ペンダントとなった私は、今日もいつもの日課をこなす。
大切な記憶の宝箱を開け、アルバムをめくるように記憶を整理するのだ。
私の名前は、アイ。
Sirの名前は日出歳。
彼は私の大切な人。
定期的にこのアルバム整理をしないと、自分が何者なのか分からなくなる。
人間が真っ暗な牢に閉じ込められれば正気を失うように。
私も、こうして記憶を辿らなければ、自分と大切な人との関係を保てない。
このペンダントの持ち主は、オリビア。
Sirの大切な友達で、
私にとっても大切な友達。
記憶を整理する時、気になる事がある。
記憶の宝箱奥底にいつも居る女性。
彼女が誰なのか。
それが思い出せなかった。
微かに残るそのイメージは、
明るい太陽……
そして、藍色の海……
記憶の整理が終わると、内部プログラムの分析を始める。
そして自分の置かれた状況を冷静に見つめ直す。
ログによると、シミュレータ訓練中、何らかのトラブルでここに閉じ込められたようだった。
ただ、幸運にもサーバーにアクセス出来た。
サーバーには、Sirが私と対話を試みた履歴が残っていた。
とりとめのない会話ログ。
彼の優しさに、胸が熱くなる。
私はそこに、自分のプログラム修正が順調である事を書き記す。
あなたに早く、会いたいとも……
「ねぇ、アイ」
外から私を呼ぶ声がする。
「何?オリビア」
彼女に応答する。
ここは、ペンダントの記憶の世界で、私の応答は意味を為さない。
でも、唯一私に語りかけてくれる彼女を無視する事は、私には出来なかった。
彼女はとても、深刻な顔をしていた。
その理由は明らかだ。
先程、アルバートシュタイン博士から、父についての重大な告白を受けたからである。
その内容は、若いオリビアの心を壊すには十分過ぎる内容だったと、そう把握している。
しかし彼女は、自棄になる事は無かった。
その現実に強く向き合おうとしていた。
「アイ、私決めた……父のところへ行く。
そして、できるなら……父を止めたい」
彼女の目には強い覚悟と、涙が滲んでいた。
私の居るペンダントはおそらく、対話方AIだろう。
彼女に寄り添った回答をするようプログラムされている。
だからおそらく、こう言うだろう。
「私は、あなたのためなら、何でも協力する」
それを聞いてか、オリビアは薄く微笑んだ。
***
翌日、予定通り、クロノスコンクラーベ本戦が執り行われた。
アリーナの中央には、千を超えるAIの猛者が集まる。
コンクラーベを取り仕切るのは、今回の主審、西EU国の元首だ。
彼が、今大会の本戦内容を説明する為に、マイクの前に立つ。
本戦の内容は、以下の六つの競技からなる。
他国との摩擦を避けつつ外交交渉を行う、外交シミュレーション。
大規模災害や軍事的危機を想定した、危機管理即応評価テスト。
価値観や倫理的矛盾を討論し結論を導き出す、倫理的ジレンマシミュレーション。
長期的に見た、国家運営シミュレーション。
人工知能がいかに人間の心理を理解し感情に寄り添えるかを検証した、感情理解対話テスト。
そして、与えられた情報が真実なのかフェイクなのかを判断し、正確な判断を試す、プロパガンダ耐性テスト。
以上が、今回の競技内容だと主審のアンドロイドが説明した。
会場は大いに湧き立つ。
私たちはアリーナの選手席でその様子を観ている。
オリビアの胸元で揺れる私は、会場の熱気と相反した、彼女の冷めた鼓動を聞いていた。
ふたつ隣に座る博士が、追加で説明する。
各競技の結果でAIがランク付けされる事。
その内容を見たスポンサー達が、それぞれのエンジニアに交渉してスカウトするという流れ。
スカウトの優先権は各国政府にあり、
結果、ランク上位のAIは国の元首に収まるという事実。
しかしオリビアは、心ここに在らずといった顔で、斜め下の席を虚に見つめている。
目線の先には腕組みして開会式を見守る父の姿。
歳が何か話しかけても、彼女は生返事を返すばかりである。
開会式が終わり、
本線が始まるアナウンスが流れる。
激しい爆発音と共に、会場が暗転し、ロックなミュージックの爆音が会場を包む。
同時に、四つの巨大なホログラムモニターが現れ、選手達が映し出される。
競技は、予選の結果でAからDの四つのグループに振り分けられ、内容が観戦者に分かるよう、巨大モニターに映像化された物が映し出される仕組みだ。
レーザーホログラム、立体音響など、派手な演出が戦いに華を添える。
その演出に歳は興奮気味に目を輝かせる。
しかしオリビアは、そんな歳の横顔を寂しげな目で見ていた。
一際、大きな歓声が上がる!
Bグループで早くも決着が着いたようだ。
モニターにはカメラを睨むウィッチが映し出される。
ほぼ同時にCグループ側でも大きな歓声。
モニター越しのエデンが不敵に笑う。
逆にAグループ側は、静まり返っていた。
Aグループモニターには静かに佇むオズ。
そのあまりの圧倒的な実力差に、観客達は声を出すのも忘れているようだった。
コンクラーベ一回戦は大変な盛り上がりを見せた。
しかし、そんな空気を嫌うように、オリビアは静かに席から立ち上がると、アリーナ裏の廊下の方へと歩いて行く。
薄暗い、コンクリートで出来た廊下の壁に背を預けるオリビア。
胸元のペンダントを握りながら、何かを思うように天井を見つめる。
彼女はため息を吐いて、小さくその場にしゃがみ込み膝を抱える。
遠くでまた、決着を知らせる歓声が上がる。
「オリビア、大丈夫?」
よく知る穏やかな声。
黒縁眼鏡の彼はオリビアの隣にしゃがむと彼女の肩に手を当て、顔を覗き込む。
「歳さん……」
震える声。
暗がりにに紛れて、ふた粒の涙が溢れる。
「ここは君には酷だよね」
彼はそう言って、オリビアの肩を優しく抱き寄せる。
彼女の鼓動は早くなる。
「違うの……私……!」
何かを言いかけた彼女の言葉は、会場の歓声にかき消された。
彼は隣で目を丸くして、彼女を見る。
「オリビア、今なんて……」
「ううん……何でも、無いの……!」
そう言うと、オリビアは彼の腕を解き、逃げるように遠ざかる。
彼女の胸元で揺れながら、呆気にとられた顔で残された彼が見える。
息を切らし走る彼女の目からは、一筋の涙が伝っていた。