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<アキト>

 せま浴槽よくそうに、二人で入る。

 小柄な体をかかえた状態で、お湯が熱いのか華奢きゃしゃな体の熱をびているのか、わからなくなる。


「眠かったら、寝てていいよ」

「ぃぇ…だいじょぶ、です…」


 今にも消え入りそうな返事。僕は、湯船ゆぶねから出ている肩に手でゆっくりとお湯をかける。

 しばらく前、何本目かの鉛筆のしんの出ている部分を使い切ってしまい、スケッチブックと木のこすれる感触でスイッチが切れた。

 集中の切れ目はいつも唐突で、それまで何か分厚ぶあつ寒天かんてんのようなものでへだてられていたありとあらゆるものが一気に戻ってきたような感覚に、少しばかりくらくらとする。

 実際、立っていたらまずしゃがみ込む。


 スケッチブックはなかばのぺーじえていて、下ろしたてだったはずだけど、と思いつつ描きかけのスケッチを見ると、モデルの顔が完全に項垂うなだれていた。

 ぎくりとして、近くに置いていたはずの携帯端末を探し、時間を確認すると――三時間近くがっていた。


「ごめんっ、大丈夫?!」


 スケッチブックも端末も放り出し、両手足を拘束こうそくされた上にお尻に性具をし入れられたままの少年に駆け寄る。

 何か言ったような気がして耳を寄せると、「だいじょうぶです」と、かすれた声でかすかにはっした。


 ああ、と思った。

 この子の「大丈夫」は、信用したら駄目だめなやつだ。

 きっと、どれだけ「大丈夫」なんかじゃなくても、心配されれば「大丈夫」だと、問題ないと言ってしまうのだろう。たとえ、一目で問題だらけだと判る状況でも。


「ごめん。…ごめん。触れるね。体重、あずけて」


 まず、正面からきかかえるようにしてささえて、手枷てかせについたボタンで操作してくさりを下ろす。

 こらえるだけの力も残っていないのだろう、始める前に同じようにれた時よりもずっと重く感じられた。

 そのまま、なか手探てさぐりで足元のかせも外す。

 緩衝材にはさんだ皮布が、汗とおそらくは精液でぐっしょりと湿しめっていた。


さわるよ」


 知らせるために性具の回りの肌に少しれてから、引き抜く。声にならない吐息が漏れた。


「…め、よごれちゃう…」

「いいから。…君、声、どうしたの」


 ただあえぎ続けてかすれたというのとは何かが違うような気がした。

 集中して気付かなかっただけで、よほど大きな声でも出していたのかと思ったけど、顔を見て一瞬言葉を見失った。

 唇の端に、赤があった。み傷のようなものの上に。


「まさか、声、殺してたの? ずっと? 三時間近くも?! のど痛めるよ!?」

「だいじょぶ、です」


 どこまで。驚きを上回って、痛々しさが残る。

 意識せず強く触れてしまったようで、びくりと肩が揺れた。


「全然大丈夫じゃない。しゃべらないで」

「ごめ…なさ…」

「…怒ってるわけじゃないよ」


 こんなにひどい目にっているのに、それでもまだあやまるのか。

 そして、そんな酷いことをしたのは、僕だ。


 これまで何度もやってきて、良いことだとは思わないけどさして罪悪感も後悔もなかった。

 それは、今までの人たちがここまで身をけずることはなかったから、というのもあるだろう。僕が気付かなかっただけかも知れないけど。

 大抵は、疲れたところで不満や休憩の申し入れをしてくる。集中している間は声もへだたったところにあって、気付くまでに時間がかかることもあるけど、ここまでの無茶になることはなかった。


「あのね。僕は、君をやとった。いくつかの条件と引き換えに、お金を渡す。そういう約束だよね? それは、ただただ身をくせって言ってるんじゃないんだよ。…座ってることさえできないほど、我慢しなくていいんだ」


 決して大柄ではない僕よりも更に一回り程も小さそうな体は、支えていないとそのまま倒れそうになる。

 寝かせてあげた方がいいだろうかとも思うけど、そうすると抱き上げるのが大変になりそうだ。まさか、ここでこのまま眠らせるわけにもいかない。

 顔を伏せてしまって、言ったことをどうとらえたのかはつかめなかった。朦朧もうろうとして、理解できていない可能性もある。


「ごめん、後の方がいいね。明日、もう少しちゃんと話そう。外すから、…体勢、変えるね」


 りかかって来て、と言おうとしたけど、遠慮されそうで少年の体の向きを変える。後ろから抱きかかえた方が手枷てかえが外しやすそうだ。


 「ぁっ」と、湿った声が漏れた。

 ぎくりと、動きが止まる。色々とまずい。


 なんだって、反応するんだ。いくら、身動きが取れなくてナカで何度かイったとしても射精できずに敏感なままだからといって、僕まで影響される必要はないはずなのに。


 そもそも、スケッチと仕上げるための絵の下描きを繰り返しているときは、描くことでいっぱいで他のことが入る余地なんてなかったのに。

 彼らに誘われても平然と断ってしまって、恨み言を別れのあいさつにされたことだって数知れないのに。


 しずまれ、と必死に思うのに、むしろ元気になっていく。どうして。


「…あの」

「気にしないで今すぐ忘れてすぐに手を解放するからお風呂行って軽くいろいろ流そうか」 

「…シますか…?」


 すり、と、かすかに身をせてきた。ただ、それだけなのに。

 …簡単に理性を手放すとか大人として断じてやっちゃいけないことだった。


 そんな当たり前のことに気付くころには、元気になってしまった下半身はいくらか放出したことで収まり、さすがにもう鎮まれと言い聞かせることには成功した。

 それまでの間が、色々とひどすぎるのだけど。


 更に最悪なことに、そんなことを仕出しでかしておいて、僕は、名前も呼べなかったのだ。

 名乗られたことは覚えているのに、いつものように聞き流して忘れてしまった。


「…お風呂、入れる…?」

「はいる…」


 耳をせてどうにか聞こえるほどのかすれきった声ではっされ、お湯にかるにも体力は消耗しょうもうするけど、でも入りたいよね、と思う。

 まさかここでやらかすとは思っていなかったから、ゴムなんて当然用意してなかった。


 …できることなら、時間を戻してやり直したい。ひどすぎる。


 僕自身のだるさは無視して、慎重に少年を持ち上げる。

 見かけにたがわず、いやそれ以上に軽く、またもやちゃんと食べているのかと心配になってしまう。

 いつもなら僕は入ることのない風呂場に移動して、とりあえず浴室に湯を落とし始める。

 脱がせた衣装を適当に放り出そうとしたら、精一杯気力を振りしぼっているだろう声で「よごれ…」と言われ、け置き洗いするから、とどうにか取りつくろった。

 それよりも気にすべきことがあるだろうに。


 少し迷って、僕も、既に脱いでいた下半身にならうように上半身の服も脱ぐ。

 そうやって目を離したすきに、後始末を自分でやろうとして洗い場に突っ伏した姿に慌てた。どこまで頑張るんだこの子は。


 どうにかこうにか色々と洗い流し、浅くめた湯船ゆぶねに浸かる頃には、かなり疲れていた。

 それでも、この子の比ではないと思うと罪悪感が湧いて出る。


「…そろそろ、上がろうか」


 とうとう返事もなくなって、穏やかな寝息が聞こえた。

 残念なようなほっとしたような、よくわからない感情をかかえて風呂場を後にした。


 その後も、体をいて着替えがないから左翼の寝室までパジャマを二人分取りに行って。

 右翼の寝室に二人で体を横たえたときには、まだ眠るには早い時間だとは思いもつかなかった。眠る前に、と、端末を手にしてまだよいだと気付いて吃驚びっくりする。


『今日からお願いしてる子の名前、教えて』

『本人に訊け。個人情報』


 メッセージアプリで主真カズマに送ると、即座に返事があった。違う、と声に出さずにつぶやく。


『本名じゃない』

『チカ』『名乗らなかったのか?』『そのへんちゃんとしてそうに見えたけど』

『名乗ってくれた。覚えてなくて、もう一度くのは悪いと思って』


 少し間があいて、はとが豆鉄砲をらったスタンプが送られてきた。

 ちょっと気になって詳細を見たら、「慣用句シリーズ2」となっていて、これだけ有名な慣用句で2って、一体1は何が収められているんだと気になってしまう。


 脱線するよりは早く、返事が来た。


『めずらしい』


 ぱたりと、端末を手放した。しばらくすると、画面のライトも消えた。

 珍しい。本当に。


「…チカ。チカ君」


 隣のぬくもりに小さく呼びかけても返事はなく、ただ規則正しい寝息が聞こえた。

 なんだか少しだけ寒いような気がして、そっと熱を抱きしめて僕も目をつぶった。

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