日が昇り始めた。時間にしてもう6時は回ったのだろう。
「ぜい……ぜい……」
光一は息を荒げながらも、最後の直線を走り抜けた。
息が苦しく、足が重い。今にも倒れ込みたいが、
「はい、お疲れ様。軽く半周くらい歩いてから休もうか」
息を切らすことなく、一緒に走っていたルビエラに促され、光一はゆっくりと歩き始める。
ここは村にある公園。遊具の類は無い。遊具を購入し、維持や管理するだけの余裕は無いらしい。そのため、走り回るのには向いており、光一の修行の場としてルビエラが選んだ。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」
どこぞかで聞いたことのある言葉をルビエラが発したことで光一には嫌な予感が走ったが、どうやらそれは当たっていたようだ。
修行を開始するとルビエラが宣言したのが先週の話。
それで始まったのが、徹底的な基礎体力作りと、徹底的な筋トレである。
朝のランニングが終わると、昼までは山道で走り込み、午後からは筋トレ。夕方になるとそれらも終わって、ゆっくりと体を休ませる。
ひたすら繰り返されるこの修行に、光一は半信半疑だ。転生前なら失笑モノだった特殊能力がある世界の修行に詳しいわけじゃないけれど、やってること自体は単なるトレーニングだ。これで、どうやって潜在スキルとやらを覚醒させるのだろう。
「精神が不安定なのは、潜在スキルによって精神に余裕が無いからよ。それなら潜在スキルを覚醒させてしまえばいいのよ」
ルビエラはこう言っていた。小さく「たぶん」と言っていたことは気にしないことにした。否定できるほど詳しいわけでもないし。
(大丈夫なのかねぇ……。ま、学校行かなくていいのは気楽だけどさ)
なんならずっとこのままでいい、と朝食を終えて休んでいた光一のもとに、ルビエラが木刀を携えてやってきた。
「今日から、剣の訓練始めようか。基礎体力はあって困るものじゃないけど、必要以上の筋肉はあっても邪魔だしね」
(剣か。これはこれでファンタジーな感じだな)
こうして始まったのが剣の修行。
最初は素振りから始まったのだが、想像以上に大変なものだった。
ルビエラは剣の取り扱いには拘りがあるみたいで、剣を振る際の腕の動かし方や力の入れ方、それに伴う足運びや腰の使い方を徹底して教え込んでくる。また、木刀も意外と重く、何十回と振る前に腕がプルプルと震えてくる。
初日は素振りの為の基本動作を覚えることで終わった。公園から家までの家路が遠く思える程に疲れた。
翌日以降は、朝のランニングと山道での走り込みによる基礎体力向上と素振りが修行のメインとなった。
最初こそ教えられた動作を意識しながらの素振りで精一杯だったが、日を重ね、半年過ぎる頃には無心で素振りをすることができるようになった。遠目に見ていた村人からは「上手く振るえるようになってきたな」と褒められることも増えてきた。
ずっと使っていたからか、この木刀にも愛着が出てきた。何時ぞやの木の枝よりも「伝説の剣」らしい。
無心で素振りをしていると、奇妙な感覚を覚えるようになった。深い海の底に潜るような感覚。深く深く潜っていくと、そこに何かがあるような気がするが、その「何か」が分からない。
「……っ!」
掴めそうで掴めない。
そのもどかしさに、時に苛つきを覚えることもあるが、それが心の乱れとして木刀の振り方に出ているのか、
「集中! 剣筋が乱れているよ!」
ルビエラから厳しい声色で注意される。普段は優しいが、木刀とは言えど武器を持っての修行には厳しい態度を取る。
再度、集中し直して素振りをするが、一度乱れた心には、深い海の底に潜る感覚は訪れない。
そんな日々が続いていた時だった。
ルビエラに、
「今日は山の広場でしようか。商隊の人たちが公園に来るから、公園で修行したら危ないし。私は、雑用があるから、先に行っててね」
こう言われた光一は、木刀片手に山道を登る。1人で山道を登るのは半年以上も前、まだ、こういう修行をすることになることも知らなかった頃。この先の広場で、あのナキウとかいう奇妙な生物に出会ったことを思い出しつつ、山道を登っていると、硫黄臭が漂ってきた。
「……っ。この臭い……っ」
ナキウだ。
臭いでの判断だが、間違いない。あの時の、抑え難い衝動が押し寄せる。木刀を握る手に力が籠もる。
右手側、山の中からガサガサと草を掻き分ける音がする。
そちらに視線を移し、よく見てみると、緑色の体のナキウがいた。ナキウは光一には気付いていない。横から見ると、目玉の半分が顔の輪郭から飛び出しているのがよく分かる。
(不気味な程にデカい目玉だな。気味が悪い)
そう思いながらも、光一は以前と違って、冷静さを保てていることに気付く。むしろ、素振りをしていないのに、深い海の底に潜る感覚に陥っている。
(……っ?)
素振りの時とは違い、光一の意識が潜っている底から何かが湧き上がってくるような感覚がある。
それは、キラキラと光っていて、1つじゃない。
(……3つ? 何かが頭の中に入り込んで……。違う、最初からあった……?)
そもそも、ナキウの巣は焼いたんじゃなかったのか。光一がナキウに遭遇した後、村人の若い衆が駆除に向かい、ナキウを駆除して、巣は焼いたと、酒を片手に愉しげに話していたのに。別の個所にも巣があったのだろうか。
何かが湧き上がってくる感覚がより鮮明になり、頭痛さえしてきた時、山道の脇にある草むらから1匹のナキウが現れた。体色は青緑色で、硫黄臭は強くない。幼体だろう。
「プコプコ。プ? プミュウ」
幼い鳴き声を発しながら、光一に近付いてくる。
そして、幼さ故に小さな手を伸ばして光一に触れる。
「っ!」
光一は咄嗟に後退りながら、持っていた木刀を振った。
木刀は、何にも当たらず、空振りに終わった。
外したわけじゃない。
そこには、何も無い。ナキウの幼体さえも。
「……? はぁ?」
確かに見たはずのナキウの幼体がいないことに光一は困惑する。
まさか、成体のナキウを見て、幼体もいると思い込み、幻覚でも見たのだろうか。
そう思っていた時、
「フゴー! フゴッ、フゴー!」
どこか間抜けな怒鳴り声。ナキウの成体によるものだ。
元々、光一とは近い距離にいたし、光一が空振った木刀の空を切る音で光一に気付いたのだろう。
威嚇されていると判断した光一は、木刀を静かに構える。
次の瞬間。
「プコー?」
幼い鳴き声と共に、草むらからナキウの幼体が現れた。
別に、ナキウの見分けができるわけではないが、幻覚かと思われた幼体と同じ個体のように見える。幻覚には無かった成体の怒鳴り声のせいで、草むらから出てきた時の反応は違うが、直感が「同じ個体だ」と告げている。
(この感覚……どこまで信じれるか分からないけど、先読みするのが、俺の潜在スキルなのか?)
初めての感覚に戸惑いながらも、木刀を構える姿勢は崩さない。
しかし、幼体はその光一の姿勢の意味は分かっていないようだ。無警戒な様子で光一に近付いていくる。
直感が、幼体の後ろから成体が走り寄っていることを光一に告げる。確認のために視線を幼体の後ろ、山中に向けると、確かに、腕を伸ばして幼体を捕まえようとしている成体がいる。
(この感覚……先読みというよりは、周辺の状況を察知しているような……。これが俺の潜在スキルで、それが覚醒したのなら、『察知』とでも名付けようか。こういうのは分かり易いほうがいいからな)
成体が幼体を捕まえ、抱き上げている間、光一は湧き上がってきた感覚、いや、覚醒したスキルに名前を付けた。
『察知』と名付けられたそのスキルは、ナキウの成体が、光一への牽制のためか、砂を蹴り上げようとしていることを伝えてくる。
だから、光一は先に動いて、ナキウが狙いを定めた位置から外れる。
その動きを見て、ナキウの成体は足を止めた。砂による牽制を読まれたことに驚いているのか。
「フゴー。フー……」
威嚇の姿勢は崩さないナキウ。
ジワジワと光一との間を広げ、山中に逃げようとする。自然界最弱と言われるナキウは、人間の子供にさえ勝てないのだ。成体はそのことを知っており、逃げることしか考えない。
(相手の動きを事前に察知できるなら、もしかして……)
心の中に意識を集中し、『察知』が湧き上がる感覚を思い出す。すると、光一が知りたいと思っている状況が頭の中に浮き上がってくる。
光一はゆっくりと木刀から片手を離し、地面に手を伸ばす。
石を拾おうとしている。
その動きを見たナキウの成体は、石をぶつけられる痛みを思い出したのか、体を震わせ、光一に背中を見せて山中へ駆け込む。
光一は、しっかりと狙いを定める。それは、ナキウが走る先。今は誰もいない空間に向けて、力を込めて石を投げつけた。
「ビキィッ!」
誰もいない空間に投げられたはずの石は、タイミングよくその軌道にナキウが逃げ込んできたおかげで、ナキウの後頭部に直撃した。
「よっしゃ!」
狙い通りに当たったことにテンションが上がった光一は、ナキウが倒れ込んだ場所まで駆け上がる。
そこには、後頭部に石がめり込み、青い液体やら脳みそのような器官を頭から垂れ流しているナキウの成体と、その死体に縋り付いて、
「ピキー、ピキー」
と、涙を流して泣いている幼体がいた。
いくら当たりどころが悪いと言っても、6歳児が投げた石で破裂したナキウの頭の低い耐久力に驚きながらも、光一は木刀を振り上げた。
「ピキィ、ピキィ!」
慈悲を乞うように涙を流すナキウの幼体に、光一は告げる。
「お前らが食った木の実は発芽能力を失うんだってな。だから、お前らを野放しにしていると森林は枯れ、山は腐るんだと。だから、駆除するのは当たり前だよな」
光一の言葉の意味が分かったのか、光一に恐れたのか、幼体は両手を高々と掲げ、黒目は上を向いて、短い足をバタつかせながら走り出した。
しかし、遅い。
山中で足下が悪く、坂道で速く走りにくい環境だとしても、哀れみを覚えるほどに、その幼体の走る速度は遅い。
光一は幼体の後を追って歩き、数秒と経たずに追いつくと、素振りを思い出して木刀を振り下ろした。
プチュッと音を立てて、幼体の体は縦に割れて、内臓やら青い体液を垂れ流しながら息絶えた。この青い体液は、ナキウの血液なのだろう。
光一は適当に葉っぱを千切ると、木刀に付着したナキウの血を拭き取る。油脂でも含んでいるのか、綺麗には拭き取れない。
拭き取るのを諦め、光一は村に帰って木刀を洗うことにする。
「一応、村の大人たちにナキウのことを知らせとくか」
ナキウの成体を山道にまで引き摺り出す。
「意外と、重いな。コイツ……!」
木刀で成体の頭を殴ると、目玉が潰れ、割れた頭の中から飛び出した脳の残骸が服に付着した。
「うっわ、くっっっさ!」
村は商隊が開いたバザーかなり賑わっていたが、光一が服や木刀にナキウの体液をベットリと付着させていた為か、或いはその悪臭の為か、人の群れは割れて道ができた。
まるで、モーセのような気分になりながらも、そのおかげでルビエラと村長を見つけることは容易だった。
「光一! どうしたの、その格好!」
「お母さん……? 雑用は? ……買い物?」
「え!? あ、いや、違うのよ! コレはね、あのー、雑用ついでにね! ちょっとだけって、覗いたらね、その……いつの間にかね……?」
そういう割には、なかなかの量の商品が紙袋に入れられて、しっかりと抱き締められている。
光一の非難するような視線を誤魔化すために、ルビエラは修行の時のようなキリッとした声色を出す。
「それよりも光一。その服と剣に付いているのはナキウの血ね? 何があったの?」
光一は追及を諦め、事情を話す。
ナキウのこと、その最中に潜在スキルに目覚めたかも知れないこと。
村長は、別のナキウの群れが来たことに頭を抱え、ルビエラは光一のスキル覚醒に喜んだ。
「やったじゃない、光一! それが本当に覚醒したスキルなのか、確かめましょう!」
「え、確かめる?」
「ナキウ退治がちょうどいいでしょ?」
こうして、光一はナキウ退治に同行することになった。