目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

幕間①

 暗い空間ということだけは分かった。他には、何時かは自らの兄弟になり得る要素が詰まった卵が複数個あるだろう、ということ。

 それらの卵は、生じて間もなく何処かへと流れていく。それは、私も同じだ。抵抗できぬまま、流れに身を任せて流れていく。

 膜に包まれた「そこ」が、卵や私が育つ場所なのだろう。

 唯一、他の兄弟たちと違うのは、私は卵に包まれていないこと。

 卵や私が包まれた大きな膜を、親にあたる者が優しく撫でる。

 目はない。

 しかし、撫でるその者を見ることができた。

 随分と、優しい面持ちで、膜を撫でる。


「プユウ、プユウ」


 優しく、愛情に満ちた声をかけてくる。誕生が楽しみなのだろう。




 卵の中に、弟妹たちの体ができてくる。随分と、小さく、細い体だ。

 体ができてきたのは、私も同じだ。手足も動かせる。目を開ければ、透明な膜の外を見ることもできる。

 父と呼ぶべき者が、不気味な化け物を見るような視線を向けてくる。弟妹たちには、心配そうな目を向けているというのに。

 慈愛に満ちた目を向けていた母は、私を憎むように睨んでいる。私が卵に包まれていないことが、そんなにも異常なことなのだろうか。




 卵は全て死滅した。弟妹たちは痩せ細り、地面に敷かれた枯れ草のようになった。


「ビキイ! ビキイ!」


 ヒステリックに叫び散らす母。親戚筋のオスや、祖母にあたるメスが母を抑えつけている。そうでなければ、膜の中の私を殺してしまうのだろう。

 私も、好きでしているわけではない。

 弟妹たちに分配されるべき養分を、私が図らずも奪ってしまっている。

 食事さえ拒む母の口に、祖母が木の実を詰め込み、無理矢理にでも飲み込ませる。

 私は、もうすぐ外に出られるだろう。




 溶け落ちるように、膜は消えた。

 最早、小石のように小さく、皺くちゃになった弟妹たちを包んでいた卵が辺りに散らばる。

 私は、2本の足で立ち上がる。

 それは、かなりの異常なことらしい。

 母は悲鳴を上げながら逃げ出し、父は近寄ろうともしない。

 周囲を見渡せば、同じ時期に膜から出てきた赤子たちは、非常に小さな体で、母の体の上に張り付いている。それが、普通のことなのだろう。

 私は、地面を踏み締めている足を前に突き出し、部屋の外に向かう。驚く周囲の大人たちに向かって、私は口を開く。


「プコプコ、プコウ!」


 こうして、私の生涯は始まったのだ。

 差し当たってやるべきと感じたのは、私を嫌っている両親との和解だろう。私に何ができるのかは分からないが、他の者らと違うからには、私にしかできないことがあるはずだ。

 きっと、それは大義である。

 大義を成す為にも、両親との和解は必要なことだと思った。


「プコ。プユユ、プユウ」

「ビキイ! フゴオ!」

「フゴフゴ! フゴオ! ビキイ!」


 私なりに誠心誠意を込めて謝罪したのだが、弟妹たちに渡るはずだった養分を奪ってしまった私への、両親の怒りは相当に凄まじく、取り付く島もない。

 言葉でダメなら、贈り物が必要だろう。

 食料を採取してきた大人に頼み込んで、私の手から両親へ食料を渡す。その際に謝罪を試みるが、両親は食料を奪うように取り上げ、私を見ようともしない。

 やはり、私自身が贈り物を用意せねばなるまい。

 幸いにして、私の足は他の者よりも長いようだ。幼体に過ぎない体ではあるが、歩む速度は成体と並ぶ。

 外へ出よう。

 産まれてから数日、初めて巣の外へ歩み出る。

 温かな陽射し、心地よい風、思わず目が奪われる美しい景色。巣である洞窟の出入り口周辺は遊ぶに足る広場となっており、青々とした葉を湛える木々が広場を囲んでいる。

 木々へ近寄り、見上げる。遥かに高い位置に、食料となる木の実が実っている。


「プコォ……。……ピキィ……」


 私には、とてもじゃないが取れそうにない。

 広場にいる、他の幼体たちは私に近寄ろうとはしない。私の体付きが、他の者と異なっているからだろう。何時かは仲良くなりたいものだ。

 手の届かない木の実に固執するよりも、他を探すしかあるまい。木々の合間を縫って、森の中へと入っていく。

 私が森へ入っていくのが見えたのだろう。心配しているのか、成体たちが何事かを叫んでいるが、私の決意は固い。


「プコプコ!」


 私は確固たる決意を伝え、森の中を突き進む。

 怒る両親を宥めるに足る贈り物に相応しい物は、なかなか見つからない。難しいものだ。何を贈れば、私への怒りは鎮まるのだろう。

 私と同じ時期に産まれた赤子らは、私よりも遥かに小さく、か弱い存在だ。母に甘え、父に守られ、父母から愛されている。

 羨ましい。

 妬ましい。

 私とて、産まれたばかりだ。

 母に甘えたい。

 父に守られたい。

 父母の愛が欲しい。

 憎まれたくない。

 嫌われたくない。

 他の者に見られないこともあって、押し殺していた感情が溢れてきて、涙が流れる。

 泣いている暇があるなら、贈り物を探さねば。

 そう自分に言い聞かせても、一度、溢れ出した本心と涙は簡単には止まらない。


「ピ、ピ……ピキィィィィィィィィィィィィィッ!」


 他の者に聞かれていないことを願いながら、声を出して泣く。産まれた時にさえ、上げなかった泣き声。

 然程、時間は経ってはいないだろう。

 泣く際に地についていた膝を伸ばし、頬に残る涙を払い、私は前を見て歩を進める。

 泣いたのが、功を奏したのだろう。幾分は軽くなった心持ちで贈り物を探す。

 私の出生は両親に望まれてはいない。それでも、これからより良い関係を築けるはずだ。一歩ずつ、ゆっくりと、確実に。

 太陽が傾き、周囲の景色を赤々と照らし出した頃、私は森を抜けた。


「…………ッ! プコォ……!」


 素晴らしい景色が広がっていた。

 色とりどりの花が咲き乱れ、美しい色彩が大地を染め上げていた。

 コレだ。

 この景色を両親に贈ろう。

 この地に両親を導き、心を解きほぐそう。そうすれば、私の謝罪も幾らかは受け入れてもらえるかもしれない。

 素晴らしい景色があることを示すために、申し訳ない気持ちはあるが、幾らかの花を摘んでいこう。

 どのような色合いがいいだろうか。

 両親が喜びそうな色の花を選び、持てる限りの色合いの花束を作る。

 コレを見せて、ここのことを知らせれば、両親も私の話を聞いてくれるかもしれない。

 拒絶されるのは恐ろしいが、それでも、一歩を踏み出さねば、何も改善されない。

 太陽が地平の彼方へと沈みだし、宵闇が花畑を覆い出した時、石礫が私の頭に直撃した。


「ピキィ!」


 突然の激痛。親戚や他の者が止めてくれたからだが、両親からさえも受けたことのない暴力。

 石礫が飛んできた方向に目を移すと、私や、巣にいる他の者とは、丸っきり違う容姿の者らが数人いた。

 誰だ。

 何故、あの者らは私に石を投げつける?


「ピキィ! ピキィ、ピキィ!」


 投げ付けられる石礫が、私の体を容赦無く打ち付ける。その度に走る激痛。血が滴り、痛みが増すように感じられる。


「ナキウだ!」

「何で、俺らの花畑にいるんだ!」

「花を盗んでいるぞ! 大人を呼べ!」


 彼らは口々に叫んでいる。

 その中に度々出てくる「ナキウ」というのは私のことだろうか。その言葉を口にする度に、私へ向ける視線に怒りや憎しみが増しているようだ。


「ピ、ピ、ピキィ!」


 恐ろしい。

 両親のように理由を察することができる憎しみであればまだしも、理由の分からない憎しみは恐ろしい。

 森の中へ逃げ込む。

 花束だけは手放さないように握り締め、懸命に足を動かして、森の中を走り抜ける。

 後ろから、石礫が飛んできて、私の背を打つ。肩を、足を、後頭部を、石礫が打ち付ける。

 痛い。

 怖い。


「ピキィ! ピキピキ、ピキィ!」


 止めて欲しい。

 見逃して欲しい。

 何故、私ばかりがこのような目に遭うのだ。

 私は、両親と和解したいだけなのだ。和解できれば、他の者らの為に働くつもりだ。迷惑をかけたり、負担を背負わせるつもりはない。

 それなのに、初めて見る後ろの者らは、私を責めるように石を投げつけてくる。


「ピキィィィィイイィィィィィィ!」


 何度目だろうか。止めて欲しいと訴えても、体の痛みを伝えても、彼らは石を投げつけるのを止めない。


「ピッ! ……ピキィ!」


 森の中を歩んでいた時には気付かなかった木の根に足を取られ、私は転んでしまった。

 急いで立ち上がらねば。

 膝を擦り剥き、剥がれた皮膚から血が滴る。


「捕まえろ!」


 その言葉と共に、幾人かが私の体を捉えた。

 押さえつけられ、仰向けに引っくり返される。


「ピキィ、ピキィ」


 許しを請う。

 慈悲を請う。

 しかし、彼らは一様に笑みを浮かべ、私の言葉に耳を貸しているようには見えない。


「どうするよ、コイツ」

「まずは花束返してもらう?」


 そう言って、私の手から花束を取り上げようとする。


「ピ、ピキィ! ピキィィィィィィィ」

「わ、うるせ! 折っちゃえ!」


 パキッと音を立て、私の腕が力任せに圧し折られた。

 花束を取られたくなかっただけなのに。

 石礫とは比べ物にならない激痛が全身に走る。


「ピギィィィィィィィィィィィィィ!」


 涙を滂沱の如く流して泣き叫ぶ私を囲み、彼らは笑い声を上げ、


「うわ、クセッ! もう、いらね」


 私から奪い取った花束を、森の中へと投げ捨てた。

 両親と和解できるかもしれないと期待を込めた花束を、まるでゴミのように。


「プコォ……プコプコ!」


 出せる限りの怒りの声をぶつける。

 しかし、彼らには逆効果だったようだ。

 笑い声を引っ込め、眉を釣り上げ、皆が足を振り上げ、私に向かって振り下ろしてきた。

 次々と、私の体が踏みつけられる。骨が砕ける。踏まれ、押さえつけられた手の指はグチャグチャに踏み潰される。


「ピ、ピ、ピキィィィィィィィ!」

「煩いんだよ」

「ナキウのくせに」


 踏み付けだけじゃなく、蹴りも加わる。腹を、背中を、顔や頭を蹴りつけられる。


「おーい」


 遠くから、別の声が届く。


「この先に、ナキウの巣があるってさ! そのナキウの巣じゃないかって、大人たちが言ってる!」


 頭を動かし、その声の主を見ると、私の巣の方向を指差している。

 巣のことを言っているのか?

 いけない、巣には私よりも小さな赤子が大勢いる。

 このような理不尽な暴力に晒されたら、とても酷いことになる。


「分かった! すぐ行く!」


 私を囲む者らは、改めて私を見下ろし、下卑た笑みを浮かべる。

 リーダー格の者が、私を指差しながら何かを指示すると、二人がかりで私の足を左右に広げる。

 無防備に曝け出される、私の生殖器。


「親父から聞いたんだけど、ナキウのチ〇コって引き千切っても、また生えてくるらしいぜ」


 リーダー格の言葉に、周囲の者らは更に下卑た笑みを浮かべる。

 乱暴な手付きで私の生殖器を掴む。棒も玉も一括りに掴まれ、骨が折れるよりも鋭い痛みが走る。


「ピギ! ピギィィィィィィィ!」

「せーの!」


 力任せに引っ張られる生殖器。

 皮膚が裂け、肉が千切れ、生殖器が体から抜き取られるように、引き千切られた。


「ピギャァァァァァァァァァァァァッ!」


 骨折など比べ物にならない激痛が全身を走り回り、視界が歪む。口の端が千切れるほど開き、喉が裂けて血を噴き出すほどに叫んでも、痛みは僅かにも和らぐことはない。

 彼らはゲラゲラと大笑いし、私から引き抜いた生殖器を見世物にして笑いながら、森の向こうへと投げ捨てた。

 痛みに叫び、転がる私を散々に笑う。転がり、うつ伏せになって、尻を高く上げる姿勢になった時、肛門に何かが突き刺さる。


「ピ、ピギィ、ピギィ……!」


 何度も抜かれ、刺されを繰り返され、腹の中を乱暴に掻き混ぜられるような激痛が全身を駆け巡る。


「あっはっは! そこの枝も刺そうぜ!」


 言葉と同時に、肛門に追加で何かが挿し込まれる。言葉の通りなら、木の枝が突き刺さっているらしい。木の枝で無理矢理開かれる肛門から、凄まじい激痛が走る。


「左右に広げてさ、グルグル回そうぜ」

「ピギィ! ピギィィィィィィィィィィ!」


 肛門に刺さっている2本の木の枝が左右に広げられ、挙げ句、グルグルと時計回りに枝を回される。肛門が裂け、腸もグチャグチャに掻き混ぜられる。

 もう、生殖器を千切られた痛みなのか、肛門を玩具のように扱われている痛みなのか分からない。逃げようにも、足や背中を踏まれて姿勢を固定されている。

 痛みに叫び過ぎ、声が枯れてしまったのか、僅かな声も出ない。

 そのことで、彼らの興味が失せたのか、私をこの場に捨て置いて、巣の方向へ去っていく。

 私はようやく解放された。


 どれほどの時間が経ったのだろう。

 僅かにでも体を動かせば、汗が噴き出し、視界がチカチカと点滅するような痛みが走る。それでも、立ち上がるが、肛門に刺さったままの木の枝が地面に当たり、より深く挿し込まれる。


「ピギィ!」


 声が出るようになっているのは僥倖だ。痛めつけられた指で木の枝を引き抜く。


「ピ、ピ、ピ…………」


 ブワッと脂汗が流れ出る。木の枝は、私の血で青く濡れている。腸が相当にボロボロになっているのか、滝の如く、肛門から血が流れ出る。

 私の体は、他の者よりも頑丈なようだ。生殖器を引き千切られる痛みでも、腹の中を掻き混ぜられても、私は生きている。他の者の体は柔らかいのに、私の体は固いのが理由だろうか。

 折られた指の骨を元通りの形に戻す。脂汗で体内の水分が全て流れ出そうなほどの激痛。目の前にノイズが走っているように見える。歯を食い縛って、折られた腕と足の骨を戻す。


「ピグゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」


 地面の上を転がり回り、痛みに耐える。吐き気を催してきて、吐き出す。傷付いた内臓のものか、青い血が流れ出る。

 骨がくっついていない足で立ち上がるのは、想像以上の激痛が走り、今にも座り込みそうになる。しばらく、ここで休みたいという気持ちもある。

 それでも、巣にいる皆が心配だ。

 痛みを堪えて、ゆっくりとした足取りで巣へ向かう。

 巣に帰り着いたのは、太陽が姿を見せる時間。

 薄明かりに照らし出される光景に、私は痛みを忘れる程の絶望に見舞われる。

 巣から引き摺り出された幼体が、杭に体を貫かれて、地面に縫い付けられている。一本の杭に、20匹ほどの幼体が串刺しにされ、涙を流し、恐怖に引き攣った表情のまま息絶えている。

 その何十本もある杭の対面には、バラバラに引き裂かれ、内臓やゲル状の中身を撒き散らして死んでいる成体の山。他の者らの体には筋肉は無く、ゲル状のものが詰まっていることに気付いた。その点でも、筋肉を持つ私は異常だったのだ。

 地獄のような広場を通り過ぎ、巣の中へと入る。

 幼少体は、踏み潰されて地面に広げられ、壁に擦り付けられるように潰されて壁に付着している。

 少年体や青年体は、私のような暴力を振るわれたようで、体が形を失っている。千切られた生殖器が散らばっている。

 出産部屋に行けば、尽く卵袋が引き裂かれ、卵の中にいるべき小さな赤子らは潰されている。卵袋を失った時点で、その赤子らは生きることができないのに。

 生きている者はいない。

 心臓が強く脈打つ。

 せめて。

 せめて、父と母だけは。

 謝罪と和解をさせてほしい。


「……! ピギッ、ピィー……ピギィィィィィィィ!」


 幼い子らを守ろうとしたのか、地の上で丸まった姿勢で、両親は死んでいる。背中に無数の穴が開けられている。何かを、何度も刺されたのだろう。

 泣きながら、父母の体にしがみつく。

 しかし、もう、父母は私を見ることはない。

 私を嫌うこともない。

 憎むこともない。

 謝罪も、和解もできない。

 しがみつき、泣きついていると、父母の体が横へ倒れる。その体の下には、数十匹の幼少体。尽く死んでいる。父母の体を貫いた物が、幼少体の体を粉々に砕いたようで、まともな形を残している幼少体は見受けられない。

 父母の元から離れ、巣の中を隈無く見て回るが、幼少体の一匹さえも生き残っていない。

 私だけが、生き残った。生き残ってしまった。

 私が、あの暴力者らに見つかったから、巣が彼らに見つかった。

 もしも、私が森へ入らなければ。

 暴力者らに見つかる前に巣へ戻っていれば。

 巣は襲われず、皆、こんな酷い死に方をせずに、今も生きていられたのだろうか。

 私は、父母に嫌われ、和解のための方法を探っていたのだろうか。

 私が産まれたせいでこうなったのだろうか。

 私が森に入ったから、成体の言葉に耳を貸して踏み止まっていれば……。

 私のせいで、皆が、死んでしまった。

 私が、殺してしまった。


「プ、プ、プキィ……プキィ……」


 死して詫びるべきか。


 いや。


 いずれは、死して皆に詫びねばならない。


 しかし、それは今ではない。


 今は、生きて、生きて、生き延びて。


 力を身に付け、あの暴力者らに復讐を。


 私から皆を奪ったように、あの者らの家族、一族全てを殺してやる。


 私が成すべき大義が何なのかは分からない。


 しかし、成したい大義は見つけた。


「プコプコ、プコォ…………ッ!」


 この復讐を必ずやり遂げる。

 これが、私の成したい大義である!


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?