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5章 第6話 新しい友達(後編)

操縦桿を握る左手が震える。


「nng……大丈夫か、ドロシー?」


トトが心配そうに喉を鳴らしてこちらを見てる。


「そんな緊張するな……じゃあもう一度操縦のおさらいをしようか?」


わたしが小さく頷くとトトも頷いてお座りの姿勢になる。


「BAW」


トトがそう吠えると、ヘッドアップ、ディスプレイの表示が消えてトトだけが残る。


残されたトトが操縦桿を指差す。


「君が手にしてるそれが“操縦桿”だな。飛行機のスティックみたいな形してるだろ」


「前に倒すと艇首を下げる。つまり潜行だ。

後ろに引くと艇首を上げ、浮上する。


左右に傾けると方向転換。ヨー軸操作、つまり旋回だ」


「これが潜水艇の“姿勢制御“。

上下の角度が潜行角・浮上角を決める」



「次はスロットルレバー」


トトのアバターがくるりと跳ねるとレバーの上に着地する。



「このスロットルレバーは推進用スクリューを回すための“出力制御”に使う」



「前に押すとスクリュー回転数アップで前進加速。


引くと回転数がダウンして減速、停止させる事が出来る。


それと、親指の辺りにあるスイッチを押すと後退モード。

スクリューを逆回転させて後退する時に使う」



「次は計器類の説明をするぞ」


今度は前面のパネルを指差す。



「正面のパネルを見ろ。深度計見えるな?今の水深を示してる。


その横に自動潜航ボタンがあるだろ?


それを使うと指定した深度まで自動で潜れる。


でもマニュアル操作も大事だ。緊急時に頼れるのは自分だけだからな」


そこまで話すとディスプレイの中央座って短いしっぽをパタパタ振る。


「後は説明しなくても分かるな。


深度計の右にあるのは方位計。


下にあるのは速度計。


さらに下にあるのがピッチ角を表したもの。


方位計の下は電力管理パネルだ」


トトが言い終わると、HUDにさっきと同じボタンや艇の断面図が浮かび上がる。


「次はHUDのアクションボタン。ディスプレイに浮いてる各種アクションボタンをざっくり説明するぞ」


Hatchボタンはハッチ開閉、乗り降りや補給時に使う。潜航前は必ず閉めろ。


Ballastボタンはバラスト制御、艇の浮力を調整する。FILLで海水を取り込むと沈む、逆に排出すると浮く。


強制浮上のやり方は今度説明する。


Sonarボタンでソナー起動。ソナーで周囲の船や障害物、目標を探知する。ソナーにはアクティブとパッシブがある。


Periscopeは潜望カメラの起動ボタン。水面近くで360°外を視認する時使う。


Engage Propulsionボタンはスクリューを回す主電源みたいなもんだ。



「うーん……目がちかちかする」



「ははっ!まあ急に覚えろとは言わないさ」



トトはそう言って笑った。


そしてまた真剣な顔になるとディスプレイを指差す。


「じゃ、気を取り直してグリンダ断面図ステータス」


HUDに映ってる艇の断面図は各区画に分けられている。


艇首部に前部魚雷室。


上部にセイル。


艇尾にエンジンルーム。


艇を覆うようにバラストタンク。


それぞれ異常があれば赤く点滅すると、トトが説明する。




「ざっくりまとめるとこんな感じBAW」


ソナーと潜望鏡で周囲確認


バラストで浮力制御。


操縦桿で方向と角度。


スロットル操作でスクリュー制御。


HUDボタンで各機能操作。


艇断面図で異常確認。



「……って感じだ、ドロシー。分かったか?

分からないとこはアバターのオイラの鼻先をそこにドロップしろ。そしたらそこだけ詳しく説明するBAW!」



「ふふ、了解だよ。ありがとう、トト。気持ちが少し楽になったよ」



「どういたしまして!これがオイラの仕事だからね」



「あ、言い忘れた。出航前に電磁係留ロープを外すのを忘れるな。転覆するぞ」


そう言ってディスプレイの点灯部位を示す。


「了解……」


彼女がボタンを押すと、遠くで音がして係留が解かれ、大きく艇が揺れる。


「じゃあまずは後退して艇の向きを西側へ。ゆっくりな」


「うん、分かった」


レバーのスイッチを押しながらスロットルを引く。


艇は静かなスクリュー音を立てて後進する。


「よしよし、端から艇首が抜けたら操縦桿で少しずつ頭を西に向けて」


「分かった……頑張る」


緊張した面持ちで操縦桿を操舵する。


「いいぞ、慎重に」


ゆっくりと艇尾が傾きやがてグリンダは西を向いて停止する。


「よし、よく出来た。それじゃあ潜航開始する。深度を設定して、バラストタンク注水開始!」



「了解……バラストタンク、注水!」


ディスプレイのパネルに“BALLAST FILL ”と書かれた部分を押す。


どこか深いところで水の流れ込む音が響いた。


座席がわずかに揺れる。


シミュレータでは感じなかった振動、機器の持つ熱、水がぶつかるゴウンゴウンという音。


潜望カメラの視点が、徐々に下がる。



「よし、とりあえず10フィートまで潜ってみようか。それが出来たら30まで潜ってパッシブソナーのチェックだ」



「了解よ。トト先生」


「BAW……先生なんて……トトでいいよ。オイラは君と対等なパートナーだ」


「うん、分かった……」


艇は排水弁から徐々に空気を吐き出しながら、白波を立て、水面から姿を見えなくする。


「潜望カメラ下げ」


「了解」


モニターが暗転し、艇内には静かな酸素モニターの規則音と、静かな空調ファンの音が響く。


……5……7……10……震度計が10フィートを指すと静かに艇の沈下が止まる。


「ここからはマニュアル操作で30まで潜るよ。艇首を下げてスロットルを前進に、ゆっくり前に倒して」


「うん、やっぱり緊張する……」


「大丈夫、オイラがついてる」


艇がゆっくりと潜航を開始する。




「……よし、モーター停止」


芽衣はスロットルを手前に戻す。


スクリューが音もなく止まり、グリンダが静かに海中に停止する。


「ここでパッシブソナーの訓練をする」


「パッシブソナーって?」


「簡単に言うと水中の音を耳で聞く事だ。アクティブソナーはこちらから音波を発してその反射で物体を捉える。対してパッシブソナーは物体が発している音をこちらが特定する必要があるんだ」


「つまり、音当てゲームね」


「うん、そう考えてもらって間違いない」


トトは少し笑いながら彼女の例えを認める。


「さあ、さっそくやってみようか」


ヘッドアップディスプレイ表示がパッシブソナーモードの同心円状の画面に切り替わる。



「突発的な大きな音は、君の聴力を奪う危険があるからオイラが遮断する。だから安心して訓練して」


その言葉に芽衣は微笑みながら黙って頷く。



そして両手をHUDの耳元に当て、神経を集中する。



静かな世界に、さまざまな“声“が聞こえる。


同時にディスプレイに映るソナー画面を、じっと見つめる。画面には無数の微かなノイズが散らばる中、トトの指示に従い音の変化を探す。


「0《ゼロ》の位置がこの艇の前方、約200°の方向からこの艇の横を通る音が味方の駆逐艦だ」


「うん、低いエンジンみたいな音が聴こえる」


「じゃあ10°の方向には何が聴こえる?」


「…………水の、流れる音?」


「BAW!素晴らしい。そこには湾と繋がる海底トンネルがある。これからそこに向かうよ、ドロシー」


「うん、分かった。わたしの感覚で操縦しても良い?」


「もちろんだとも。このグリンダもオイラも、動かす権限は君にある」


芽衣はその言葉に強い責任感を覚える。


そして慎重にその通路へ、艇首を向けた。


入り口に近づくと流れの音が強くなり、トンネルに進むと音が閉塞的になる。


やがて世界が開けるような音に変わり、彼女の耳がトンネルを抜けた事を、知らせる。


「トト……」


「うん、浮上して潜望カメラをあげてみよう」


潜望カメラは、大きく開けた洞窟のような薄暗い湾を映し出す。


上には巨大な橋のような天井が掛けられ、この橋の上には別の街がある事を示している。


湾の入り口遥か沖、数十Kmにはタンカーが見える。


ここは三日月状の湾の、南端あたりだろうか。


半時計周りに見渡すと、元人が住んでいた島の跡地が延々と続く。


すると、湾の北側にコンクリートで囲われた巨大な壁が見えた。


「トト、あれはなに?」


「さあ、オイラにも分からない。でも何か嫌な感じがするな」


トトは警戒するように鼻を鳴らす。


「あの周りにたくさんのノイズみたいな音が聴こえるよ」


「BAW!ノイズまで聞き分ける事が出来る何て、素晴らしい聴覚だ。それはきっと、機雷が発するパルスだ」


「きらいって?」



「船や潜水艦を狙って設置された爆弾。爆薬式の物と、電子機器にダメージを与えるEMP機雷があって、直接触れる事で爆発するタイプや、モーター音や水圧の変化で炸裂する物もある」


「……何で、あんなところに?」


「さあね。オイラ達、反乱分子を牽制するためか、もしくは近づいて欲しくない何か理由があるのか……いずれにせよ、無理に近寄らない方が無難だ」


「……でも、あの壁の向こうで音がするの」


「音?……オイラには何も……」


「何だろう……低く、お腹の中に響くような……まるで、大きな獣が鳴く声のような不気味な音……」


「……了解だドロシー。その件は後で報告しておくよ」


「うん……」


「じゃあ、今日はもう戻ろうか」


「……分かった」


芽衣はそう返事をして、静かに操縦桿を引く。


艇は静かに潜望カメラを下げ、ゆっくりと海底に沈んでいった──。


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