「終わるまではまた来るから」
「ああっ。常連さんと臨時手伝いが一緒に消えちゃう! 本当に続けられないの?」
冗談めかしながらも、視線は強い。中途半端な
「多分」
――どうしてぼかしてるんだろう。
絶対、と言い切ってもいいところなのに、ぼやけた言葉がこぼれた。
それでも、これ以上は無理と気付いたのか、パンを包む手を動かし始めた。
「はい。お買い上げ、ありがとうございます」
「ありがとう」
「最終日、知ってると思うけどバスの始発のずっと前にお店開けてるから、寄って行ってね。餞別におごる」
「いいよ、ちゃんと買うから」
もらうつもりはないのもだけど、店が開いている時に出ていくかもわからない。
おぼろげに考えている最後の日の段取りのいくつかでは、準備中かもしれないけど営業時間ではない。
パンの入った紙袋を抱えて、今度ははっきりとつらさを感じた。
「じゃあ、また」
「あ。…ねえ。雇い主、前に一緒に来た人よね? 芸能人並みに顔も体も整ってた」
「そうだけど…?」
一度だけ、一緒にこの店に来たことがある。そのときは
ただ、あながち間違いではないような気もする。
地域の集まりに顔を出したこともなく、早朝の散歩で時折遭遇する人がいるくらい。自治会費は、なんと振り込みで支払っているという。
もちろん、お膳立てをしたのも手続きをしているのも
ごめんちょっと座らせて、と断って、佳奈美さんは言葉を続けた。ゆっくりと、いくらか気まずそうに。
「熱が出た時、薬飲んだ?」
「え。熱…言ったことあった?」
「…口止めされてたわけじゃないからいいよね。お店閉めた後、ものすごい勢いで戸を叩かれて、チカ君が熱を出して寝込んでて、って。最終的に使いかけの風邪薬渡したら、少しして未開封の風邪薬とお高い焼き菓子でお返しもらっちゃった」
――知らない。
たしかにあの時、暗くなってからレトルトのおかゆと一緒に風邪薬をもらった。
意外に思ったけど、多分高埜さんが常備薬を用意してたんだろうなと深くは考えなかった。
「めちゃくちゃ必死に見えたよ。だから、なかなか認めないけどやっぱり弟子なんだなあ、って思ったんだけど」
「…急に熱出して慌てただけじゃないかな。看病とかもしたことなかっただろうし」
「結構大切にされてるんじゃない? ああ、ごめん。余計な口出ししてるよね。わかってるんだけど、せっかく仲良くなれたのに淋しいなって思っちゃって。街の方にでも遊びに来たら連絡してね」
――素直な人だ。
少し、母を思い出す。
年が近いわけでもないし、見た目は全然似てないけど、元々はからっと元気な人だった。事故か自殺かわからない死を迎える直前は、さすがにくたびれたりイライラしている時も増えたけど。
この二人が親なら生まれてくる子は幸せだろうな、と思えて、俺も少し、その子どもに会えないことが惜しい気がした。
「佳奈美さんと一さんって、どうやって知り合ったの?」
「…今そういうこときく? なんで? どういうタイミング?」
一瞬ぎょっとした顔をして、すぐに面白がるような笑顔になった。
「よくある話なんだけどねー。変なのに絡まれてるとこ助けてもらって、っていう。ガチ殴りで相手死ぬかと思って止めるの必死だったし結構引いたけどね!」
「えええ…」
一さん、ガタイ良いけど、パン作りって体力も腕力もいるっていうからそれでかと思ってたけど、実はその前からだったのか。
この人、生まれてきた子ども相手にもさらっとばらしそうだ。
「そこから、話し相手になってくれて。そのころあたし、育ててくれてたジジババがいきなり死んじゃってしぶしぶ引き取ってくれた親戚のとこは居心地悪すぎて、ふらふらしてたから、ボディーガード代わりにいいじゃん、とか思ってたんだけどね。気付いたらしっかり恋愛対象になってた。…うん? どうした、変な顔」
「…ごめん。俺から聞いたけど、情報量多い…」
「え、そう? 色々やんちゃだったの気付いてると思ってた」
考えてみれば、産み月も近いのに実家に帰ったり家族の手伝いがなかったりするのは、そういった縁が薄いからだったのだろう。
言われてみれば気付くけど、そんなところまでは思いつかなかった。
人生経験の差なのか、ただ、俺が付き合いに腰が引けていたからなのか。
「じゃあまあ、続きはまた今度ね。一もいないと、勝手にいろいろ言ったら怒りそうだし」
そう言って、佳奈美さんは、ひときわ明るく笑った。