「チカ君、すごいね!」
嬉しそうなのはいいけど、この場合の「すごい」は、俺がなのか、オムライスがなのか、どっちなんだろう。
――どっちでもいいけど。
二個目のオムレツも慎重に焼いて、開くとしっかりとチキンライスをおおい隠した。
アキトさんの視線が、いよいよ熱い。気のせいかも知れないけど。
「先食べててって言ったのに」
「うん。ごめん、見るのに夢中になってた」
「…交換する?」
それほどではないにしても、少し冷めてるんじゃないだろうか。
アキトさんは、少しの間何を言われたのかわからないようなかおをして、力いっぱいに首を振った。
「こっちがいい。いただきます」
――変なの。
別に、あっちの方ができがいいとかはないはずだけど。それならまだ、こっちの方が焼きたてなのに。
取られまいとするかのようにスプンを挿しいれるアキトさんを眺めながら、とりあえずフライパンだけ洗って向かいの席に腰を下ろす。
スープはホテル監修のクラムチャウダーで、サラダの野菜は近所の農家が育てた旬のもの。オムライスは卵以外はネット通販だけど。
何にしても、ほんの数か月前の、ネカフェで無料だったり最安値だったりの通年メニューを一人でパソコンのモニタを見るともなしに見ながら食べていたのとはずいぶんな差がある。
――あと、二か月半くらい。
冬の入り口くらいに、二回目の契約は切れる。三回目がないとしたら、そこで終わりだ。
住む部屋を探した方がよさそうだなあ、と思うのに、身が入らない。
内覧するのはここを出た後にするにしても、場所の目星をつけたり、相場を調べたりは今もできるのに。
「…チカ君?」
「…あ。えーと…」
「大丈夫? 疲れてる? 昨日も無理させたし」
「いや、そういうのじゃないから大丈夫、ちょっとぼうっとしてただけだから!」
いつの間にかアキトさんはオムライスを完食していて、俺も半分くらい食べていた。おそろしいことに、記憶にない。
それにしても、「無理をさせた」自覚があるなら、もう少し手加減をしてくれてもいいんじゃないだろうか。
初日からだったけど、何と言うか、容赦がない。
おまけに、あれだけ好き勝手やってアキトさん本人はあまりにも平然としていて。
朝の山登りって、そんなに体が鍛えられるものなんだろうか。
「ごめん、何か話の途中だったっけ」
「
「
「チカ君一緒に住んでるのに」
んん?と、二人で顔を見合わせる。
これは、俺とアキトさんで何か認識がずれてる気がする。
アキトさんの客なら誰がいつ来ようと俺に断る必要はなく、言っておいてほしいと思うくらいだけど、多分アキトさんは、同居人みたいな感覚でいるんだろう。
そんな対等なものじゃないはずなのに、優しいのか甘いのか。
――それとも。
「食べたい料理とかあれば、作れるものなら作るけど」
「チカ君はここに料理人として就職したんだった? って、あ。いやそうじゃなくて、そういう目的で言ったんじゃなくて! それは作ってくれるのは嬉しいし大歓迎なんだけどそうじゃなくて……!」
慌てふためくアキトさん。
どうして俺がここにいるかなんて、はじめっからわかり切ったことなのに、そんなに必死にならなくても。
見ててちょっと面白いけど。
「チカ君がイヤなら断るか僕が主真のところに行くとかチカ君一日か二日くらいお休みにしてもいいし」
「は?」
何がどうしてそうなるのか。
そう思ったのは多分そのまま顔と声に出て、アキトさんは、椅子の上で小さくなった。
「だって…チカ君、主真のことあんまり好きじゃないよね…?」
「答えづらい」
「ほらやっぱり!」
「いや、あの、待って。ちょっと待って。俺、アキトさんの交友関係に口挟むつもりも権利もないし、って言うか、高埜さんってたった一人の友達じゃなかった?! その扱い聞いたら」
――泣く、はない気がする。
「怒り狂うか大笑いするんじゃ」
「チカ君、よくわかってるね」
いやそこ真顔でうなずくところじゃない。まさか前科があるのか。
「…ええとごめん何の話だっけ」
「チカ君がイヤなら主真と顔を合わせる機会は無くすよ?」
「だからそういう話じゃなくて…いや、えっと。別に俺、高埜さん嫌いとか会いたくないってわけじゃ。いやその前に、だから、アキトさんがアキトさんの友達と会うのに俺がどうこう言うようなことじゃないでしょ」
「チカ君に嫌な思いをしてほしくない」
――ああ。
数日前、アキトさんの言う「自称友人」を追い返してしまってから、アキトさんは今まで以上に優しくなった気がする。
多分、勘違いをさせてしまっている。
あのくらい、問題なくいなせるはずだったし、今の雇い主のアキトさんに知られなければ好きにさせても良かったのに。ムリだった。
興味本位で軽蔑しきったままに手を出されるなんて、よくあることだったのに。
そのことに驚いて、混乱していたのを、怯えているとか罪悪感を持っているとか、何かいい方向に間違われたんじゃないか。
「…チカ君?」
「…ああ。えっと。大丈夫、高埜さんは別に嫌いじゃない。ちょっと怖いだけで、いい人だってのは判るし。答えづらいって言ったのは、ほめてるみたいなのを知られたら恥ずかしいから。いつでも、二人が都合のいい日に決めてもらっていいよ。食材の用意とか布団干したりとかがあるから、決まったら教えて」
食べかけのオムライスにスプンを差し込んで、一口。冷えて、ケチャップの甘みが強く口に残る。
飲み込んでもアキトさんからの反応がなく、顔を上げると、わかりやすく頭を抱えていた。
慣用句だと思っていたけど、本当に頭を抱える人っているんだ。
「俺、何か変なこと言った?」
「チカ君、働きすぎだよ…」
「ええ…?」
呆れられてるような、哀れまれてるような。
どうすればいいんだろう、と食べ続けることもできずにぼんやりとしていると、アキトさんはどこかさみしげに笑った。
「今の絵を描き終えたらハウスクリーニングを入れるから、布団とかそうじとかは気にしなくていいよ。料理は、作ってもらえたら嬉しい。でも、負担になるようなら冷凍食品とかケータリングとかを選んでもいい。…あのね。チカ君。チカ君が、料理をするのが好きなのは知ってる。そのことに、僕も甘えてる。でも、しなくちゃいけないことじゃないんだよ。料理人や使用人として、チカ君を雇ってるわけじゃない」
――セックスの相手だもんな。
調子に乗りすぎたかな、と思う。
一緒にいる時間が長くて、だけど自由な時間が多すぎて、好きにやりすぎただろうか。
そもそも、きっとアキトさんは今までの生活で不便なんてなかったんだろうし。
このままここに住み続けるわけじゃないんだから、勝手に色々と手を出すべきじゃなかったんだろう。
多分、アキトさんにしてみれば毛色の変わった猫をかわいがるようなもので。生活に踏み込むようなことまでは望んでないだろう。
俺だって、ただ少しの時間買われるだけならこんな風にしようとはしなかった。
勝手に浮かんできた言葉が、どこか負け惜しみめいていて妙な気分になった。何を、アキトさんのせいみたいに。
「俺の料理、イヤじゃないなら気にしないで。好きでやってるだけだから。そうじとかは、じゃあ気にしないようにする」
何か、言おうとして飲み込むようなそぶりを見せた。
言葉にしないなら、ないものとして通す方がいいだろう、お互い。
「片付けとくから、絵に戻っていいよ」
「いや…うん…。ごめん、お願いするね」
何故かしょげたように、アキトさんは席を立った。俺は、すっかり食べる気も失せたオムライスを口に運ぶ。
――スケッチブック、欲しいって言ったらくれないかな。
食べた後はどうしよう、またスケッチブックでも見てようか、というところから飛躍した。
だけど、それいいな、と思ってしまう。
一冊くらい、俺を描いたやつでいいから、というか他の人が描かれてるのも微妙だし俺を描いたやつを、くれたりしないだろうか。
なんとなく残してるだけだって言ってたし。
いや、どうせなら俺が描かれてるの全部もらっていきたいくらいだけど。
あとで、今の俺みたいに誰かに見られるのは、なんかちょっとイヤだ。
「…あーあ」
――いろいろぐちゃぐちゃだなあ。
もうひとさじオムライスをすくって口に入れて、噛みくだいて飲み込んだ。