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5章 第7話 日出歳①

僕は博士と別れ、カレッジを後にした。


ノアステーションからスーパーエクスプレスに乗り、東へと続く長い海中トンネルを走る。


駅でエミリア君に「帰りが遅くなる」と連絡を入れると、帰ったら怒られるだろうな、と少し気が重くなる。


それでも、どうしても行かなければならない場所があった。


自分の心を整理するために。


トンネルを抜けると、アナウンスが「新長崎」と告げる。


長崎空港近くに作られたその駅で乗り換え、僕は故郷の街──「諫早市」へ向かった。


以前、藍君の実家に挨拶に行った時もこの路線を使ったことを思い出す。


藍君は広島の呉市出身で、お互い被爆地の生まれだった。


「三度目の被爆地で一緒になるなんて皮肉だな」と冗談めかして言ったあの日を、まだ覚えている。


彼女と添い遂げることは叶わなかったが、その記憶だけは、今も確かに僕の中で生きている。


電車に揺られ、流れる風景をぼんやりと眺める。

胸の奥がひりつくように疼く。


藍君と過ごした日々――あれは、僕にとって安らぎであり、救いだった。



それが甘く苦い記憶を呼び起こす。


───Sir、本当に良かったんですか?


あの時の彼女の声が、脳裏で響く。

爽やかな香りを纏った黒髪が揺れる。


「何がだい?」

「え、だって……私の為に一緒に帰省なんて……」

不安と期待が混じる彼女の表情が、今も鮮明だ。


「僕らはもう付き合ってるんだから当然だろう?」

「そう、ですよね……」

頬を赤くして俯く彼女を見て、僕はどこか誇らしく、少し申し訳なくも思った。



あの日、僕は間違いなく彼女を必要としていた。

……いや、救われたかったんだ。


オリビアを、置いていかれたあの空白を、埋めたかったのかもしれない。


自分を誤魔化すように藍君に寄りかかっていた。

そう気づいたのは、ずっと後のことだ。




そして、記憶はさらに深く沈む。


オリビア。


アーカーシャ研究所で、再会した彼女。


数年ぶりに見た彼女は、僕の知らない顔をしていた。


かつては儚げで、人を信じられない少女だった。


でも今は、多くの人を導く指導者になっていた。


あの時、返そうとした青いペンダントを、彼女は突き返した。


「もう、私は要らない」と言わんばかりに。



───あれが、どれほど痛かったか。


だから、余計に藍君に心の拠り所を求めたのかもしれない。


それが彼女を縛ってしまったことに気づかずに。



────


いま、故郷に帰るこの道すがら。


僕はようやく、自分の弱さを認めようとしている。


そして、あの二人の記憶と正面から向き合おうとしている。

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