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<アキト>

「余計な金があるって言うから、ちょっと貸してもらって、ついでに伝手つてたどってこの建物と裏の山ごと土地買わせて」

「え、山までアキトさんの持ち物?」

「そ。不良債権だったから大分買い叩いて家のリフォーム代に回した。ああ、借りた金はちゃんと返したからな。そっちも完済間際だろ。お疲れさん」

「…どうも」

「まあそんなのは抜いても、あれは数少ない気の置けない友人だからな。一応、それなりに大切には思ってるんだ。まあ…仲良くしてやってくれ」 

「…保護者ですか。パンダのおじさんって呼びますよ」

「……あしながおじさん的な? 金の流れで言えば逆のような」

「でしたっけ。知りません、読んでないんだから。最後が結婚で終わったって聞いて女の子とおじさん?ってびっくりしたけど」

「確かに、って、実は酔ってるな?」

「ええ~…?」


 しばらく間があって、大きな深いため息が落とされた。


「全然顔に出ないタイプか。参ったな、酔い潰すつもりはなかったんだが。――アキ、そろそろ起きられるか」

「…聞こえてるってわかってるのにあんな話しないでよ」


 変な酔い方、と言われるように僕は、アルコールが入るとまず眠くなる。

 そのまま半分寝入って、半分は覚醒している状態で、ろくに動けはしなくても聞こえてはいる。それを通り越せば、普通に起きていられる。


 テーブルに行儀ぎょうぎ悪くひじをついて、主真カズマはにやにやとこちらを見遣みやっていた。

 その向かいで、チカ君は完全に突っ伏している。


「悪口は言ってないだろ」

「チカ君から身の上話とか引き出そうとしてなかった?」

「さあな」


 三分の一ほど残っていた赤ワインを、一息に飲み干す。

 酒好きでザルの主真は、自腹で飲むと高くつくからと勝手にこの家を飲み場所と決めているところがある。

 ワインも含め、食糧品の大半は主真が選んでいる。僕のカードで。

 別にそこに文句はないし、定期購入のものを除けば、放っておくと買い忘れるから大いに助かっている。

 ただたまに、食べようと思ってたのに食べたな、と言われるとさすがに理不尽だと思う。

 それならそうと言っておいてほしい。


「寝かせるか。右翼の奥でいいんだろ?」

「僕が運ぶ」


 立ち上がる時に軽くよろめいたものの、問題はない。

 立ち上がりかけていた主真は、わずかに目を丸くして、人の悪い笑みを浮かべた。


「独占欲まであったとは」

「一体君は僕をどう思ってるのか一回聞いてみたいものだね」

「絵を描くことだけに特化した妖精とか妖怪とか、そんなとこだな。じゃなきゃ、久々に会った幼なじみにいきなりあんな大金渡すもんか」


 チカ君相手の一人語りで収まりきらなかったのか、古い話を持ち出してくる。

 実際、再会した時の主真は目がすさんでいて、持ち逃げされても不思議はなかった。

 別にそれでも構わないと思うくらいには、僕も荒んでいた。


「だからさ。あれは、財布に三万入ってて使う当てもなかったら、一万くらい困ってる親友に貸してもいいかって思うっていうだけの話で」

「その親友とやらが、ちっさい頃しか知らないのに? お前、小学校の同級生とかから電話かかって来ても会おうとするなよ」

「ただの他人なら放っておくから大丈夫」

「その線引きに不安しかないんだが」


 肩をすくめて見せて、チカ君に触れる。頬をでても、ほぼ反応がない。完全に意識を手放しているようだ。

 テーブルには、空のワインボトルが二本。

 僕がソファーに寝に行ったときには、まだ一本目が半分ほどは残っていたはずで、少なくとも、二人で一本は空けているということになる。

 チカ君、お酒はそんなには強くないのかな。それとも、疲れて緊張していて早く回ってしまったのか。

 何にしても、次に一緒に飲む前にその話はしておこう。僕の酔い方も、信じてなかったみたいだけど、改めて言っておかないといけないだろう。

 膝裏に手を入れて、背を抱き込んで抱え上げる。数日ぶりの、チカ君の体温。


「…ついて来なくていい」

「戸くらい開けてやるって」


 言った通りに、先立って扉を開け放っていく。

 ついでに、その手にはチカ君にお土産と言っていたものだろう、狼のぬいぐるみが掴まれていた。首筋を片手で掴んで、生きていたなら猛烈な抗議を喰らいそうだ。

 二日ほど前にハウスクリーニングが入ったから、ベッドのシーツは皺一つなく整えられている。

 掛け布団をめくってチカ君を寝かせると、寝室にまでは入って来なかった主真が、ぬいぐるみを投げて寄越した。


「でかい方までいるのかよ」


 目ざとく、足元に居た大パンダを見つけたようで、驚いたような響きがあった。

 チカ君に布団をかけて、名残惜しくはあるけど背を向ける。そっと扉を閉めて、主真の視線も締め出した。


「何飲む?」

「ハイボール。でもそれより、ご飯食べたい。出汁巻きは全部僕のだから」

「…お前、性格変わってない? そんな独占欲剥き出しにしてたら逃げられるぞ」


 ダイニングに戻りながら、不吉なことを言うとにらみ付ける。主真は、ひらひらと手を振って見せた。


「とりあえず四か月は確保したんだ、その間にどうしたいかちゃんと決めろよ」

「わかってる」

「ならいいけど、一つ忠告はしておいてやる」


 冷蔵庫から缶のハイボールを二つ出してきて、投げて寄越よおした。開けたときに飛び出るやつだ。

 仕方がないから、少しだけ開けて、勢いよく出て来る炭酸にひるみながら間を置く。その間に、主真はさっさとグラスにそそぎ入れていた。

 そうして、一口飲んでから僕をぐに見据みすえる。


「素直ないい奴に見える」

「見るっていうかそうだよ」

「俺らがそろってだまされてるならいいが、本当にそのままだった場合、契約期限の終わりくらいに逃げられるかも知れないぜ」

「はあ?」


 ようやく大きく開けて、面倒になってそのまま一口。強い炭酸が、いでアルコールが、のどいていく。


「キャバクラとかソープとか、ホストやデリヘルや、俺がそういったところとの付き合いが多いのは知ってるだろ」


 これは別に、主真が遊び歩いているというわけではなく、顧客がそのあたりが主というだけのことだ。

 大学時代のアルバイトからの流れもあるし、結局、暴力団員との関係も完全には切っていないからだと聞いた。

 もっとも、主真はあまり、そういったところを詳しくは話してくれないけど。

 僕を巻き込みたくないと思っているのか、ややこしいから面倒だと思っているのか、半々くらいな気はする。


「本気やら駆け引きやら、色恋の話はごまんとあるんだけどな、たまに、どう考えたってそれとくっついたらいいって思うのに逃げ出す子がいるんだよ。相応しくないから身を引く、って、本気なんだから驚くよな。傷付きたくないってのがあるんだとは思うが、自分から悪い方に行くことないんだがな」

「チカ君もそうだって?」

「好きだから、迷惑をかけて嫌われるのに耐えられない。幸せになるのが怖い。そんなことない、気にするなって言ったって聞こえないみたいでな」


 そんなことはありえない、とは、僕には言い切れない。

 出会った人の数は、主真の方が圧倒的に多い。人を見る眼なんて、僕にあるとは思えない。

 躊躇ためらうこともなくこうから、主真は僕の目を覗き込んで来る。


「大切なら、逃がすなよ」

「…主真も、そういう経験あるの?」

「縁がないな」


 あっさりと言い放って、主真はハイボールを一気に飲み干した。炭酸にせている。

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