「李、すまない。今日の教習はここまでだ」
教官にそう告げられた。
教習所へ戻ってから他に使用できる場所は無いか当たってくれたが、見つからなかったらしい。
俺は仕方なく空いた時間を外で過ごす事にした。
教習所に設置されたレンタルサイクルを借りて少し離れた市街地を目指す。
天気の良い海沿いの国道は風が気持ち良い。
潮風を身体に感じながら軽快にペダルを踏んでいると、遠くに公園の広場が見えた。
遊具等何も無いただの広場。
看板には緊急時避難場所と書かれていた。
そこのベンチの脇に自転車を停め、ベンチに座り海を眺める。
カモメが数羽、低く飛んでいるのが見える。
ふと、公園の隅に置かれた掲示板が目につく、
何となくベンチから腰を上げ、近づくとそれは、自由に伝言メッセージを書き込む事の出来る電子掲示板だった。
掲示板にはこの島の地図が描かれていて、どのポイントのメッセージか、検索出来るシステムらしい。
書き込んだ人の名前やメッセージは、自由に閲覧出来る物もあれば、パスワードロックが掛かっている物もあった。
もしかしたらと思い、芽衣という名を打ち込む。
名前は数件ヒットしたが、そのうち開けた物の中身はただの悪戯や、個人的な呟きのような物だけだった。
画面を閉じ、今度は春という名前を検索する。
彼女が出て行って、もう何年にもなる。
検索結果には3件と表示された。
1件はロックが掛かっていた。
さらに1件は空白、最後の一件にはメッセージが残っていた。
メッセージ履歴は半年前。
『俊宇。会って話がしたい』そう書かれていた。
「……」
メッセージにはアドレスが添付されている。
場所は元居た雑貨屋に近い場所。
俺は高鳴る鼓動を胸に、強くペダルを踏んだ。
***
同時刻、某所──
「春さん、今月の分、入れといたよ」
会計の男性にそう言われる。
私はその場の端末で入金額を確認する。
これっぽっちか……
思わず心の声が出そうになるのを抑え笑顔で礼を言うと、プレハブの派遣事務所を出て目の前の公園のベンチに腰掛ける。
太陽は少し、西に傾いている。
他のベンチでは、ランチをするカップルやビジネスマン、弁当を売る売り子が見える。
私は独り、ぽつんと座りながらその光景を眺める。
お腹が鳴る。
財布と相談するが、財布は駄目だと言った。
くたびれたスーツは何年も同じ物を着ている。
バッグから鏡を取り出し覗くと目元に濃いくま。
私も今年で30か……
娘を抱えて彼の元に逃げ込んでからもう何年も経つ。
何で私はあの時……
一時の感情に任せて私は娘を捨てた。
駆け落ちの相手には直ぐに捨てられた。
ただの遊びだって。
自業自得。
自分の見る目のなさが嫌になる。
愛していたのはやはり彼だったと気づくが、もう遅い。
未練たらしくメッセージを残し、毎日奇跡を信じてこの場所で待つ。
ただの痛い女。
目の前のワンブロック先には、3人で過ごした雑居ビルがある。
ただ、このワンブロックが私には越えられない、越えてはいけない壁に思えた。
その時、誰かが私の肩を叩く。
ドキッとして見上げると、そこには派遣事務所の太めの先輩。
「春さん、今夜、いいかな?」
派遣の安い月給では食べていけない私の、副業のようなものだった。
私は静かに頷く。
嫌な笑顔で立ち去る先輩を見送ってから、深いため息が出た。
目の前の幸せそうな恋人達や、裕福そうな街行く人達を眺めて、人生は不公平なものだと改めて思う。
13時を告げる音楽と、自転車のブレーキ音。
私は事務所に戻ろうと、ベンチを立った。
目の端に息を切らした男性が入れ替わりでベンチに座る。
何となしにその男性を見る。
すると向こうの男性と目が合った。
心臓が、強く鼓動した。
「……あなた」
「お前……」
彼も、驚いた顔でこちらを見る。
「俊宇……」
「春、なのか……?」
奇跡が起きたと、私の胸が震えた。