暗がりで開かれた扉と、その向こうの人の気配。
寝ぼけてマボロシでも見ているのかと思いかけて、別にいてもおかしくないのかと気付く。
「すみません、音とかしました? あっ、いろいろ借りて…もらって?ます」
「いいにおいがして…何?」
するすると近付いてきて、カウンター越しにのぞきこんでくる。
リンゴジュースとカモミールの湯気をまともにあびて、ふわりと笑みを浮かべた。
つくづく、よほど本人がモデルをできそうな見かけをしてる。それも、普通の雑誌の表紙とかにも使われそうなやつ。
「リンゴジュースもらいました。飲みますか?」
「いいの?」
「もともと、アキトさんのでしょ」
寝起きなのか、出会ってから一番おさない感じがする気がする。年上なのに変な言い方だけど。
カップをもう一つ出して、鍋の中身を半分ずつに分ける。多いかと思っていたから、ちょうど良かった。
熱いから気をつけてください、と声をかけたからか、ずいぶんと真剣に息をふきかけている。
――ちょっと面白い。
鍋を軽くゆすいで、座りませんか、と移動する。
ソファーにさそったら、楽に寝ころがれるくらいのスペースがあるのに、くっつくように隣に座られてしまった。
――いいけど。距離近い人なのかな。
そしてついでのように、近くに座らせていた子パンダを俺の後ろに置く。
いくらクッション代わりとは言え、さんざん踏みつぶしてきたから少しかわいそうになって、ひざの上に移した。
「…パンダ、好きなんですか?」
てきとうに取ったマグカップも、カンフーシャツを着たパンダが躍っていた。それはアキトさんの手元にあって、俺のは無地の青系。
アキトさんは、子パンダを見て
「ひどいんだよ。
――誰だ、主真って。
友達か何かだろうとはわかるけど、俺も知ってるみたいに話されても。
あれか。子どもの話を聞いてたらガンガン人の名前とか固有名詞が出てきて知ってて当然みたいに話されるけどわからない、っていうのと一緒か。
だとしたら会話レベルが子どもなんだけど。
「あ。おいしい。リンゴジュース…だけじゃないよね?」
俺が反応に困ってる間に、カップに口をつけていた。そういう勝手なところも子どもっぽい。俺よりも結構上のはずなのに。
「カモミールってわかりますか?」
「え、あの草のお茶?」
「草」
間違ってはいない気はするけど、まずそうにしか聞こえない。
「ハーブの一種です。リンゴジュースをあっためて、カモミールを煮出したんです。すっきりした感じになってるでしょ?」
「へえ。変な味だと思ってたし、りんごジュースも甘すぎてあんまり好きじゃなかったんだけど。チカ君、すごい」
「…紅茶とかハーブティーとか好きな知り合いがいて、いろいろ教えてもらったんです」
「おいしいね。ありがとう」
「…べつに」
きらきらとした笑顔に慣れない。いや、慣れてはいる。
でも、男女の差や年齢の違いを引いても、何か種類が違う。
なんとなく見ていられなくて、ジュースを飲むのに集中するふりをした。あったかい液体がのどを通ってすとんとお腹に落ちて、あたたまる。
『カモミールってリラックス効果があるんだよ。よく眠れるんだって。クセがあるけど、はちみつとか、甘いのあわせると飲みやすくなるんだって。牛乳入れたら、ホットミルクとで効果倍増だよ、きっと』
ぽかぽかとした体の中から、小学生だった美羽の声が聞こえるような気がした。
まだ、
そうしていれてくれたカモミールティーを飲んで、二人で「…おいしい?」と、びみょうな顔を見合わせてしまった。
きっと、そこからだ。誰かがいてくれると眠りやすくなったのは。美羽や、晴喜さんと一緒にいると安心できたから。
――ちょっと、眠いかも。
かかえたパンダはふかふかで、気付けば飲み干していたリンゴジュースでぽかぽかする。
体の左があったかいと思ったら、アキトさんの体がそこにあった。人の体温って、気持ちいい。
「チカ君、眠い?」
「…ぃぇ」
「眠っていいよ。おやすみなさい」
大丈夫、と言いたかったのに口が動かなかった。右の肩もあったかくなった。
やさしく、そっと、抱き寄せられたとわかった。