口元には笑みを浮かべているけれど、目は微塵も笑ってない。台所に現れた害虫を見るような目付きで謎生物を睨みつけながら、光一に向かって真っ直ぐに歩み寄ってくる。
「ん?」
不意に、光一の腕が引っ張られるような感覚がした。見れば、大人個体が光一の腕を引いて逃げようとしている。人質にでもしようとしてるのだろうか。
しかし、この行動がルビエラの怒りに更なる油を投入したようだ。
「何やってんだクソ虫。いつまでウチのコに触れてんだ、あ?」
底冷えのするドスの利いた声。普段の柔らかな声とまるで違う声。村の爺さんがルビエラをどこか恐れているように見えたのは、こういうことだろうか。
そして、悲しきかな。この謎生物は本当に非力のようで、仮にも6歳児でしかない光一を引っ張ることもできないようだ。さっきから、微塵も光一を動かすことができていない。
もうすぐそこまでにルビエラが迫ってきたとき、謎生物は光一を人質にするのは無理と判断したのか、腕を握っていた手を離し、逃げようと背を向けた。
(おっっそ!)
光一が驚くほど、謎生物の逃げ足は遅い。黒目は上を向き、両腕は万歳をするように上へ高々と上げている。何とも無様で情けない格好だ。ルビエラは少し歩く速度を速めたけれど、その必要は無かったのではと思うほどに、あっさりと謎生物の肩を掴んだ。
「詫びもしないでどこ行くんだ? クソ虫風情が人間側の領域に入ってタダで済むわけ無いよな?」
そう言いながら、ルビエラは謎生物の腕に突き刺さっているナイフをグリグリしながら引き抜いた。
「ビキィィィィィィィ!」
酷い激痛に謎生物は悲痛な叫び声を上げる。
しかし、ルビエラにとっては耳障りな騒音にしかならず、ますますルビエラの機嫌は悪くなる。
「うるさいよ。折角、息子と食べるためにお弁当作って来たのに。オカズを切り分ける為のナイフが台無しじゃない」
(あ、お弁当持ってきてくれたのか)
「光一? あそこの木に蔓が垂れ下がってるの分かるかな?」
謎生物に対するものとうってかわって、いつもの優しい声色で光一に語りかける。
言われた方向を見ると、確かに木の枝から蔓が垂れ下がっている。取ってこいってことだろう。
言われるよりも早くに察した光一がその蔓のところまで言って、力一杯に引っ張ると、思っていたよりも簡単に蔓を取ることができた。
(この状況でコレを持ってこさせるってことは、まあ、縛り上げるってことだよな。怖っ!)
ルビエラの目的を察して震え上がる光一。
それでも、しっかりと蔓を渡すと、ルビエラは笑顔でお礼を伝え、かなり乱暴ながらも素早く謎生物を縛り付けた。
「ビキィ……ビキィ……」
仰向けに転がされ、身動きがとれなくなり、大人個体は涙を流して体を震わせる。恐怖を感じているのだろうか。
拘束が終わった時、木陰から、
「ピキィ……」
大人個体よりも幼い声がした。
その方向を見ると、光一と遭遇した3匹の子供個体の1匹だろうか、小さい謎生物がこちらを覗き込んでいた。他の2匹が光一に襲われている時に逃げ出して、大人個体を呼んできた個体だろう。
この個体を見たルビエラの行動は早かった。大人個体を縛っても余っていた蔓を手に取ると、真っ直ぐに子供個体へ近付いていく。
「フゴー! フゴッ、フゴー!」
ルビエラを呼び止めようとしているのか、子供個体に逃げるように言っているのか。どちらにせよ、泣いているだけだった大人個体が、必死の形相で叫んでいる。
「うるさい」
光一は、再び湧き上がってきた衝動のままに、仰向けに転がされている大人個体の股間を踏み付ける。人間と同じで急所のようで、目玉が飛び出すのではなかろうかと思う程に目を見開き、
「ビキィィィィィィィィィィィィィィィィィィィッ!!」
と、凄まじい悲鳴を上げる。それで喉が裂けたのか、口の端から青い液体が泡混じりに流れ出ている。
「ピキィ、ピキィ!」
光一の暴挙を止めようとしたのか、子供個体は木陰から飛び出すが、即座にルビエラに制圧され、大人個体と同様に縛り付けられた。それを、まるでゴミをつまみ上げるようにして持ち上げると、大人個体の隣に放り投げた。
「ピギュッ、ピ……ピキィ……」
投げ飛ばされ、地面に落ちた子供個体は、全身を痙攣させながらも、恐怖に満ちた目で光一とルビエラを見つめる。
助けを乞うようなその目に、嗜虐心を擽られたのか、光一は無造作に足を振り上げる。
踏み潰そうとした光一の行動を、ルビエラが制止した。
「ダメよ」
ルビエラの声を聞いて、光一から暴力的な衝動が抜けていく。
光一が落ち着きを取り戻したその隣で、ルビエラは周囲を見渡している。バラバラになった謎生物の死体を見て、
(あれは引き裂いたというよりは、あの落ちている石で殴りつけている内に散り散りになった感じかしら? 落ちているイチモツは断面が粗いし、力任せに引き千切ったものね)
大体の経緯を察した。
光一の手や顔にこびり付いている謎生物の体液をハンカチで拭いながら、ルビエラは光一に尋ねる。
「あの小さいのを殺したのは光一かしら?」
「う、うん……。散歩でここに着いた時に見つけて、ダメだって思ったけど、体が勝手に動いて……」
「んー、別にダメじゃないわ。した事はただの害虫退治だしね。でも、そっか……。体が勝手に……」
「ごめんなさい……」
「謝らないでいいのよ。言ったでしょう、潜在スキルがあると精神面が不安定になるって。きっと、そのせいね」
ルビエラはそう言うが、体が自分の理性を無視して勝手に動く感覚は気持ちの良いものではない。特に、子供個体を殺している時は意識が飛んでいたし、記憶にも残っていない。
それに、ただの害虫退治とルビエラは言うけれど、少なくとも光一は実害を被ったわけではない。それなのに一方的に虐殺するようなことをしてしまった。その事が、今の光一には恐ろしいことだし、それ以上に恐ろしいのは、
(罪悪感がまるで無い。むしろ、手に残る殺している時の感覚が心地よい……)
この感覚が謎生物に対するものであればいいけれど、もしも、「殺す」という行動に対してであればとんでもないことだ。
「一度、村に帰りましょうか」
大人と子供の個体を縛りあげ、更にアキレス腱まで切り落としたルビエラは、悲痛な叫び声を無視して、光一を促して村へ帰ることになった。
その道中、あの暴力的な衝動を抑え込めることに期待し、光一は修行を頑張ることを心に誓った。
村に帰り着いてから、村は大騒ぎとなった。
光一が遭遇した謎生物は「ナキウ」という生物であるらしく、ルビエラが言う通り、害虫であるらしい。虫ではないようだが、特に同類となる生物はいないみたいで、その死体は粘菌さえも寄り付かないことから「弱肉強食にさえ入れない落ち零れ」「命の循環から弾き出された出来損ない」と散々に言われている。
村人たちが集会場に集まり、ナキウへの対応を話し合う。漁に長期間出ている者もいるため、全員ではないが、村に残っている大人はほとんどが集まった。光一は家に帰されたが、ほとんどの村人が集まっていることから、ナキウ対策は重大なことらしい。
「参ったのぅ。ここ最近は山の恵が少なくなっていたから山の獣たちへの対応に追われて、監視ができていなかったが、その間にナキウに入られたか」
額の汗を拭いながら、村の爺さんが言う。山の獣が村に出てくると被害は大きい。ナキウよりも恐ろしいその存在への対応に追われる余り、肝心のナキウ対策が疎かになってしまっていた。
「大きさの違う幼体がいたから、既に何世代かは産まれているみたいね。急がないと巣分かれが始まるわ」
ルビエラの言葉に、集会場の中は一層騒然となる。
ナキウは自然界最弱だが、それ故に繁殖力が強い。1年で数百の子が産まれて、それが一定の数を超えると「巣分かれ」によって生息域を広げていく。
通常、鳥や獣に食われることで木々は種を運ばせ、排泄した場所に種が根付かせることで生息域を拡大させる。
しかし、このナキウは木々からさえも嫌われているのか、ナキウに食われた木の実の種は発芽能力を失ってしまう。つまり、ナキウは山を荒らし、樹木を断絶させる害虫なのだ。
ナキウが増えれば増えるほど、山の恵みは減ってしまう。それだけでなく、山の緑は失われ、山は死んでしまうのだ。
「漁に出た者らが戻るのは今少しかかるが、これ以上手遅れになるわけにはいかん。村に残っている男手を集めて、ナキウの巣を襲撃し、皆殺しにする」
この爺さん、光一は気楽に「爺ちゃん」と呼んでいるが、村長という立場であるらしい。いつもは好々爺だが、今はそうも言っていられないらしい。
毅然とした態度でナキウの殲滅を決めると、村の若者たちは「オォ!」と雄叫びを上げ、その決定に同調した。
「そうなると思ってね。見つけた成体と、光一が殺し損ねた幼体は縛り付けているわ。コイツラを使えば巣の位置は特定できるでしょ」
「あとで人をやり、痛めつけた後に解放しよう。すぐに巣に帰るだろうから、それを尾行すれば場所はすぐに分かる」
話が大まかに決まると、若者たちは「すぐに準備を終わらせる」と言って集会場を飛び出していった。
ナキウ狩りが始まる。
いつもは農業や加工食品作りに追われる若者らにとって、ナキウを狩るのは一種のアトラクションのようなものだ。ナキウ対策は重要だが、それはそれとして狩りへのワクワクが抑えられない若者らを見て、村長の爺ちゃんは頭を抱えた。
「油断するなよ。足元を掬われたら笑えんぞ」
この忠告に若者らは意気揚々と「分かってまーす」と応えたが、本当だろうか。
「それはそれとして、ルビエラ。光一はナキウの幼体を殺したことを覚えていないのだな?」
「はい、村長さん。無我夢中だったのか、我を忘れていたのか……。……やはり、潜在スキルのせいでしょうか……」
「可能性はあるが、気に病むな。お前や光一に責任は無いし、本人が望んだことではない。しっかりと修行し、潜在スキルを覚醒させれば、衝動も抑圧できようて」
「はい。じゃぁ、私は家に帰りますね。光一が待ってますから」
「うむ。あ、そうじゃ。菓子があるから持っていけ。光一が喜ぶじゃろ」
「ありがとうございます」
そうして、ルビエラはお菓子を両手いっぱいに受け取ると、光一の待つ家に帰っていった。村長の爺ちゃんはお人好しだが、加減を知らないのが玉に瑕だ。
家路の道中、山の広場の方向からナキウの悲鳴や叫び声が響いてきた。
ナキウは足が遅い。命の危険が迫っていても、人間の子供よりも速く移動するのは難しい。
今頃は、ルビエラが拘束したナキウが若者らにボコボコにされているだろう。半殺しにされた後、拘束を解かれ、わざと巣に帰される。一定の距離を保って後を尾行するだけで、巣の位置を特定できる。
その巣の位置にもよるが、遅くても夜にはナキウの巣は、軽装ながらも武装した若者たちに襲撃されるだろう。
若い頃は血の気が多く、ナキウの巣を見つけると即座に突撃し暴れ回っていたルビエラは、その頃の血が騒ぐのを感じながらも、それを押し隠し、家のドアを開いた。
「ただいま。光一」
「おかえりー」
遅くなったけれど、ルビエラと光一は食事を摂ることにした。
そして、
「光一、明日から修行するわよ。精神面を鍛えながら、潜在スキルの覚醒を目指す。そうすれば、今回のように無意識に暴れることも無くなるはずよ」
光一の修行が明日から始まることが決まった。