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<アキト>

『もうちょっと上。そこ、つまんで…引っ張りすぎ! しわになる! じゃなくってっ』


 パソコン越しの声は若干苛立ってるけど、こっちはこっちで、いい加減にしてくれと言いたい気分だ。

 僕に身にまとった服をあちこちつままれて立ちっぱなしのチカ君も、くたびれている感じがある。微笑が弱々しい。

 唸っていたかと思うと、美琴ミコトは、音を立ててテーブルに手を突いた。「もういいっ」という声がかぶさる。


『明日あたしも行く! ちーちゃん! その服と猫の方も合わせるから! ついでに時間余ったら私物持ち込むから色々着てな!?』

「え」

『じゃあ明日!』

「ええー…」


 ぷつりと切れた画面に、思わずチカ君と顔を見合わせる。

 吃驚びっくりした顔をして、でも、少し生気が戻ったように見えるのは、画面越しの通話が切れたからだろうか。

 チカ君が写真や動画NG、というのは、単にそういったものが残るのがいやだから、というわけではないようだった。

 次の絵に使う服を知った美琴が調整したい、でも時間がない、テレビ通話かWEB会議で、と言って来たから服を借りてもいいかと聞いて来たチカ君は、おそらく本人は気付かないままに顔も動きも強張こわばっていた。

 できれば立ち会ってほしい、というのも、何か関係があったんだろうか。無理はしなくても、と言うと、強張ったままに「ずっとこのままは厭だ」と応えた。

 詳しく訊いたものか迷っているうちに、今に至る。


「おつかれさま」


 無言で首を振る。そんなことない、という否定だったのかもしれないけど、それでふらついたのだから逆効果だ。

 慌てて支えると、抱いた肩が一瞬強張って、僕の顔を認めて力を抜いたのが分かった。

 全てではないにしても、安心するように体重を預けてくれるのが嬉しい。

 リビングのテーブルに乗せたパソコンのカメラレンズから外れるように、ソファーに座らせる。


「凄いね、一時間近くもやってたみたいだよ」


 とりあえずノートパソコンを閉じて、チカ君の隣に腰を下ろす。少し開けた距離が、ぽかりと主張する。


「少し早いけど、今日はもう寝ようか? お風呂も明日にする?」

「…今日は、シないの?」


 するりと距離を詰めて、上目遣いに見上げて来る。その威力が分かって仕掛けてきている。絶対。

 それでも、触れた手が冷たくて、どうにか理性が働いてくれた。

 そっと手を取って、体温を分け与えるように僕の手で包み込む。


「ちょっと疲れちゃった。考えてみたら、もっとずっと長い時間頑張ってるチカ君って凄いね」

「明日、できないけど」


 いいの、と言うように小首をかしげる。


 …。

 可愛い。

 抜群に、可愛い。

 狙ってだろうが天然だろうが、可愛いものは可愛い。

 なけなしの理性が、ぎゅうぎゅうとされているのを感じる。

 だけどチカ君の手は、冷たいままで。


 左手はそのままに、右手をチカ君の背に回す。抱きしめると僕の方が、人肌の温かさにほっとしてしまう。

 もっと触れたい、という欲望にはふたをする。


「…明日駄目っていうのは、どうして?」

「美琴さんが泊まるかどうかはわからないけど、明後日も平日だし。でも、高埜タカノさんが来るとき、いつも遅くまで飲んでるから」

「ああ…あー…」

「だったら」


 くっついてくるチカ君の体はあたたかくて、でも手はやっぱり冷たいままで、何かしらの緊張はしているのだろう。

 それが何なのか、僕はまだわからないけど。


「撮られるの厭な理由教えてくれたら考える」


 ぽろりとこぼれ落ちた言葉に、僕の方がきっと目を丸くしていた。

 チカ君は、色めいた雰囲気を霧消させ、不思議そうに目をみはって、ゆっくりと首をかしげた。


「面白くもないし、よくある話だけど」

「話したくなかったら無理には」

「いや、別に。でもほんと、面白くないよ?」

「…どうしてそんなに面白さ必須みたいに念押してくるの…。漫才師じゃないんだから」


 とりあえず着替えておいで、と、名残惜しくはあるけどチカ君の手を放す。

 今チカ君が着ているのは、次の絵に使う衣装だ。

 軍服めいた制服っぽい服は軍属の学校の制服というそのままのもので、架空の、アニメ化もした漫画の中の話。

 依頼のほとんどは漫画やアニメのキャラクターや実在する人をこういったシチュエーションで、との指定を受けたもので、正直著作権や肖像権は気になる。

 まあ、自宅に招いた人に見せる程度ならともかく、原則非公開の約束だから訴えられることはない…と、思いたいところだけど。

 美琴が作成した時点では誰が着るか判らなかったから、たしかに、漫画よりはだぼっとして見える。

 だけど、そんなにこだわるほどだろうか。


「っ、着替えたら、こっちに戻って来たらいい?」

「僕がそっちに行くよ」

「わかった」


 何故か、逃げるように身をひるがえす。スカートが、空気を含んでひらっと舞った。

 こういう一瞬は、覚えておいて描くしかないんだよなあ。写真を撮っても、事実をそのまま映すはずなのに何か違う。

 いつの間にか、頭が絵を描く方に切り替わりつつあったことに気付いて、首を振る。

 もしかして、それに気付かれて何か厭な思いでもさせただろうか。だから、逃げられたのか。


 深々と、息を吐く。どうして、こうなんだろう。


 もう一度首を振って、ポットのスイッチを入れて僕も着替えに行く。

 一旦左端まで行ってパジャマに着替えて、リビングでココアの粉末をお湯でいて、右端までカップを二つ運んだ。

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