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第7話 魔王の娘の優雅な生活?

 横に細長い二等辺三角形みたいな眼鏡をかけた女性は1枚の紙を睨み付けている。厳しい性格を表すように、厳しい視線を紙に注ぎ込みながら、赤ペンで丸や三角を付けていく。テストの採点をしているようだ。

 採点も間もなく終わり、その結果を見て女性は顔を綻ばせる。


「素晴らしい成績ですわ! 若干5歳にも関わらず、初等部を首席で卒業できる成績です!」


 唾を飛ばす勢いで褒めちぎる。周囲からは「おお~」と歓声が上がる。

 ここは魔族領を統治する魔王の城『カザド・ディム』。

 この日、魔王の娘である皐月は初等部卒業の資格を得た。


「流石は我が娘! 今日は国を挙げて祝杯を上げるぞ! そうと決まれば仕事なぞしてられん!」

「決まってませんし、国内の物流調整会議が終わってません。御息女が愛おしいことは重々理解していますが、成すべきことはなさって下さい」

「げぇ、ディルムッド! いつの間に!」

「げぇ、とは何ですか。失礼ですよ。さ、こうやって仕事をサボると、また、残業や休日出勤になります。嫌なら戻りましょう」

「こ、これ以上の残業や休日出勤は法定範囲を超えてしまう……」

「城に勤めている我々は魔王様の許可があれば法定範囲を超えても問題ありません。ご自身に許可なさればよろしいのです」

「絶対に嫌じゃ! なんだ、そのセルフブラック企業は!」

「はいはい、嫌なら戻りますよ。さっさと片付ければ定時で上がれますからね」

「くぅ……嫌なところを突きおる……。貴様、モグテラスの代わりに軍部を仕切るか?」

「汗臭い脳筋連中と仕事するのは嫌です」


 軽口を交わしながら仕事に連れ戻される魔王。名残惜しそうに皐月を見つめていたが、側近であるディルムッドに引き摺られて行った。

 そんな魔王の様子を溜息混じりに見ていた眼鏡の女性シルビィは、採点時とはうってかわった満面の笑顔で皐月に話しかける。


「さぁ、皐月ちゃん。勉強終わったし、この後どうする? 買い物に行く?」

「んー、欲しいものは買ってもらったし、今日はいいかな。叔母様に買ってもらった本の続きを読みたい」

「そっか。じゃ、お茶とお菓子持ってくるわね」

「ありがとう、叔母様!」


 皐月が浮かべた笑顔を見て、シルビィは頬に手を当て、うっとりとその笑顔を見つめる。


(あぁ、可愛い。流石はお姉様から産まれただけのことはある! 世界一可愛い姪っ子!)


 しばらく皐月の笑顔を見つめていたシルビィは、お茶とお菓子を用意するために部屋を出て行った。

 部屋に1人残された皐月は、ふぅっと溜息を吐いた。


「あぁー、やっと1人になれた……。もう、産まれてから5年も経てば慣れはするけど、元々、ボッチだった私にはキツイ環境だわー……」


 5年前、登校途中の事故で(たぶん)死んだ皐月はこの世界に転生した。それも、魔王の娘として。

 産まれてから見聞きした限りでは、魔王の継承権に男女の区別は無いらしく、当然の流れとして皐月は次期魔王候補となった。他にも王位継承者はいるらしいが、人類との戦争で色々あったらしく、今は田舎に引きこもっているとのこと。

 何にせよ、次期魔王の最有力候補というか、実質的に次期魔王である皐月には色々な教育がなされることになった。

 当初は、文字の読み書きから始まるはずだった。

 しかし、ここで皐月は少し調子に乗ってしまった。

 誰もが(たぶん)一度は夢見た「今のままで幼児に戻れたら天才になれる」というのをやってしまった。

 声帯が幼いためか、発声は上手くできなかったが、文字を書いてみせた。

『お母さん』と。

 城の中は大パニックとなった。

 母であるシルネイアは大喜びで赤飯を炊きまくり、嫉妬した父(魔王)は「私も私も」とせがみまくり、会議を抜け出した魔王を連れ戻しにきたディルムッドはキレ散らかし、叔母であるシルビィはこっそり自分の名前を仕込もうとした。

 それからは、あれよあれよと皐月は天才であると周知されまくり、様々な教育が始まるはずだった。


「それでも、教育は節度を持つべし」


 炊いた赤飯を口一杯に頬張りながらシルネイアが発した言葉で騒ぎは沈静化した。怒らせたら魔王をも殺すシルネイアの怒りに触れたくないのだ。

 以来、皐月が『お母さん』と書いた紙は額縁に入れられて、広間に飾られている。教育に関しても皐月の成長具合に合わせることで結審し、それなりに平和な日々を過ごせることになった。


「はぁ……もう、二度と調子に乗るまい」


 その日の騒動を思い出し、皐月は固く心に誓う。今は勉強の内容が小学生程度のものだから余裕だっただけで、中学生の内容になると心許なく、高校生の範囲になればバカだってことが露見するだろう。

 そうなったらそうなったで考えればいいか、と軽い気持ちで問題を先送りにし、皐月は本を開いた。

 シルビィに買ってもらった本であり、男女の恋愛沙汰を描いたものだ。本当に欲しかったものは年齢制限が付いてないものの、過激な表現があるようで、やんわりとシルビィに却下された。代わりにシルビィが選んでくれたのがこの本であるが、シルビィの目は確かなようで、子供向けの恋愛ストーリーでも読み応えがある。

 男女の気持ちがすれ違い、2人の間に溝が産まれたタイミングで、何やら変な臭いが漂ってきた。


「何、この臭い。……卵が腐ったような……硫黄?」


 その臭いは開け放った窓から漂ってきている。

 皐月は鼻を手で覆いながら窓へ近づく。窓から外を眺めてみるが、そこには庭の風景が広がるだけ。城内の中庭の1つであり、専属の庭師が毎日手入れしてるだけあって、見事に整っている。

 基本的にはインドア派な皐月でも、この庭の風景は気に入っている。

 そんな庭のどこにも硫黄の臭いを発していそうなものは見当たらない。


「……? どこから……?」


 皐月が窓辺から身を乗り出そうとした時、窓の直下から一際強い硫黄臭がしてきた。


「プコプコ。プユー」

「プユー、プコプコ」

「プニュウ、プミィ」


 変な鳴き声にも気付いた。そこには、青緑色の体色、無駄に大きな2つの目玉を持ち、その半分は額の上にまで飛び出している。全体的に楕円形の体形、腕に比べて短い足、弛んでいるようにしか見えない腹回り。硫黄のような体臭を漂わせ、見る者全てに忌み嫌われる生物、ナキウの幼体がいた。

 皐月はナキウという生物のことは知らないが、何となくゴキブリに対する感情と同じものが湧き上がってくる。引っ叩くために丸める雑誌を探すが、あるのはハードカバーの本ばかり。値段もそれなりにするため、ゴキブリを叩くために使うのは忍びない。


「殺虫剤あったかしら?」


 城のメイドから殺虫剤でも借りようかと窓に背を向けた時、


「プミュウ」

「プミッ、プウッ」

「プミー、プミー」


 という鳴き声とともに、窓枠に青緑色の手がかけられる。メイドが毎日綺麗に掃除してくれる窓枠が汚され、皐月の中に怒りが込み上げてくる。

 ナキウの幼体は部屋の中を覗こうとしているのか、ピョコピョコと跳び上がっている。

 その薄気味悪い光景に、皐月が誰か呼ぼうとした瞬間、


「何やってんだ!」


 野太い怒鳴り声が響く。その怒鳴り声をぶつけられたナキウの幼体は当然として、皐月も縮み上がる思いがした。

 声の方を見れば、全身を鎧で固めた屈強な男性。

 魔軍のトップであり、軍事の最高責任者であるモグテラスだ。魔王の悪友であり、幾多もの死線を潜り抜けてきた生粋の軍人。無骨な見た目とは裏腹に悪ノリが好きで、時折、皐月と一緒になってイタズラに精を出すこともある。勿論、怒られるわけだが、皐月のことは庇ってくれる。

 そのモグテラスが駆けつけ、ナキウの幼体を蹴り飛ばす。皐月にも分かるくらいに手加減しているが、ナキウの体は窓辺から離れる。


『ピキー、ピキィィィィィィィ!』


 幼体の泣き声らしきものが聞こえるが、モグテラスはそれを無視して皐月に駆け寄る。


「怪我はしてませんか姫。申し訳ない、こちらの落ち度です」

「怪我は無いです。でも、アレは?」

「ナキウっていう何にも勝るものの無い下等種です。強いて言えば繁殖力だけは旺盛なので、新兵に陣形を覚えさせる軍事訓練の敵役にしているのですが、その幼体が逃げ出したみたいですね」

「それが何でこんなとこまで……」

「気付いたのが遅く、足が遅いのが特徴なのでそう遠くまで逃げることはないだろうと油断してました。本当に申し訳ない!」

「い、いえ、そんな! 私は本当に怪我も何もしてないから!」


 勢いよく頭を下げて詫びるモグテラスに、皐月も慌てて頭を上げさせる。燻し銀の渋さがある男に頭を下げさせるのは、かえってこちらに申し訳なさが湧き上がる。

 皐月の言葉を受け、頭を上げたモグテラスは「この詫びは必ず」と約束し、ナキウの元へ向かう。

 蹴り飛ばされた痛みで「ピキー」と間抜けな泣き声を上げ続けている幼体に、モグテラスは逃亡の制裁として踏み付けまで加えて、幼体を探しに来た部下を呼ぶ。

 その部下も胸に勲章を示す略綬を幾つか付けているが、軍事トップのモグテラスに呼ばれたら慌てて駆けつける。


「すまんが、こいつらを小屋に押し込んでいてくれ」

「はっ! 了解しました。しかし、まさか、こんなところまで……」

「俺も油断していた。まさか、姫様のお気に入りの庭を穢すとは……」

「え、姫様……?」


 部下は、モグテラスに言われて気付いたようで、皐月を見つけると土下座の勢いで地に平伏す。


「も、申し訳ありませんでした! 私共の手落ちで、お庭を穢してしまい、この罪、どのような罰でも受ける所存であります!」

「わ、わあぁぁ!? や、やめてくだい、そういうの! 私は大丈夫なので!」


 近くに、他の部下の方々もいたようで、この騒ぎを聞きつけて駆け寄って、同じように地に伏す。

 それを同じように制止する皐月。

 この騒ぎの最中に、お茶とお菓子を取りに行っていたシルビィが帰ってきてしまった。


「皐月ちゃん? 何の騒ぎ? 元気なのは良いことだけど、誰かに見つかったら……あら?」

「あ、あぁー……」


 シルビィの視界に入る屈強な男たち。傍から見れば「姫の庭に忍び込んだ不届き者」にしか見えない。

 シルビィの登場に、モグテラスは冷や汗を流す。


「あ、あの、シルビィ様。これには訳が」

「どのような訳があれば淑女の庭に押し寄せることになるのです? 時折のイタズラならばいざ知らず、もしも、皐月姫に手出しなどしようものなら」


 真っ赤なオーラがシルビィから立ち昇る。怒髪衝天を体現するような迫力がある。


「分かっていますね?」


 立ち昇る迫力とは反対に、氷のように冷たい声と視線。部下の中には、「シルビィ様の視線に貫かれたい」などとほざく者がいるが、実際に貫かれているモグテラスはその気持ちが分からない。

 モグテラスは藁を掴む思いで皐月に視線を送るが、皐月も怒ったシルビィは怖いので、そっとそっぽを向く。

 何せ、本人が軍の道に進めばモグテラスの地位にいただろうと言われるだけの実力をもつシルビィ。とてもじゃないが、モグテラスでは勝ち目が無い。

 冷や汗が止まらず、目眩さえしてきたモグテラスの耳に、別の声が入り込んでくる。


「シルビィ? 何を騒いでいるの?」


 皐月の母、シルネイアの登場である。

 幼少の頃から慕っている姉を前に、シルビィはあっさりと怒髪衝天を解いた。その上で、現状を訴える。


「私が悪いわけではありません、お姉様。この者たちが庭に!」

「あら、モグテラス。軍部からナキウが逃げ出したと聞いたけれど、ここで油を売っているのかしら?」


 シルネイアからの問いかけに、ようやくモグテラスは口を開く余裕を持てた。シルネイアは魔王よりも強いが、シルビィよりは温和な性格をしている。


「わ、私も捜索中でして……。なかなか見つからない幼体を探しに、念の為にと訪れたこちらの庭で、その幼体を発見しまして」


 モグテラスの言葉に合わせて、部下たちが捕らえたナキウの幼体を掲げて見せる。

 屈強な男たちに囲まれ、死なない程度に暴力を振るわれ、もう、泣き声を上げる余力もない幼体たちは、ただ怯えたような表情を浮かべている。


「そう。なかなか、苦労してますね。それにしても」


 シルネイアは掌をナキウの1匹へ向ける。

 すると、そのナキウに男たちが持ち上げているものとは違う力が働き、その体が宙へ浮かぶ。


「いくら幼いと言えど、下等種風情が王家の庭を穢すとは……身の程を知れ」


 グッと手を握り込む。


「ピキッ」


 短い悲鳴と共に、ナキウの体は圧縮され、小さな肉団子になった。溢れ出た青い体液を浴びた他の個体は、余りある恐怖に涙を流す。


「今のは見せしめです。次に逃げれば、親を殺します。嫌なら、逃げないことです。殺されるまでの間なら生きていられるでしょう」


 追い払うように手を振るシルネイア。皐月には愛情深い母だが、ナキウ相手には容赦がない。もっとも、ナキウに慈悲をかける者など存在しないのだが。

 絶対にシルネイアとシルビィだけは怒らせまいと、皐月は心に誓い、シルネイアの膝の上で読書に戻った。

 専属の庭師がナキウの血溜まりを掃除し、庭を整える。

 ナキウの幼体は、ナキウが収められている小屋に連れ戻され、他の個体の前でボコボコにされ、小屋の中に投げ込まれる。親と思わしき個体が駆け寄り、幼体を抱き上げるが、瀕死であることに加え、目の前で友人が殺されたことがトラウマとなって、一切の反応を示さない。親個体はそのことを泣き声を上げて嘆くが、見張り番から「煩いぞ」と目を潰されて制圧される。ナキウの安寧はどこにもない。

 ナキウの脱走というトラブルこそあったものの、皐月の日常が優雅に(?)過ぎていった。

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