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<アキト>

 ひなのように後ろをついて来る少年は、僕よりも背が低い。頭一つ分はないにしても、十センチくらいは身長差があるだろうか。


 元は別荘だったという建物をまるごと買い受けたここは、玄関を中心に、東西にやたらと広い。

 そのせいか、西を右翼、東を左翼と呼び始めたのは主真カズマだ。そのままだけど、そのまますぎるだけに分かりやすい。右翼を主に仕事場に、左翼を主に個人スペースに割り振っている。

 右端の、天窓のある広い部屋が主な作業場だ。


「そっちの扉が寝室、そっちがトイレとお風呂につながってる。さっきの玄関をまっすぐ行ったところがダイニングで、ここからダイニングまでは自由に出入りしていいよ。本とかテレビもこっちにまとめてある。ダイニングにあるものも好きに食べていいからね。名店お取り寄せとかも色々あるから」


 基本、この建物を出ない僕にせっせと食料品を手配してくれるのは主真だ。

 冷凍食品や湯掻ゆがくだけ、お湯をそそぐだけ、という品々が、世の中にはこんなにもあるのかと驚かされる。


早速さっそくで悪いけど、モデル、頼めるかな? 疲れてるなら明日からでも」

「大丈夫です。よろしくお願いします」


 これもきっぱりと。笑顔も忘れず。

 見かけは未成年のようなおさなさを残しながらも、僕よりも大人なのかもしれない。

 ガキの頃から変わらない、と、主真にさんざん言われるし自覚もあるだけに、半ば大人にならざるを得ない環境下の彼らには頭が下がる。

 僕が子どもでいられるのは、色々と恵まれて甘やかされているからだ。


 少年は、ええと、と周りを見て、荷物を持ったまま、風呂場につながる扉へと視線を定めた。


「準備しますね。お風呂場、お借りします」 

「衣装とかも置いてあるから、着方きかたわからなかったら言ってね」

「はい」


 ほとんど足音も立てず、扉の閉まる音だけを残して姿を消す。

 僕の方は、スケッチブックを開いて鉛筆を構えるだけだから特に準備もない。座ってもらう場所も既に整えてある。


 今回、「堕天寸前」というある意味ベタな依頼で、割合使い回し頻度の多いセットだ。

 薄いクッションシートの上に毛足の長いラグを引いて、背面には岩壁に見えるパネル。後は、手枷てかせ足枷あしかせ


 毎度ながら、まるっきり変態だなあ、としみじみと思ってしまう。


 少なくとももう数年、今の形で一月か二月に一枚の絵を描いて生活している。

 その度にモデルを頼む人たちは、性業界のプロ。少なくとも成年で、一年以上はその仕事を続けている人。

 そんな彼らを、ほぼ一か月拘束して絵を仕上げる。

 モデルになってもらうのは実質一週間程度で、次の一週間ほどは僕はひたすらに絵の細部を練り上げている。それが完成したら、実際に描き始める。

 そうやって一枚が仕上がるまでに、三週間から四週間ほど。

 その間、モデルの彼らには追加でデッサンモデルを頼むこともあるけど、納品するための絵を描き始めてからは気が向いたら夜の相手を、後は基本的に、生存確認のために居てもらうというのが正しい。


 主真いわく、僕を一人で放置しておくと食事もとらずに干からびているだろうとのこと。

 まあ…強く否定はしない。さすがに言い過ぎだとは思うけど。


 モデルをしてもらっているところは人に見られたらほぼ確実に通報される光景なので、そもそもあまり人通りはないし植木だか天然木だかも目隠しにはなっているけど、窓のカーテンは閉めてある。

 それでも、天体観測もできる天窓から天然の光が降りそそぐので、電気をつける必要もない。

 今日は梅雨の中休みで、初夏の早朝のようなさらりとした空気。暑くも寒くもなく、過ごしやすい。

 天窓と下の窓も少し開けてあるけど、カーテンがひるがえるほどの風はない、はずだ。

 強すぎない日差しもあって、このまま昼寝しても気持ちいいだろう。


「着方、これで合ってますか?」


やはり足音もなく、思い描いていた以上にイメージ通りの「天使」が現れた。

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