「髪つやつやー! お手入れとかしてる?」
「してない、です…」
「敬語とかいいって、あちこち触りまくるし、嫌やったら遠慮なく言ってなー」
関西方面のイントネーションで、染めているらしいパサついた髪質の女性は笑顔を全開にした。開けっ広げに明るい。
そして、距離が近い、上に、気付くと脱がされかけている。
――
半分感心して手元を見ていたのに気付いたのか、あっと言って、手を離した。
「脱ぐの平気? 写真はNGなんやんな?」
「はあ…えっと、脱げばいいですか? どこまで?」
「逆にどこまで脱いでくれる?」
「いや…必要なら、全部でも脱ぎますけど…?」
「おおっ。でもそれは後であたしが先輩に怒られる気がするー」
アキトさんを先輩と呼ぶ彼女は、実際に、大学の後輩らしい。芸術大学だと言っていた。
そして何故か、二人きりで放置されている。
正確には、すぐ近くにアキトさんがいる。いるけど、スケッチ期間を終えてひたすらにスケッチブックに向かっていて、話しかけたところで返事もないんだから、ほとんどいないのと変わらない。
俺が聞いているのは、衣装づくりのために採寸に来るからよろしく、という、それだけ。
後輩だとか出身大学だとかも、アキトさんからは聞いてない。この期間のアキトさんは、半分くらい夢の中にいるんじゃないかと思う。
「パンツははいてて大丈夫。…ノーパン族の人やったりする?」
「違います」
けらけらと笑う。おもしろいことなんて言ってないのに。
「衣装って、全部…
「
簡単に持ち運びできるくらいに小さなカーペットを敷いたところに座って、服を脱いでいく。
すぐ近くにちんまりと正座した美琴さんは、照れた様子も性的に関心を持つ風でもなく、それなのに熱い視線を向けて来る。
「今まで何着た? っていうか、いつから? 採寸したいって言い続けてきたけど、オッケー出たの初なんやけど」
「先月くらいで…白い、半透明の布がビラビラついたのと、なんか派手な着物」
「ほほう。白いのは、多分あたしが作ったやつ。天使イメージのやつやんな?」
「だと思います」
見せてもらった、完成した絵を思い浮かべる。真っ白な翼も生えていたし、天使っぽかった。
上半身をひねった美琴さんは、ボディバックを探り、携帯端末の画面を向けてきた。あの絵が表示されている。
「これ?」
「はい。どうしてこれ…」
「衣装代、実費プラス労働費ちゃんともらってるけど、一番のご褒美はこれやもん。完成したらお客さんに報告写真送るって言うから一緒に送ってもらってるん。先輩の絵、好きなんやんな。本物はたっかいから無理やけど、画集とか出したら絶対買うのに、お客さんに渡して終わりっていうんやからもったいないよなー」
――やっぱり。
そんな気はしてたけど、他で見ることはできないんだとがっかりする。
あの絵も、
んんん、と、美琴さんが下から覗き込んで来た。
「もしかして、ちーちゃんも先輩の絵のファン?」
――ちーちゃんて。
飛び出かけた言葉をのみ込んで、曖昧にうなずく。
多分聞こえてないとはいえ、すぐそこにアキトさんがいるからちょっと気まずい。
美琴さんが、ぐいと身を寄せてきた。端末の画面に指をスライドさせる。
「あたしのコレクション」
何枚も、アキトさんの絵が映し出されていく。気付けば、食い入るように見ていた。
「いいやろー。撮り方指導もしたから、結構きれいに撮れてるし。あとは、写真オッケーな人の時は、衣装着てるとこ撮って送ってもらったり」
「…すみません、写真…」
カメラを向けられると、体が
ぱたぱたと、慌てたように美琴さんの手が振られた。
「苦手とか嫌いとかは仕方ないって。無理して嫌な思いさせても嫌やし。あ、でも、ちーちゃんがずっとおってくれるんやったら、着てるとこ直接見せてもらいに来られるかな」
――ずっと。
「それは、どうですかね。俺も、そんなに長くは…」
「え、そうなん? モデルさんに会ってもいいって初やから、てっきり
「少しは気に入ってもらえたのかも知れないけど、四か月契約だから」
「…ふうん?」
何故か、納得がいかないとでも言うように小首をかしげた。事実を言っただけなのに。
その後は一か月ごとに更新、というおまけもついたけど、それはないだろう。
――さすがに、飽きるだろうな。
四か月。もう、一週間以上が経った。今からこんな風に数えていたらもたないんじゃないか。
そう思うけど、どうせなら思い切り楽しめばいいと思うけど、割り切れるだろうか。結局、つらくなるだけじゃないか。
「これ興味ある?」
もう一度示された画面には、モノトーンの服を着たアキトさんが映し出されていた。
「もう十年は前かなー。え、十年? うわ時の流れ怖ろしい…!」
「…アキトさん、歳ちゃんと取ってるんですか」
「あはははは、わかる! あんま変わらんよね先輩! でもこれ、がっつり芸大の時の写真。モデルお願いしまーすって、あ、こっちは服着て歩く方のやつな? それで突撃したのがあたしと先輩のなれそめ」
――なれそめってどういう意味だっけ。
恋人とかじゃなかったっけ。ということは、この人とアキトさんは付き合ってたことがあるんだろうか。てっきりゲイかと思ってたけど、バイなんだろうか。どうでも関係ないけど。
――関係ない、けど。
「あたしが二学年下で、年齢は一個下」
「ん? なんで?」
「先輩ストレートであたし一浪したもん。で、先輩は美術コースで、あたしは服飾。芸大行ったからってそれで食べていけるなんてごく一握りなんやから、すごいよなあ」
「え。えー…美琴さん、服作ってるんですよね?」
「あたしのこれは、副職、っていうか半分くらい趣味。完全オーダーメイドのコスプレ衣装とか作ってるけど、そう注文入るわけでもないし大量制作もできひんし。本業は地味ーに布問屋の事務員さん」
情報量が多くて、くらくらする。
その間にも、いろんな格好をしたアキトさんの写真を、すいすいと指先で流していく。
やっぱり、他の人が見てもモデルやれそうって思うのか。実際、どれも無表情ではあるけどやたらとかっこいい。
「いる?」
「え」
「一応先輩に聞いて、オッケー出たらちーちゃんのスマホに送ろか?」
「いや…大丈夫、です」
ちょっと、欲しいと思った。
だけど、本人に知られるのは恥ずかしいし、もらったところでどうするというのか。残る縁は、半年もないのに。
ふうん、と、俺の目を覗き込んだまま首をかしげる。
「絵の方は、先輩のパソコンに全部あるはずやからもらったら? ていうか、あたしがもらってないのもあるから送ってほしい! ちーちゃんが着た着物の衣装って、多分普通に売ってる派手目な振袖とかで、あたしが作ったのじゃないからデータ送ってもらってないもん。そういうの、たまにあるからコンプリート出来てないんやんなあ。てことで、連絡先交換しよ?」
「はあ」
実際に連絡を取ることがあるかはわからないが、断る理由も特にはない。
一度寝室に行って端末を持って戻ると、美琴さんはノートとメジャーを引っ張り出していた。そう言えば、採寸に来たんだった。
「…どんなのになるんですか?」
「お、気になる?」
「まあ…どんなのでも着るのは着ますけど」
じっと、のぞき込まれる。思わず体を引きかけたところで、にっと笑顔を見せられた。そして、何故か頭をなでられる。
「…えーと?」
「ちーちゃんはいい子やなー。そこまでいい子じゃなくってもいいんやでー」
やや手荒に頭をなでて、少しさみしそうに微笑する。晴喜さんも、たまにそんな風に笑う。
連絡先の交換を済ませると、お待たせしました、と、メジャーを両腕一杯にのばして見せた。
「長々と脱線ごめん、風邪…は、この季節やから大丈夫かもやけど、ごめんなー。ちゃちゃっとすませるから! そうそう、何猫が好き?」
「…何猫、とは…?」
「三毛に黒、虎猫、サビ虎、白猫、足先とか尻尾の先だけ色が違うのもかわいいよなぁ」
「ああ、そういう。…考えたことなかったです」
「じゃあ考えよう! 先輩から毛色の指定はなかったから、あたしたちの意見も盛り込んでプレゼンとか」
――なんでもいいんだけど。
という本音は言いづらい。絵を描いているときのアキトさんくらいに生き生きとしている。
それにしても、しゃべりながらもてきぱきと体のあちこちを測ってはノートに数値を書きとめている。
慣れなのか、こういう技術なのか。何にしても、すごい。
趣味だと言ってたけど、収入減は別にあると言ってたけど、やっぱりこの人もアキトさんの側の人なんだろう。当たり前のように何かをつくり出して、生きていく人。
――からっぽの俺とは、全然違う。