目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報

<チカ>

 リビングにアキトさんの姿はなく、とりあえずスープの火を止めて、ソファーに座る。どこに行ったんだろう。


 ――あと五日かあ。


 子パンダの腹に顔をうずめて、ため息をのみ込む。

 このふかふかとも、もう少しでお別れ。ぬいぐるみを買おうかな、ともちょっと思うけど、ぬいぐるみをかかえた宿無し二十代ってどうなんだ。

 せめて、部屋を借りてからだな。

 その時は何にしよう。

 パンダはどうしてもここの親子と比べてしまうだろうから、他の動物。海の生き物でもいいかも知れない。クジラとかイルカとか。

 どうせ、売り場で一番手触りのいいものにするだろうなと思いつつ、ペンギンもいるか、と考え続ける。

 何か考えていないと、勝手に落ち込む。


「わ」


 いつの間にか下に踏んでた端末がふるえて、びっくりしてはね起きる。表示は「店長」。

 さっき話したばっかりで、常連さん三人の予定が決まったとしても早すぎる。

 ――なんだ?


「はい、もしもし? 何かあった?」

『ああ…今、一人か?』

「は? うん、一人だけど。えっ何?」


 美羽ミウ、店長――晴喜ハルキさんの一人娘に何かあったのかと身構える。それ以外に、緊急連絡めいたものが思い浮かばない。

 いや、美羽に何かあったとしても、今俺に話したところで何ができるわけでもないし、アキトさんと二人きりのはずの場所でわざわざ一人を確認する意味もない。

 ――となると、アキトさんがらみ?


「俺何かした? クレームとか来た?」


 ややあせる。残り数日なのに、俺を飛び越して持っていくような苦情なんて。もうここで終わりとかそういうことになったら、ちょっとめげる。

 いや、なんなんだよと腹を立てて見切りをつけられてむしろいいだろうか。


 いや、と言った後、店長はためらうような間をおいて、探りを入れるような声を出した。


『今、本当に順調なんだよな? ひどいことはされてないな?』

「大丈夫だって、さっき言ったじゃん。むしろ、のんびりできておいしいものがっつり食べてぐっすり寝て、ちょっと太ったかもってくらい」

『…延長できないかって連絡がきた』

「…ん? は? え? 一回きりって話じゃなかった? え。ホントに?」

『俺もそう聞いてたし、今までうちから何人か行ったけど、その時はそれっきりだった』

「えー…ええー…」


 思いがけない話に、頭が回らない。

 ウワサはうそで、珍しいけどたまにこういうのもあったりするんだろうか。


『おまけに、長期空いたら常連が離れて困るって伝えたら、借金完済まで継続でもいいと言われた』


 勝手に借金ばらされてる。いやいいけど。こんな仕事してたら定番だろうし。

 というかそもそも、晴喜さんだって牽制くらいのつもりで言ったんだろうし。

 ――結構気に入られてる?

 そりゃあ嫌われてる気はしてないけど、でも、今までだってそういうものじゃなかったのか。

 俺だけが特別とか…そんなことを思ってしまって、違ったらみじめすぎる。


『…チカ? どうしたい?』

「うん…」


 晴喜さんにはっきりと確認したことはないけど、俺の取り分は他の人たちよりもやや高めに設定されてる気がする。

 本人と店の取り分の割合は、店によっても人によっても違うらしくて、他の店がどうだって話は待機中とかによく話題になるけど、同じ店でのものはケンカの元になったりするし生々しいからか、話したことはない。

 だから今回も、どのくらいが俺の取り分になって店に入ってるのかはわからないけど、それなりの額が店にも入るのは確実だろう。晴喜さんに返せるなら、いい。

 そんなことを考えるのは、損得だけで終わらせた方が傷付かなくて済むから。

 損得勘定で決めて、恩人にもいくらか恩返しできたら、もし何か傷付くようなことがあっても仕事のうちだと流せる気がするから。


「じゃあもういっそ、借金分終わるまでまるっと続けてもらうとかできる? て言うか、その場合どのくらいだっけ。三回分くらい?」

『…そうだな。多少貯蓄もするなら、三回。それでいてみるか?』

「うん。返済まで時間かかってごめん」

『充分早い。頑張ったな』

「ちゃんと終わってからにして、泣いちゃうからさー」

『店の名簿からは外していいな? 常連の三人も、断っとくぞ』


 今は、休み扱いにしてもらっている。

 残りはゆっくりでいいからと、この仕事が決まった時にキャストから外すかとも言われたけど、俺が断った。

 やっぱり普通のバイトなんかよりはかせぎがいいし、先のことをちゃんと考えていなかったから、少しでもつながりを残せるならそのままの方がいいと思ったから。

 今となっては、ここをやめた後にアキトさんを忘れるために別の誰かの相手をした方がいい気がするけど、その時はその時で、一見いちげんさんにでもすればいいか。


「うん、それでお願いします。あのさ、シャングリラ以外にも、添い寝?かなんかの店やってたよね?」

『ああ。やりたいのか? 単価は全然違うぞ?』

「あーうん、お金より、一人寝がさみしいみたいな?」

『…借金の片がついたら、もう一度うちに来るか? 美羽もお前が来ると喜ぶし、家事を分担できると俺たちもありがたい』

「ありがとう、かんがえとく」


 何か理由をつけて断るだろうな、と思いつつも、そうなったら楽しいだろう、とも思う。

 もう俺に身寄りはなくて、晴喜さんや美羽を家族みたいに思ってる。でもだから、迷惑はかけたくない。


『とりあえず三か月でけて、細かいところは会って話し合おう。俺も同席したいから、こっちに出て来てもらうかそっちに行くことになるだろうけど、いいか?』

「うん。あ、三か月くらいのびるなら、あずけてる私物回収したい。また契約書かくのかな?」

『だろうな。きっちりしてるよな。じゃあ、そのあたりはこっちで話しておくから、あんまりそっちで勝手に決められないように気をつけとけよ』

「んー…大丈夫だと思うけど。うん、まあ、気をつけとく」


 続けて、実家からの小言はこんな感じかというような注意をいくつかもらって、電話を切る。切ってから、言い忘れた、と気付いた。

 ――もしかして俺、餌付けした?

 話しながら、どうしてこうなったんだろうと考えて思いついた一つ。

 道具も基礎知識もないしで大したものは作れないのに、アキトさんはいつもうれしそうにおいしそうに食べていた。

 手作り料理とか、そういうのに飢えていて、たまたまそこに俺がはまったんじゃないだろうか。

 そのへん歩けば、いくらでもあのくらいの料理つくってくれる奴なんてひっかけられそうなのに。

 しかし、昨日絵は描き終わったって言っていたけど、こんなことはにおわせもしなかった。案外ポーカーフェイスなのか、今朝急に思い立ったのか。

 あらためてダイニングの様子を見ると、昨日残って一旦片付けた「森の小麦」のパンがいくつかテーブルに、スープ皿も出ている。

 でも、スープ鍋はぬくめられてコンロの上に置かれたままだった。


「…どこ行ったんだろうな?」


 子パンダに話しかけて、何やってるんだと頭をかく。寝転ねころんで、ふかふかのパンダを抱きかかえた。

 ――もしかして。

 今、店長と話してるんだろうか。

 それなら、戻って来て、どういう風に話を切り出すんだろう。考えてみたら、すぐそこにいるのに第三者を挟んで話を進めるってどういう状況だ。

 なんだかまだ夢の中にいるみたいだなと、軽く目をつぶった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?