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<アキト>

 スケッチブックを閉じると、規則正しい寝息が耳に飛び込んできた。

 正確には、ずっと聞こえていた。はずだ。ただ、僕がその音を音として認識していなかった。

 分厚い壁の向こうの影絵のように、存在は知っていても意識はしていないものだった。


「…チカ君?」


 うっかりと手を伸ばしたら頭に当たるくらいに近くの床の上で、体を丸めて眠っている。

 クッション代わりに、と二日目に渡してからほとんど持ち歩き状態のパンダのぬいぐるみが枕代わりで、この季節でも眠るには肌寒いだろうしフローリングの床は硬い。

 そう言えば、絵を描いているところを見てもいいかと訊かれたような記憶がうっすらとある。まさか、ずっとのぞき込んでいて、疲れて眠ったんだろうか。


 今までにも、そういう人はいた。

 完成品の構図をるのに描き込んでいるスケッチブックをのぞいたり、手伝えることはないかといたり、かいがいしく世話をしようとしたり。

 興味や親切だったのかもしれないけど、それを受け取れるほどの余地が構図を詰めている僕にはない。だから気付けば、離れていた。


 チカ君も、きっと。


 眠っている頬に触れると、やはり表面は少し冷たくて、だけど体温はしっかりと感じられる。滑らかな感触が心地良くて、放し難い。


「…ウソだろ…」


 今日で、八日目。

 昨日まではモデルと実質の休みを交互で繰り返していた。

 今までは、数日続けてモデルをお願いして、そのまま構図を練るのに突入していたのだけど。今回は…初日にあれだけ反省したはずなのに、結局我慢しきれなかった。

 モデルをさせて、セックスをして、翌日はゆっくりしてもらう、というループから抜けられず。

 二回目からは、モデルの時にどうにか休憩を挟むようにしたからか慣れたのか、チカ君も結構積極的に応えてくれたから、止めようもなくて。

 せがんでくる時も、よがる声も、全部可愛かわいくて。


「ううう…」


 触れたからか、思い出したからか。体が反応してる。


「なんなんだよほんと…そんなに性欲強かった…?」


 今まで、こんなにがっついた覚えがない。

 材料集めのスケッチと構想を練る時が一番楽しくて集中するから、そこに全て持っていかれて、聞こえのいい言い方をすれば性欲だって全部昇華されて、そんな気分になることなんてほとんどなかったのに。

 だけどいくらなんでも、ここからチカ君を起こしてまで、という流れはない。昨日したところだし。

 どうにか抑えて、チカ君をベッドまで運ばないと。

 ずっと手を離せずにいるのに、チカ君が起きる気配はない。それだけ、疲れているということでもあるだろう。

 今日一日をどう過ごしていたのかはわからないけど、何日も抱き潰されて、何もしなくていいといっても他人にずっと付きまとわれて絵を描かれているなんて、気も張るだろう。


「ごめんね」


 明日には、もう、本当に好きに過ごしていいのだと伝えないと。

 カンバスに描き始めたら、いくらか余裕も出る。その時には、また夜に相手をしてもらいたいけど、それまではそういったこともしなくていいと。

 …言えば、ほっとするんだろうか。


 溜息ためいきみ込んで、覚悟を決めて、チカ君を抱き上げる。

 完全に意識を手放した体は重いはずなのに、やっぱり少し軽い気がする。

 ベッドに寝かせると、二日目の朝に置いたままの大パンダがそびえ立っていた。

 主真かずまの嫌がらせが、こんな風に役に立つとは思ってもみなかった。

 というかそもそも、クッション、必要だったんだなと今更に気付くあたりがどうしようもない。

 あどけない寝顔を見ていると、また手を伸ばしそうになる。邪魔なだけだろうから、さっさと寝室に戻ろう。


「…あきとさん?」

「チカ君? 寝てていいよ」


 ぼんやりと、まだ半分以上夢の中に居るような調子で、チカ君が僕を見る。そうして、ゆるりと手を伸ばしてきた。

 思わずこちらも手を伸ばすと、とらまえ、安心したように目を閉じた。

 寝ぼけているのだろう。簡単に振りほどける。だけど。


 チカ君が手を離さないから、起こしたら悪いから、と、自分に言い訳をして、チカ君の隣にすべり込んだ。

 あいている方の手をチカ君の背に回して、抱きしめる。


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