当初、一年で寮を出る筈だったオリビアだが、気が変わったと言って、今年も寮に残る事になった。
その理由は分かり易い。
歳も寮に居残る事にしたからだ。
オリビアは毎日、寮の自室PCに向かって彼の事を相談している。
相談相手は、彼女が作った二人の魔女だ。
「ねぇ、ウィッチ、エデン。歳さんは私の事、どう思ってるかな……」
画面の中には、デフォルメされた二体のアバターが可愛らしく鎮座している。
三頭身のエデンが、手を腰に当てながら率直に答える。
「良い友達といったところかしら?」
「良い友達か……」
オリビアは少し残念そうにそう呟く。
「あいつの事が好きなら好きと言えば良かろう」
小さなウィッチが面倒くさそうに横を向きながら応える。
「そんなの、無理に決まってるでしょ!」
オリビアは大きくため息を吐く。
「ねぇ、アイはどう思う?」
彼女の問いに私は少し思考する。
「うーん……」
もし、私がここでしたアドバイスによってSirとオリビアが結ばれたら、私は存在しなくなる?
それとも記憶の整合性が取れなくなって、永遠にこの記憶に閉じ込められるのかしら?
そんな事を考えていると、オリビアは何かを納得したかの様に、私に返事を返す。
そう、ここは記憶の世界。
もう過ぎた、過去の世界なんだ……私が何を言おうと何をしようと、“シミュレータのように“、その結末が変わる事は無い。
私はただ、この映画を見る傍観者。
この映画を全て見終わったら、私はSirの元に戻れるのだろうか……
そんな良い知れぬ不安が、粘ついた液体の様にペンダントの中を満たして行く。
Sirに会いたい──
この頃から私は、ホームシックの様に彼への思いを募らせるようになった。
これはオリビアの影響なのか……人工知能である自分に、こんな感情が芽生えたのが可笑しいような、哀しいような……
最初にこの世界に来て、存在があやふやな自分に手足が生えた時の様に、まるで私の“心というオタマジャクシ“に手足が生えた様な、そんな奇妙な感覚。
オリビアの事も好きだけど、でも彼女の好きは、私ではなくてこのペンダントの部屋の持ち主に宛てての愛だと思うと少し寂しくなる。
でも今の状況は、Sirが私のために用意した試練なのだと思う様にしたら、心が少し軽くなった。
私の大事な箱の中のSirは、いつも笑っているけれど、彼の心の中はきっと、とても複雑で、今の私の様に寂しさに満ちていたのだと思う。
そう考えると、あの日、彼が私にくれた言葉達は前よりずっと輝いて見えた──
ある日、オリビアのサークル活動を見ていたアルバート・シュタイン博士が彼女に、『クロノスコンクラーベ』に出場しないかと声を掛けてきた。
博士は、彼女の創り出した二つのAI、『ウェスタンウィッチ』と『エデンウィスパー』の性能を高く評価していた。
オリビアは、躊躇っていたが、歳と一緒なら、という条件で提案を受ける。
歳も快く、引き受けてくれた。
コンクラーベに向かう途中の飛行機の中、ウィッチとエデンは、チェスに興じている。
私は不安そうに、窓から外を眺めるオリビアに声を掛ける。
「オリビア、大丈夫?」
「うん……少し、大丈夫……」
そう言う、彼女の顔はひきつっている。
やがて、手にカップを持った歳と、杖をついた博士がやって来る。
「浮かない顔だね」
そう言って歳は、カップをテーブルに置くと心配そうに彼女を覗き込む。
博士も、向かいの椅子に深く腰を下ろすと、息を吐いた様にオリビアに語りかける。
「すまないね、無理に連れて来てしまったみたいで」
その声は、旧式の身体に見合った風格が感じられる。
「いえ、あの子達を評価して下さってありがとうございます」
オリビアがそう言うと、博士は微笑んだ様な顔をして通路向かいの二人を見る。
「あの二人、一見ただチェスに興じてる様に見えるが、その内容は現代のトッププレイヤーを遥かに超えるものだ」
そう唸って手で顎をさする。
「君の能力を、心から称賛するよ」
そう付け加え、オリビアに微笑みかける。
「博士、僕は何をすれば良いのですか?」
歳がシュタイン博士にそう尋ねる。
「君はただ隣で見ていてくれれば良い」
そう彼が応えると、歳は肩を竦めて──
「それでは僕はただのおまけの案山子みたいなものですね」
──と、冗談まじりに皮肉を言う。
彼の言葉に博士は目を丸くして──
「そんな事はない。こう言っては何だが私も若い者に負けない性能を自負している。誰でも私のセコンドにつける訳ではないよ」
──そう、否定する。
そのやり取りをみて、オリビアの表情は少し柔らいだ気がした。
やがて飛行機は目的地の空港へと着陸する────