「お父様……!帰って来てたんですね!」


「ああ、ただいまオリビア」

そう言って微笑みながら、優しく私の頬にキスをする。──お父様からは微かに薬の匂いがした。


「私もノアカレッジのOBとして呼ばれてね。

入学式典は来賓として参加するよ」

そう言って、革製の鞄を机に置く。



お父様は現役の研究者であり、製薬会社の社長という顔も持っていて、何時も多忙で飛び回っている。


お母様が出て行ってからは少し家にいる時間が増えたけど、私の面倒は殆ど世話係のオズが見てくれた。



「マスター、お時間です」

オズが告げる。


「ああ、分かった……すまない、これから本社に戻ってやる事がある、明日の朝迎えに来るよ」

そう言って彼はまた鞄を手に踵を返す。


「愛しているよ、オリビア」

少し振り返って、そう告げると彼は部屋を後にする。


「失礼します」

そう言って、オズが小さく一礼し、ドアを閉める。



──その時微かにオズと視線が合い、私はどきっとして目を伏せる。



ドアの閉まる静かな音と共に階段を二人が降りてゆく音が聞こえる──



「相変わらず感じが悪いな、オズの奴」

ウィッチが悪態をついて鼻を鳴らす。


「先輩なんだからそんな事言わないの」

呆れ顔でエデンが嗜める。



私は胸の奥に少し嫌な物を感じたが、それは明日迎える大きな期待と不安の前に容易く押し流され、消える。



白いワンピースの胸元では、アイが満足げにゆらゆら揺れていた────




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